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My life as a cat DiaryINDEX|past|will
ダミアンと知り合ってから数週間、自然と毎晩スカイプで会話をし、週末をべったり一緒に過ごすようになった。黙々と仕事をこなして家に帰って、今度は家事をこなす。ほっと一息ついてベッドでゴロゴロしながら、会話する相手がいるのは心地がいいものだ。それでも"経験"がわたしの神経をこんなにも麻痺させてしまったのか、明日ダミアンが消えてもやっぱりきっと泣きなどしないだろうと想像する。そんな自分自身が何より悲しみの種だ。いつか20代の頃のように素直に出会いにときめいて、素直に別れに泣けるような心を取り戻せる日がくるのだろうか。それとももう二度とそんな日は来ないのだろうか。いつか飛行機の中で観た"Up in the air"という映画で、ジョージ・クルーニーが演じていた地に足の着かない男(down to earth⇔up in the airという巧いタイトルだ)を思い出す。FlightとHotelが"我が家"で、あらゆるものに執着を持たず効率を第一に重んじて人生の荷物は必要最小限。そんな人生を自信満々に人前で演説するほど。しかし、そんな男の感情が、豊かで無原則な女の感情に触れることで少しずつ溶かされていく。ようやく人生に重荷が欲しくなった時、そこにはバックパックに簡単に詰め込めるようなものがなかった。この映画では重荷でもさびしい時に心の支えになるものを持つ良さと、空虚でもひたすら身軽でいることの良さ両方が描かれていて、どちらも肯定されていて考えさせられた。今のわたしはなんなのだろう。地に足を着けたいと思いながら、怖くて足がつけない臆病者のようだ。
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