My life as a cat
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2016年03月13日(日) 東京ジャーミー

代々木上原のモスクを兼ねたトルコ文化センターである東京ジャーミーを見学してきた。東京の空はどんより、寒い日だったけれど、この建物の周りだけは燦々と降り注ぐ太陽と地中海から吹きこむからりと乾いた風があるように錯覚させられる。

週末は日に一度自由に参加できるガイドツアーがある。日本人だという異国風の風貌のガイドがイスラム教の歴史から、その考え方、宗教儀式の意味、アラビア発祥の文化まで幅広く説明してくれる。

日本にイスラム教が渡ってくるきっかけとなった事件。それは、1917年の人類史上初の共産主義を生みだしたロシア革命だった。中央アジアに多く生息していたイスラム教徒達は弾圧され国を追われた。彼らはシベリア鉄道で満州へ渡り、そこから日本へ渡ってきて東京や神戸に定住するようになった。やがて小さなモスクが東京にできた。子供達が学べる小学校もできた。1986年、このモスクは老朽化が原因で取り壊されたが、2000年には今の立派な東京ジャーミーが完成した。もっとも東京の地価は高いので、現在イスラム教徒達は東京郊外で生活する人が多い。

イスラム教では生はふたつあると考えられる。現世と来世。現世はせいぜい100年と短いのに対し、来世は永遠とされ彼らはより長い来世で幸福を得ることに重きを置く。この説明を聞いた時に思わず頭を過ってしまったのは、自爆テロを起こす人々である。アラーのために戦い名誉の死を遂げることで、永遠に続く長い来世に幸福が待っていると信じているのだろうか。

来世では現世でより多くのポイントを貯めた人がより幸福になれるとされている。ポイントは貧しい人への施しや毎日祈りを捧げることで増えていく。イスラム教徒はとにかくつるむのが好きだ。それにはこんな理由がある。大勢で祈るとひとりで祈るより27倍ポイントがもらえると言われているからだ。なぜ27倍なのかはわからない。彼らは現世を終えたあと、復活祭で呼び戻され審判にかけらる。この時現世のポイントにより天国か地獄どちらへ行くかが決められる。

ラマダン月は日昇から日没まで水も食べ物も一切口にしない。喉の渇きと空腹でひもじい気持ちを味わう。そうして日没後、まずは水をごくごくと飲む。この水は何にも代えがたいうまい水だとガイドは言う。それから食事。もちろんこれだって何にも代えがたくうまい。人間は満ち足りてしまうと初心を忘れがちだ。ラマダンは貧しい人々の気持ちを理解し、日々の糧に感謝する気持ちを取り戻すために年に一度行われる儀式である。また、彼らは体は食物で養い、心は祈りで養うと言う。

日本人がヨーロッパから伝来したと思っているものの中にはその本当のルーツがアラブにあるものが多々ある。トルコの文様には実はよくチューリップが描かれている。言われてはじめて、よく見ると痩せこけたチューリップのように見える、と思うくらいわたし達の知るチューリップとは違う。実はチューリップの原産はトルコで、モロッコからヨーロッパへ渡るとヨーロッパ人はたいそう気に入って球根バブルといわれるほどの旋風を巻き起こした。ヨーロッパで球根は品種改良され、オランダがその中でもとりわけ有名になった。

コーヒーの発祥はアラブではなくエチオピアだが、そこからアラブに渡り、北まわりと南回りという2種類のルートを通り、ヨーロッパに渡った。言語でもsugarやcameraという英語はアラブが発祥であり、それがラテン語となり、そこから英語へと転じていった。

あれこれとあるが、アラブ人が一番誇る大発明はなんといっても数字である。

ガイドが翻訳を少し手伝っているという世界的に有名な話もしていた(これはわたしも何度か外国人の友人から聞いたことがある)。1890年和歌山県の沖合で座礁したオスマン帝国(後のトルコ)の軍艦から海に投げ出された人々を漁民達が助ける。命拾いをした人々はその後祖国へ戻り日本人に感謝をし続けながらその生涯の幕を閉じていく。そしてそのおよそ100年後にあたる1985年、イラン・イラク戦争で日本政府に見捨てられ、戦地に取り残された日本人達がいた。彼らを助けたのがいつかの恩を忘れなかったトルコ政府だった。ターキッシュエアラインを飛ばし、彼らを乗せて日本へ送り届ける。この話は最近「海難1890」という映画となったそうだ。

イスラム教という宗教に興味がない人々がはじめて目にするイスラム教徒と名乗る人々がテロを起こしてニュースにあがる人々であってもまったく不思議はない。わたし自身もイスラム教徒の男性から嫌なことをされた経験が多々あり、好感が持てなかった。しかし、どんな物事にも色んな側面があり、たまたま悪いものばかりを目にしただけで、それを解ったふうに決めつける必要はない。今日誰よりも楽しそうだったのは他でもないガイドだった。目を輝かせて自分の信ずるものについて熱く語らう彼を見て、信じるものがあるという幸せを思った。わたしは来世のことなど考えていないけれど、現世で沢山ポイントを貯められるような行いをして生きていくことこそがわたしの現世に幸福をもたらすことだろうと思った。

モスクは神聖な場所で女性はスカーフで髪を覆う。写真を撮っていたら、先程まで祈っていた30代くらいの男性が声をかけてきた。

″Where are you from? Oh! You are Japanese? You like this architecture? You are beautiful too. Why did you come here? Are you turning into Muslim? "

インドネシアからのツーリストだという男性は神聖なモスクでナンパをしているのだった。″Yes″と言おうものならプロポーズされてしまうのではないかというくらいきらきら目を輝かせて。

″No. I believe whatever I can believe"

と答えたらひどく落胆していた。そこへわたしのツレ(男)が現れて、彼はみるみるしぼんで小さくなりどこかへフェイドアウトしていった。さっきまでキャンキャンと足元へまとわりついていた子犬の足を踏んずけて黙らせたような疚しい気分だった。


Michelina |MAIL