萬葉集覚書

2006年12月23日(土) 15 綿津見の 豊旗雲に

綿津見(わたつみ)の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 清けくありこそ



海の神がたなびかされた豊旗雲に夕日がさしている。
今夜の月はきっときれいであって欲しい。




綿津見は海の神のこと。
日本には八百万の神々がおられるので、海の神さまもひと柱だけではありません。
他にもいろいろといらっしゃるのですが、ここでいう綿津見はそういう海の神の総称とでも考えるのが良いかもしれません。
その海の神様が豊旗雲をたなびかせておられるのは、天気が崩れることはないという徴(しるし)だと思ったのでしょう。
入り日は、いま沈んでいこうとしている夕日ですから、今宵の月はきれいであろうと、これまた考えました。

総合的に考えると、海の神様が瑞雲をたなびかせておられるのは、今宵の月がさやかに照るという証だから、夜の航海に支障はないという解釈に到ったということですね。

実はこの歌も13の長歌に対する反歌になっているのですが、どう考えたって大和三山の歌に夜の航海の歌を反すというのはおかしな話です。
でも、14の歌で印南まで来ていますから、その後の海上移動のことを念頭に置けば、この歌も理解できなくもありません。
やはり、百済救済の道程の跡を辿っていく道すがら、印南から陸路を海路に変えて西へと行軍していく模様が目に浮かんでくるようです。

万葉集の注釈にも、早くからこの歌に対する疑問が提起されていたのですが、中大兄皇子がそう歌ったんだから、これはあの大和三山の妻争いの長歌に反した歌だというところで落ち着いています。
よ〜く考えると、やっぱりそうだったんだよ。
というところでしょうか。

しかし、妻問いの歌にかけて百済救済に向かう皇軍を暗示するとは、なんと迂遠なことでしょうねぇ・・・(笑)


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