気がつきゃライブの時間だぜ
index|rew|ff
| 2011年05月22日(日) |
◎CONCERT TOUR 2011 “悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜”@大阪グランキューブ |
さて、二日目。 天六にある「くらしの今昔館」で 江戸時代の大坂の町並みではしゃいだ後、 グランキューブへ向かいました。
今日の席は、前から10番目くらいの石くんの方。 なぜか、左となりの席は空いていました。
宮本さんは、黒のジャケットです。 いつものように 「moonlight masic」が始まりました。
今日の2曲目は、「達者であれよ」でした。 レアそうで、結構よくやってますよね、これ。 そうそう、昔、なんばHatchで歌詞を忘れて スタッフさんに歌詞を持ってきてもらい 朗読してたことがありましたよね。
しかし、今日の「達者であれよ」は、すごかったです。 2曲目ながら 死にそうなくらいの熱唱。 まるでラストの曲みたいです。 そんな熱唱を聞きながら わたしは、なんか自分の中でなにかが狂ってしまったように思いました。
そうなんです。 これから先、わたしには時間の感覚がなくなってしまいました。
とにかく、時間でない時間の中で どんどんコンサートが進行していく。
わたしは、この時間の軸のなかで 一生このまま ここでエレファントカシマシの歌を聞き続けるのではないか、 わたしはもうこの世に戻れないのではないか、 メビウスの輪のように、出口を失ってしまったのではないか、
そんな感覚がこの身を覆い尽くしているかのように感じながら エレファントカシマシの音楽を聴き続ける2時間となりました。
思えば、これが 「悪魔のささやき」 だったのかもしれません。 わたしは、この素晴らしい音楽と引き換えに 悪魔に魂を預けかけていたのでしょう。
「九月の雨」は、歌う前に宮本さん自身が、 「ヨロレイン。」と言って 紹介していました。 わたしは笑いそうになりました。 だって、たいてい みんなこの曲のこと 「ヨロレイン」って言ってるでしょ。 だんだん、ファンも宮本さんの感覚に似てくるもんなんですね。
で、歌ですが、これまた素晴らしかったです。 宮本さんの白シャツに青いライトがそまるのが ものすごくきれいで 悲しい色でした。
長いイントロがあって、「歩く男」が歌われました。 いつでも後半、胸がいっぱいになって なぜか涙がこぼれそうになります。
福岡のライブの時に、 「ブランコが揺れる、ないぞうが揺れる」 と聞こえて そんなわけないやろ、と思っていたのですが、 今日、ようやくわかりました。
『街灯が揺れる』 でした。 なんか、すっきりしました。
そんな素敵なうたですが、 いつも笑いそうになるところがあります。 それは、 出だしのサビのメロディの後に いかにもだっさいギターのソロがあるでしょ、 てれれれってて〜ん、ってやつ、 このダサさも十分おかしいんですけど、 これに合わせて宮本さんが、
てれれれってて〜ん 「ぃえぃえぃえ〜」 てれれれってて〜ん 「ふぅ!」
って歌うところ、 この、『ふぅ』 っていうのが いつもツボに入ってしまって CDでもライブでも 笑が込み上げてくるのです。
なので、今日も笑う準備をしながら 今か今かと待っていますと、 宮本さんは 『ふぅ!』 のところを 『わぁお!』 と言いました。
おかしすぎる。 あまりにもおかしすぎる。 てっちゃ〜ん!
そして、本日二度目の衝撃曲、「旅」です。 この歌が始まる前、わたしはちょっとうつむいていたのです。 そしたら、そのわたしの頭をげんのうでぶん殴るかのように
『おれのこころにひっをともっす』
という歌声が直撃してきました。 特に この 『おれの』 という言葉の 力強さというか、 インパクトというか、 衝撃というか、 もうそれは、心の一番奥底まで 躊躇なく ダイレクトに 光のスピードの直球で突き刺さってきました。
思わず、ふらっっとふらつきながら 今のはなんだったんだ、この世のものだったのか、と 「旅」を聞きつつも、 その信じられない衝撃を 何度も反芻するわたしでした。
いや、すごかった。
たった三文字、たった三音、 それがわたしを砕いてしまうなんて。
今、思い出しても震えが来ます。
「いつか見た夢を」 は、だいすきな曲ですが、 これもどうしても笑ってしまうところがあります。
『今すぐ輝け――!! ・・・・おーけー』 の、『おーけー』 です。
だっせ−。 そしてその後の、 『鏡に写してこんにちわぅわぅわ』 も。 もうめちゃめちゃすきです。
やり方は自由ですもんね。
そして、これまただいすきな 「so many people」 です。
隣の清楚なおねえさまも 拳をがんがん上げておられました。
歌が終わると宮本さんは 「みんなが楽しそうだったのでうれしい。」 みたいなこと言っていました。
ああ、すごいですね、この言葉。
なに、笑ってんだよ、 なに、うなづいてんだよ、 そこの、そこの、おめえだよ、
と言ってた人とは思えませんね。
わたしは、この言葉は 今の宮本さんの心理状態をすごくよく表してしていると思います。 とても安定しているのでしょうね。
今日のハイライトの一つは 「珍奇男」だったと思います。 後半の演奏だけになるところ、 宮本さんは、憑かれたかのように 『おっとっと』 を繰り返していました。
おじさんもおっとっと おばさんもおっとっと おじいさんもおっとっと わかものもおっとっと
大阪もおっとっと 東京もおっとっと 大阪のおばちゃんもおっとっと あ、おっとっと あ、おっとっと
13年ライブに通い、何十回も聞いた「珍奇男」ですが、 この、おっとっとバージョンは 初めて聞きました。
で、この、おっとっとをくりかえしているうち 宮本さんのテンションも エレファントカシマシのテンションも なにやら怪しい感じなってきて 石くんは完全に宮本さんの方向いて弾いてるし、 成ちゃんも宮本さんの方に身体をむけてるし、 なんだか 舞台の中央に 四人の砦みたいなものが築かれていって 四人はその中で しっかり結束して ひたすらに演奏を続けているかのような姿でした。
左端の蔦谷さんも、右端の昼海さんも その四人の様子を見て いったいどうしてあの中へ入ったらいいのか まったくわからない状態で サポートお手上げです、みたいに見えました。
わたしはその様子を見ながら きっと昔は、こうやってスタジオで練習してたんだろうな、 この姿は、昔々のエレファントカシマシの姿なんだろうな、 もっと言えば、 中学生の時の四人の姿なんだろうな、と思いました。
四人はそうして「珍奇男」を演奏しながら、 お互いへの思いや、バンドの歴史を 確認しあっているみたいで わたしは、ただただ感動しながら ステージを見つめていました。
素晴らしい「珍奇男」でした。
「お前の夢を見た」 は、えっと、 前にきいたのは岡山だったかな、 いやいや、初聞きは岡山だったけど その後一回どっかで聞いたな。 野音だったけな。 ま、どうでもいいや。
とにかくわたしは、この歌の、『都合』 という言葉がだいすきなんです。 この歌が始まるとそこが聴きたくて どきどきしてしまいます。
宮本さんは、 失恋してひとりぼっちになった時の歌、と言ってたように思います。
『この世の喜びが この世の悲しさが この世に消えゆく』
すごい歌詞ですよね。 この歌詞にわたしは心から共感します。
喜びも悲しみも、結局はこの世のもので この世で処理しなくてはならないんですよね。
だから、宮本さんはこんなに必死で生きてるんだと思います。
幻や空想なんかに逃げやしない。 だから、『都合 俺はひとりぼっち』 になったりもする。
そこのところがほんとに共鳴できるから わたしはこの、『都合』 という言葉に惹かれるのだと思います。
歌もとってもよかったです。 地声でシャウトしながらも ちゃんとと音に声を当てて きちんと荒れた歌に仕上げていて わたしは、こんな歌手はどこにもいない、と 改めて感動しました。
「赤き空よ!」 の前に ハンドマイクで前の方に出てきて 何を言うのかな、とみんなが固唾を飲んで見守ってたら
「千里の道も一歩から。」
と言ったので、思わず吹き出してしまいました。 その後、なんて言ったんだっけ。 みんな空の下だ、という歌です、って言ったんやったかな。 忘れました。 「千里の道も一歩から」のインパクトが強すぎました。
水前寺清子かい。
それ! ワン、ツー、ワン、ツー!
あ、歌ですね。 もちろんよかったです。 わたしは、この歌、初めて聞いた時 昭和歌謡っぽくて あの、「ろくでなし」 みたいな感じがしていたのですけど 何度もコンサートで歌われるうちに まるでオペラアリアを歌うような貫禄に満ちてきて なんていうやろ、宮本さんの表情に すごく自信が見えるような気がしていました。
歌と宮本さんの心情が すごく合致してきるんではないかな、と。
そして、このツアーでは、 いわゆるCメロの部分の CDでも音が出にくそうな、
『明日を運んで来たぜ』
のところ、毎回気合いで音を出していることに 深く感動します。
気合いで、っていってもやけくそとかそういう意味ではなく 気合いでもって 天から音を引きずり降ろしてくる感じ。
なに言うてるか、自分でもよくわかりませんが、 毎回、ここのところで ああ、天から降りてきた音やなあ、と思うんですよ。
どこらへんやったかは忘れましたが、 メンバー紹介があって その時に宮本さんが
「今日はエレファントカシマシSでお送りしております。 なぜなら。」
と、言って蔦谷さんを紹介したように思うのですが、 そんなことなかったですか?
わたしはこの、『なぜなら』 がおかしくて 笑ってたんですけどね〜。
言ってなかった? 聞き間違い?
そんなことはどうでもいいことでして、 さてさて、もう一曲、 わたしが魂を奪われたのは、「悪魔メフィスト」 でした。
今日は、前半もちょっと壊れ気味でした。 しかし、最後のシャウトのところは もう凄まじかったです。
この歌は、ライブハウスツアーでも歌ってますから、 わたしは、悪魔ツアーで計7回聞いたことになります。
その中で、一番凄まじくて 一番かっこよくて 一番怖かったです。
わたしは、宮本さんは、メフィストに魂を売ったと思いました。 この歌が終わると きっと死んでしまうんだ、と思いました。 円を描く犬にまたがって ワルプルギスの夜の宴へ行ってしまうんだ、と。
そして、宮本さんこそが メフィストになるのだ、きっと。
わたしは、そこに悪魔を見ました。 悪魔は、近づくことも触れることも出来ない恐ろしさで 今まで見たこともない美しさとかっこよさを放っていました。
以前、音楽の先生が、モーツァルトのその才能のことを 「悪魔のような音楽家です。」 と言われました。
なるほどそうか、 悪魔とは、芸術の権化なのだ・・・。
茫然と立ち尽くしてた、いつまでも、果てしなき日々よ、な感じで ただ立ち尽くしながら アンコールの拍手をしていると そこに出てきたのは 決して悪魔ではなく いつもの宮本浩次でした。
ほっとするような、泣きたくなるような。
宮本さんは、ギターをかけて 「昇れる太陽」 を歌いました。
お芝居の後、カーテンコールで めっちゃ悪役の人がにこやかにお辞儀をしてみせるような、 そんな気分になりました。
アウトロ部分の、『な―ななな―な な―ななななな』 がありませんでしたので わたしは、自分で歌っておきました。
次の歌は、「生きている証」でした。 わたしは、今日初めて この歌としっかり向き合って聞けたと思いました。
というのも、この歌とか、「なぜだか俺は禱ってた」 とかは、 わたしはその当時、 あまりにも重くて悲しくて 受け止めきれずにいました。
いい歌だったから、もちろん聞いていましたが、 内容を本気で追及すると とてつもなく (宮本さんが)悲しすぎて 適当に気づかないふりをして聞いていたのです。
でも、このツアーの熊本で 初めて 「なぜだか俺は禱っていた」 を ちゃんと聞くことが出来たのと同じで 今日、やっと 「生きている証」 を聞くことが出来ました。
宮本さんが丁寧に歌詞を歌い、丁寧に音を伸ばすのを聞きながら なんてしあわせなんだろうと思いました。
こうやって歌えるようになった宮本さんも、 こうやってきけるようになったわたしも。
歌が終わると静かな拍手が ずっと続いていました。 みんな、この歌に聞き入っていたんですよね。 宮本さんは、 「みんな、一生懸命聞いてくれた。」 というようなことを言って お礼をいっていました。
そして、「さよならパーティ」「ファイティングマン」で 一回目のアンコールは 締めくくられました。
2回目のアンコールは、「ガストロンジャー」だと思っていたら、 ギターをかけて 「新しい季節へキミと」 を歌いました。
これは、福岡で聞いた、ちょっと抑え目バージョンではなく かなり力強い感じで歌われていました。
そして、「ガストロンジャー」。
「ガストロンジャー」が終わって、 宮本さんの姿が見えなくなった時、 やっとわたしは、時間でない時間から解放されました。
今日のライブ、3分で終わったみたいやった、と思いました。
浦島太郎の気持ちがわかるように思いました。
鯛や鮃の舞い踊り。
いやいやいや、悪魔の宴でしたね。
|