My life as a cat
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2016年11月23日(水) 酢酸発酵酵母の救済

天然酵母では何度も失敗をして、酢酸発酵してしまったきれいに焼き色のつかない酸っぱいパンができた。�爛廛鵐僖縫奪吋覘爐箸世泙靴世泙型�べるが、やっぱりプンパニッケルに失礼だな。もう少しうまい救済方法はないか、と思っていたのだが、あった。まず肝心なのは中種は毎日味見をすること。ちょっと酸っぱいと思ったら、もうその中種で作るパンはどうしても酸っぱくなるので、酸味が増さないうちに手を打ってしまう。だいたい酸っぱくなる時点で発酵力も弱い。

ドライ・イーストを使ったパンのレシピの半量ほどのドライ・イーストを足す。中種を作るのに使用した水と粉の量を計算して、その分量を差し引いた粉や水、その他の材料を足す。あとは普通に作る。

今回はトマト・ピューレとオリーブを練りこんだフォカッチャを作った。この選択がよかったのだろう。失敗酵母の苦しい救済どころか、何度も焼きたい美味しいフォカッチャとなった。バターロールのようなものではなく、トマトフォカッチャのように、そもそも酸味のあるトマトピューレを練りこむ生地にしたことで、酸味はトマトのものか酵母のものかはわからない。何はともあれ一番肝心なのは、中種を毎日味見して、ちょっとでも酸味を感じたら全てパンとして焼いてしまう。これに尽きる。酵母起こしに1週間、中種作りに1週間、と、2週間も毎日こつこつやった結晶がたったひとつのパンとはちょっと悲しい気もするけど、捨てるより�猝詰�やりプンパニッケル�爐鮨�べるより余程いいと思う。しかし、天然酵母歴3年ほど。失敗を成功に変えられるようになったのはなかなかの成長ではないだろうか。そもそも失敗しないようになるといいのだけど、素人が自宅でやるのに失敗要素を全て排除するなどというのは難しいから、こんなところで満足してもいいだろう。


同僚が14年付き合った愛猫を亡くし、ペット・ロスにかかっているようだ。彼女はひとり暮らしだから愛猫は唯一の家族だ。同じく愛猫を持つひとり暮らしの身として、自分もいつかそうなるのだろうか、と考えてしまった。

子供の頃から常に家には何かしら動物がいて、彼らはそこそこ生きて、病気にかかったり、老衰のようにして死んでいった。わたしは彼らのことをすごく大事に思っていたけど、死んだからといって泣いたりはしなかった。ただ、一度だけ生後9か月の黒猫が車に轢かれて死んでしまったときは、1か月近く泣き続けた。まだ目も開かない子猫の時に、道の真ん中で死にそうになってうずくまっていたのを保護したのだった。獣医に連れて行き、点滴などをうった。獣医が言ったのだ。

「命拾いしたねぇ。もう少し遅かったら死んでたよ。こんなに衰弱しちゃって」

元気になった黒猫は目を開いて初めて見た生物(わたし)を慕って、家中どこにでも着いてきた。やせっぽっちだから首の後ろにマフラーみたいに張り付いて料理するのをじっと見ていたりした。命拾いしたのに、たった9か月生きて逝ってしまうなんて。あまりにもショックだった。

他の犬猫達は、最期の3日間くらいは飲まず食わずで動かなくなり、犬は庭の芝生の上で息絶え、猫はどこかにふらりとでていきそのまま帰らなかった。どこかで静かに土に還っていくのだろう、と思うと、それはただの自然の一部のように思えて、不思議と悲しくなかった。数か月経つとまたふらりと新入りがやってくる。そして家族で夕飯を食べながら、ふと土に還った動物達の思い出話が持ち上がり、みんなで笑う。鼻提灯ふくらませて、寝言呟きながら昼寝してたよね、とか、ベッドの上に登れなくて、部屋の一番端から助走つけて走ってきたのに、鼻の頭ベッドのフレームにぶつけて終わったね、とか。わたしは自分の死すら、同じようにありたいと思っている。式とか石とか欲しくない。人知れずどこかで静かに土に還りたい。人間だから難しいだろうけど。家族は悲しまず、せっせと今目の前で生きている命のために奔走して生きる。そしてたまにわたしの思い出話が食卓にあがり笑いのネタとなる。そんなふうなのがいい。

悲嘆にくれる同僚にかける言葉は見つからない。だから、

「blog読みました。残念でしたね」

とだけ声をかけた。でも、このコは生きているときにうんと愛してくれる人がいたのだから、その魂は安らかに土に還ったのではないのかな。


Michelina |MAIL