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お気に入りのミニスカートを履いて、お気に入りのカフェへ。絶品ウォールナッツカラメルタルトとカプチーノをオーダー。10ドル**と言われて小銭を探っていると、いつもはちっともかまってくれないちょいとラティーノの血をひいたような白人ハンサムオーナーが、わたしのぷっくら脚を一瞥して10ドルでいいと言ってくれた(笑)。
バスに乗ったらアジア人顔のバスドライバーが話しかけてきた。
"Where are you from?"
日本人だと答えると嬉しそうに自分も日本人だと言う。ベトナム人や中国人ドライバーはよく見かけるけれど、日本人は珍しい。
「日本では会社員をしていましたけど、この国の豊かさに惚れて1989年に移住してきたんですよ。それがここ4,5年の中国のマイニングブームなんかで町が急激に変化しましたよね。新しい住宅が立ち並んで、土地も食べ物も高い。昔はオーストラリアでプール付の家に住むなんて珍しいことじゃありませんでしたけど、今じゃ、そんなの夢ですよ。もう住みやすい町なんかじゃありませんよ。」
などと話していた。同感だ。わたしもはじめて移り住んだ頃のこの町が好きだった。もっともっと地に埋まって土を被ったポテトのように垢抜けなくて、何もかもがこの町で始まってこの町で完結するようなシンプルさがあった。部屋を借りるにも家賃は今の半額だった。今では、インテリアマガジンから飛び出したような垢抜けた家がぎっしりと立ち並び、シティはクレーンだらけ。裸足で出歩く人も見かけなくなった。この町の懐が豊かになるのに反して、豊かな時間の流れが失われていくのがさびしい。しみじみそんな思いを共有しながら、
"またいつか会いましょう"
とペコリお辞儀をしてバスを降りた。