萬葉集覚書

2006年12月24日(日) 16 冬こもり 春さり来れば 

冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 
入りても取らず 草深み 取りても見ず 
秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 
取りてぞしのふ 青きをば 置きてぞ嘆く 
そこし恨めし 秋山ぞわれは



冬が過ぎて春になると、それまで鳴かなかった鳥たちも鳴き始め、咲かなかった花々も一斉に咲き始めます。
けれど、山々は春の息吹に感応して一気に緑が濃くなって枝は茂り草は萌え、どんなに美しい花といえども入っていって手折って見ることもかないません。
一方、秋の山々は全山真っ赤に染まるほど紅葉しているので、近くまで行って一枝手折って見ることも出来ましょうし、まだ青い葉は紅葉するまで心待ちにしてため息をつきましょう。
その点だけは残念ですが、どちらかを選べとおっしゃるならば、秋の山が優れているとお答え申し上げます。




近江の大津宮で天智天皇が、春の山の百花の競演と秋の山の紅葉の艶やかさと、どちらか優れているか答えよという問いかけを臣下にしました。
侃々諤々百家争鳴、様々な意見が飛び交いますがなかなか結論が出ません。
そこで、藤原鎌足を通して額田女王に評価をせよと詔を下されました。
それに答えたのがこの長歌です。
色彩としては、百花繚乱たる春の方が確かに美しいのでしょうが、それを手にとって愛でることができないのは興趣を半減させることだと言い切るところが凄いですが、いかに古代から紅葉を愛してきた国民性かと、納得もし嘆息もする結果判定ですよね。
当時の宮廷人が、決して花を好まなかったわけではありませんが、間近で見ることに重きを置けばこういう結果になることは致し方なし、というべきですか・・・。

今の観光地の山を想像しても、この歌の趣を理解することは出来ないでしょう。
春になって緑が芽吹き始めると、それこそ一気に全山緑に包まれますが、そこへ行くべき道すらも草に覆われてしまう自然の力を想像してください。
舗装道路などあるわけもなく、道筋とて人が踏み分けた獣道程度の有るか無しかのおぼろげなものだったのでしょう。
草に覆われると、その道すらも見えなくなって、肝心の花に近づくことができなくなってしまいます。
後から後から次々と咲き継いでゆく花々を愛でるよりは、色づいて後は散るだけの紅葉のはかなさに「おもむき」を感じる感性は、その後桜を愛でる日本人の国民性に確実に繋がっていると考えて良いのではないでしょうか。


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