DiaryINDEX|
past|
will
穏やかな秋晴れのいい日だった。朝点けていたテレビに、歩道橋の上から神戸の三宮駅を見つめ、今でもこの駅の中には入れないと語る老人の姿があった。内藤さんは現在80代。戦争孤児だった。母子家庭だったが、母親は映画館を経営していて、何不自由なく暮らしていた。神戸が空襲を受けた時、とにかく人の沢山いるほうへと母親と共に三宮駅へ逃げ込んだ。しかし、食べるものなどない。母親はゴミ箱を漁ってはなんとか子供に食べるものを与える。しかし、自分は飲まず食わずでどんどん弱っていく。
「″疎開した妹を迎えに行ってね″それが母の最後の言葉となりました。握った母の手がどんどん冷たくなっていくんです。悲しかった」
12歳にして妹と共に″駅の子″になった。食べるために盗みでも何でもやった。刃物を持ち歩いて、人のバッグの底を切り裂き、財布を盗んだりもした。1年後保護されて、孤児院から学校へ通うこととなった。しかし、そこでは″戦争乞食″と罵倒され虐められた。
戦争孤児にアンケートを依頼したところ回答したのはたったの12人。あまりにも辛く、思い出したくない記憶となっているからだ。そんな中、内藤さんがテレビに出演して今でも足を踏み入れることができない三宮駅の前まで来て辛い記憶を語るのは、この記憶を風化させたくないからだという。
聞いていて胸が詰まってしまう辛い辛い話だった。だから彼の風化させたくないという思いを汲んでここに書き残しておくことにした。
夜にスタジオを借りて行われるパーティーへ。そこへお父さんに連れられてきた3歳のクロエちゃん(日本人とフランス人のハーフ)。″おなまえは?″″おとしは?″と聞いても反応してくれかなかったのだが、
「パパすき?」
と聞いたら、キラキラ目を輝かせて、
「うん!パパだいすき!」
だって。
「じゃぁ、ママは?」
「ママもだいすき!」
「どっちがいちばんすき?」
「りょうほーだいすき!」
だってさぁ。子供ってパワフルね。幸せエネルギーをもらった。
家に戻るとわたしの毛深いクロエちゃんが猛突進してきて、喉をゴロゴロ鳴らしていた。子供や猫の小さな体は″すき″でいっぱいなんだろうな。愛しいねぇ。