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前記事に続く太平洋戦争のドキュメンタリーに元BC級戦犯として一度は死刑判決を受けた李鶴来(イ・ハンネ)さんの生涯が取り上げられていた。
朝鮮半島から徴用されてタイの捕虜制収容所で監視員の地位に置かれ、骨の上に辛うじて皮が乗っかっているだけのようなオーストラリア人捕虜を酷使する立場の人間となった。
「とても恐かったです。向こうのほうが体が大きいし、言葉は通じないし、言うことを聞きませんからビンタしました。当時ビンタは日本人にとって単なる教育でしたから虐待のつもりはありませんでした。」
やがて日本が敗戦。軍事裁判にかけられ、死刑判決をくだされ、シンガポールのチャンギ刑務所に収容された。独房のすぐ隣が処刑場。階段をあがる死刑囚の足音、処刑される声が生々しく響き渡る中、納得の行かない思いに苦しみながら着々と迫り来るその日を待たされる。
「日本人ならば祖国の為に戦い祖国の為に死んでいくとう少なくともまだ心の拠り所がある。けれど、わたしにはそれすらもない。どうして日本人として処刑されていくのか悩み続けました。」
ところが執行寸前、突然懲役20年に減刑された。証人のうちの一人のオーストラリア人が書類にサインをしなかったためだ。
やがてスガモ・プリズンに移送されるがそこへ朝鮮戦争が勃発。連合国側の命令で特別掃海隊などを派遣していた日本は敵国と見なされ、彼は祖国から捨てられた。と同時に、日本は在日朝鮮人の永住権を剥奪し、補償は一切受けられないことになった。日本人として戦争にかりだされ、日本人として刑を受け、今度は日本人ではないとして捨てられた。
刑の執行を終えても無一文で放り出されて、生活苦にあえぐことになる。同士となんとかタクシー会社を設立した。
現在83歳。補償を求めてまだ戦い続けている。
こんな不条理な人生ってあるのだろうか。敵と自分の感情と社会の荒波、戦うばかりの人生。安穏というものを知っているのだろうか、この人は。ひとつひとつ人生の傷を刻まれ続けたような深い皺とシミだらけの皮膚、それでも、いやだからこそまだ負けるわけにはいかないのだろう。