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一人暮らしをはじめて早くも半年が経った。18歳から親元を離れてたまに実家に戻ってという暮らしだったからこれが元来の形で、水を得た魚のように活気づき、自分のライフ・ルーティンを着々とこなすことで心の平穏を保てるようになった。食前酒をちびちびやりながら、自分の舌が喜ぶごはんを黙々と作り、映画を観ながら食べる。植物の世話をし、ベッドで読書して眠る。休日は人を誘うのも億劫でたいていの場所はひとりでふらりと出かけてしまう。小さな子供を二人かかえた同僚はたまには自分ひとりの時間が欲しいと羨む。こちらは愛らしい子供がいるのが羨ましいが、彼女の気持ちも理解できる。家族を持つのもいいが、お金と時間がいくらでも自由になる独身貴族をしばらくは謳歌したいとこの家に移り住んでからそう思うようになった。結婚を焦るのは母の顔を見た時だけで、次の日にはけろりと忘れてしまう。
ところが久々に声がかかった社内合コンの話でふと危機感を感じることになる。1年前は会社帰りにちらりと飲んでくるというノリであっさりOKしていたのに、今回はなぜか心臓がどきどきとする。新しい出会いに足が竦むのだ。1日のうち人とのコミュニケーションといえばランチタイムを共にしているインディアン・ガイとアメリカン・ガイ以外にまずない。外敵もなく野良猫3匹の昼寝のごとくゴロゴロ寝転がって、アイスクリームをなめながらi-phoneだの新しいソフトウェアだのそんな他愛のない会話ばかりでひたすら平和である。ここ最近は心乱されることのない退屈な日常に満足していたのに、乗り気のしない社内合コンの話をすると、「君はこのままではいつか世捨て人となるだろう」と背中を押され、女の子の人数も足りないと言われ、しぶしぶOKしてしまったのだ。
猫が欲しいというわたしに隣の席の女の子が言う。
「ひとり暮らしで動物飼ったらもう”おしまい”らしいですよ。」
確かに”おしまい”に近い雰囲気の独身貴族達を見渡せば犬や猫を溺愛している。
しかし、もっぱら明日の合コンに対するわたしの心配事は、
「いい人と出会えるかな」
ではなく、
「ちゃんと喋れるかな。」
である。
もはや、”おしまい”はそう遠くないのであろうか、、、。