My life as a cat
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2021年09月25日(土) みんなの休暇



休暇を利用して遊びに来てた義妹と義母が帰った。どっしりとした体躯で、大きな花柄のワンピースを着て、とにかくよく喋る存在の賑やかな義母が去った後は、まるで台風が去ったかのような静寂。しかし大人が四人いると、育児も家事も楽なものだ。ひとりが料理し、ひとりがロクちゃんの面倒を見て、ひとりが掃除し、ひとりが皿洗い・・と。ロクちゃんの誕生以来平日は全てひとりでこなさなければならず、かなり根詰めてやってきた。ここへきてやっと数日羽を休めることが出来た。実に9ヶ月ぶりの休暇。リュカもまとまった休暇をとって空港へ彼らを送迎し、家の隅々まで掃除し、庭の手入れまでやってくれた。義母はロクちゃんが果物を喜んで食べるから、じゃんじゃん与えてる。日本のダイエットドキュメンタリーのようなテレビ番組では、いつも肥満児の影に甘い祖父母の存在ありというのが典型。幸いどちらの祖父母も遠くて滅多に会えないが、近くに住んでたらこりゃ大変だ。

みんなでイタリアへ行き、ランチを食べた。保守的なお義母さんは見慣れないものだと、

「とっても美味しいわ」

という割にはあまり食が進んでなかった。

「わたしは痩せなきゃいけないから」

と食事はクロちゃんほどしか食べないのに、ジェラートなんかは二玉ぺろりと平らげ、パンにはそんなに?というくらいたっぷりオリーブオイルをかけて嬉しそうにかぶりついた。イタリアで食材を買い込み、翌日"赤ちゃんも一緒に食べられるから"とスペインで復活祭の間に食される精進料理のポタージュを作ってくれた。前夜に塩鱈の塩抜きとひよこ豆を水に浸すことからはじまって、パン団子を作ったりとかけっこう手がこんでる。塩もオイルもたっぷりでパンチがきいてて美味かった。食物繊維も炭水化物もタンパク質も脂質も全部が入っててバランスがいい。翌日全ての材料が余ってたから、自分で作ってみたけど、義母のように塩もオイルも思い切った使い方が出来ず、ちょっとボケた味で、いまいちな出来。感覚で記憶して作ってるからレシピを聞いてもわからないと言われるのは目に見えてるが、今度レシピ化してくれるように頼もう。食事中、リュカの従兄弟の話が出た。彼は19才で父親になった。子供の母親も同い年。しばらく付き合って、(彼側の話では)彼女が精神的に少しおかしくなっているのがもっぱらの原因で別れた。そしてその後彼女の妊娠が発覚した。子供の親権は母親にあり、彼はすぐに働きはじめて養育費を払っていたのだが、子供が3才の時、彼が親権をとり、今は彼が子供と暮らしている。というのも、母親は我が子をべったり自分の側に置いておきたいという執着心に捕らわれて、3才になってもまだ固形の食べ物は一切与えず、母乳だけをあげていたのだった。彼女は精神的にいよいよ不安定でおかしくなっているという。子供は今、24才になった父親と暮らし、しっかり食べて、肌艶も見違えるようによくなったという話。自分に子供がいなかったら、なんてイカれた母親なのか、と単純に思ったかもしれないが、自分が母親になった今、全くの他人事とは思えなかった。子供に対する愛情と自分にかかっているストレスとは全く別の次元にあるものだ。わたしだってロクちゃんとの暮らしはこの上なく幸せだ。それは本当だ。それなのに、なぜだろう、たまにふと他人を無闇に批判的に見てしまう自分がいてはっとする。だって他人を見る目は自分の精神状態を映す鏡なのだ。以前ならただ共感してたようなことに反感を持ってる自分がいる。はじめての子であれこれわからないのに、日中はひとりで何があっても誰にも頼れないという強迫観念や、わたしがひとつでもミスをしたらこの小さな息の根は簡単に止まってしまうのだという責任の重さが、知らず知らずのうちに鬱積してしまったのかもしれないとふと感じることがある。幸いわたしは20代の女の子ではないから、少し悪い兆しを見れば浅いうちに修正するくらいの技は身につけている。高齢出産は身体的に大変ともいうが、わたしはこの年だからこそその時々20代の時よりはよほどまともであろう判断を下して乗り切れてることのほうが多いように思う。

みんなでベイビーカートを押しながら、栗や木の実を拾いながら散歩をした。都会生まれの都会育ちの義母は自然が美しいと感動していた。しかし、やっぱり兄弟や従兄弟みんないる場所を離れてくらすことは考えられないらしい。道端で種が飛んで野生化したらしいミントを摘んで、それをそっとバッグに忍ばせて帰っていった。

Michelina |MAIL