気がつきゃライブの時間だぜ
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2011年05月15日(日)     CONCERT TOUR 2011  “悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜”@福岡サンパレス

 広島のライブの後は、4人で居酒屋へ。
 広島の地酒は たいへんおいしかったです。
 そして、いつものとおり、
 気付くと日付が変わっていました。

 つぎの碑ははっさく大福を求めて、
 早起きして整理券をもらいにお店へ行きましたが、
 なんと早々に売り切れ。

 驚愕したぜ、になりながら
 アンデルセンでモーニングを食べました。

 そこでエレ友さんと別れ、
 わたしはひろしま美術館へ平櫛田中展を見に行って
 その後、一路博多へとまいりました。


 サンパレスは、海の近くにありました。
 着いてみると もう入場を待つ人がたくさん並んでいましたが、
 わたしは海の方へ行ってみました。

 なんだかとてもいい気持ちです。
 時間までそこにいて入場しました。

 今日の席もなかなかです。
 2列目の成ちゃん側のスピーカー前あたりです。



 客電が消えて 宮本さんが登場すると
 いきなり後ろの人が 「みやじ―!」 と叫びました。
 あんまり大きな声だったので
 耳がき―んとしました。


 そして、「moonlight masic」。
 昨日のコーラスはきれいやったなあと思い出してたら
 ま、当然のことですが、
 今日もとてもきれいでした。
 サニーさんは、目の前です。
 やわらかな歌い方をされる人だなと思いました。




 2曲目は、「新しい季節へキミと」でした。
 なんだかいつもにまして 心にしみる歌声でした。

 歌い方としては CDで聞くのよりは抑え目な感じで
 力一杯の熱唱ってことではなかったと思います。

 実は、わたしは、なんか席についてからずっと落ち着かず、
 胸が苦しいような、詰まるような、
 わくわくする気持ちよりも
 妙に不安な気持ちになっていたんです。
 今、思えば単に寝不足ゆえの体調不良だったかなかと。

 で、そんな胸苦しい気持ちの中に
 この抑え気味の歌声が す―っとしみていくと
 突然涙がこぼれ始めました。

 なんか、ものすごく安心した気持ちになったのです。

 この歌は、わたし自身も新しい一歩を踏み出した時に
 繰り返し聞いてきたきた曲なので
 そんなことも重なって いっぱい泣けてきてしまったわけです。




 その気持ちは 「脱コミュニケーション」の後に歌われた
 「悲しみの果て」でもあふれてきました。

 DBさんのデータによると
 わたしは90回以上も「悲しみの果て」を聞いているようです。
 こうなると いくらいい歌でも
 そうそう毎回極限の感動はしてられないですよね。
 身体が持ちません。

 ところが、今日の福岡、
 宮本さんが 『悲しみの果てに』 と歌いだした時、
 どっと涙があふれてきました。
 なんかこう、ものすごく悲しい気持ちになってきました。

 あの、言っときますが、
 わたしは不幸ではないです。
 広島でなにかつらいことがあって
 その気持ちをかかえて博多に来たとか、
 そんなことは全くないです。

 むしろ、その反対です。
 精神安定状態です。

 にもかかわらず、
 宮本さんが マイクスタンドをつかむようにして

 『コーヒーを飲もう』

 と歌うその姿や声が
 悲しく寂しかった過去のすべてを思い出しているようで
 その孤独さに胸がしめつけられるように思いました。




 そして、次の曲、「彼女は買い物の帰り道」。
 もうイントロを聞いただけで
 ぐっと新しい涙があふれてきました。

 と、いうか、
 「次、『彼女』や。」 と思っただけで泣いてました。


 しかし。

 なんか声が変やな、と気付いて
 宮本さんを凝視すると 頬がライトできらっと光りました。

 え? 泣いてる?

 と思った時、宮本さんは右手の人差し指で 

 (ピックを持ってるのでその指しかはなせなかった)

 横一文字に両の目の下をぬぐいました。
 髪をはらったのではなかったと思います。

 それからも、歌声が数ヶ所詰まり、
 わたしは自分が泣くのも忘れて
 え? え? と様子を見つめていました。

 しかし、そんな中でありながら、
 やはり、「でもわたしは」 の音は
 昨日同様しっかりと出ていました。


 歌が終わると宮本さんは、
 後ろを向いて アンプの上においてある黒のタオルで
 顔をごしごしと拭きました。

 となりの女の子ものぞきこむようにして
 その宮本さんを見ていたので
 この子も 「泣いてたの?」 と確かめたかったのでしょう。

 ライブハウスとか、夏の野音だったら
 曲の間に顔の汗を拭くこともあるでしょうが、
 今日は快適に空調のきいたホール4曲目ですからね、
 やはり泣いていたのでしょうね。



 なぜ宮本さんが泣いたのかなんてことは
 誰にもわかりません。
 もしかしたら 本人にだってわからないかもしれません。

 わたしもさっき自分が泣いた意味がわからなかったですしね。

 でも、何度も聞き続けてきた「悲しみの果て」で
 今日、初めてなけてしまったこと、
 その後に続く 「彼女」の、
 その歌がどうかとか 声がどうかとかではなく、
 その後に歌われるのが 「彼女」 であったこと自体に
 涙があふれてしまったこと、
 このことを思うと、これはきっと
 宮本さんが とてつもなく 「悲しいもの」 を
 発信していたのではないか、と思うのです。

 芸術というものに向かう時にあふれてくる涙は
 いつもなにか具象があってのことではないと思います。

 美術館でふと立ち止まった絵に
 なんのわけもなく泣けてくるのと同じで
 音にもそういうものがあると思います。

 音、そのものの存在が琴線に触れる。 そして、涙となる。


 わたしは、宮本さんがいつも言う、
 「輝く熱い涙を流そう」 という言葉を
 気持ちはわかるけど
 もうちょっとこう、なんかないの、ベタすぎるやろ、と
 思わないでもありませんでした。

 でも、わかりました。

 宮本さんの熱い涙は 
 音楽という芸術に捧げられているものなのだと。

 音楽そのものによって得られる感動、
 (歌い手としても 聞き手としても)
 そして、その感動ゆえに手に入れることのできる輝く明日。

 宮本さんが求めているのはそこなんだと。

 この日の宮本さんの涙、
 そして自分が流した涙の中で
 そういうことを感じました。

 間違いなく 宮本さんはこれからも歩いていくことでしょう。



 そんなわけで、
 始まってからのこの4曲で
 ここ、福岡のライブは
 わたしにとって大きなクライマックスを迎えてしまったわけなんですが、
 それが、ここいらが
 芸術に携わる人の不思議さというか、
 この、「彼女」 の後、
 宮本さんは、突然お茶目に変身しました。

 「彼女」で泣いたことで
 何かが流れ落ちてしまったのでしょうかね。



 たとえば。

 しーんとした中、
 アコースティックギターへの持ち替えをしている宮本さんを
 会場中が期待を持って見守っている中、
 突然空気の読めない、
 「みやじ―!」
 という掛け声がかかりました。

 5年前だったら、
 ホール中が凍りついたでしょうね。
 
 しかし、今日の宮本さんは、
 「・・・・タイミングの悪い。」
 と言って ちょっと笑っていました。

 わたしがこの声をかけた人物で
 いくら笑いながらであっても
 宮本さんにこんなふうに言われたら
 もう死ぬほど落ち込んで 一生後悔してしまいそうですが、
 こういう人たちって
 「やった、ウケた」 って思うんでしょうね。

 いい時代になったもんだ、ほんまに。



 あとは、思い出したことをつらつら書いておきます。

 「旅」の、「ギター、俺」 は、
 今日は、「俺」 だけ言っていました。



 えと、これは、広島だったかもしれないですが、
 「赤き空よ!」 かなんかで
 歌いながらドラムの後ろまでまわっていって
 おいおい、どこまでいくねん、って思っていたら
 後ろからトミの首に腕をまわして 抱きついていました。

 客席から、微かに静かな拍手が起こりました。

 (これ、やっぱり、広島やな。
  福岡は、成ちゃん側やったから、見えへん角度のように思う)



 石くんには、

 「だから、俺の方向いてギター弾くなよ。
  前向いて弾けよ。」

 と言っていました。
 石くんは それを聞いて
 番頭さんのように

 「へ、旦那さま、恐れ入ります。」

 みたいにぺこってしてました。




 「幸せよ、」の時、
 ギターを弾く宮本さんの手から
 白いものが弾けて飛びました。
 宮本さんが、ちょっと手元を見ました。

 ピックが割れたかけらが飛んだように思われました。

 でも、宮本さんは、ピックを代えることなく
 そのまま弾いていました。
 曲の終わりに、どうするか、ピックを代えるかどうか見たかったのですが、
 次が「朝」で、暗転してしまったので
 わからずじまいでした。



 それから、これは、もう、ただの妄想と思って読んでください。
 夢みることだって人間大切ですから。

 「ファイティングマン」は、
 そりゃもう、盛り上がりますよね。
 わたしも盛り上がります。
 ていうか、ぷち、とキレてる状態です。

 たしか、宮本さんのシャツは黒だった。
 で、わたしたちのいる方へ来て、
 ほぼわたしの目の前で歌ってくれました。
 
 こういう時はどうするか。

 大変緊張します。
 身体、こわばります。

 ライブハウスだったら、
 もう、いてまえ―! ですけど、
 ホールではどうしたらいいのか、よくわかりません。

 しかしですね、
 頭では緊張しているのに、
 身体が勝手にですね、
 その、ボーカルが目の前に来たら
 とにかく手を伸ばして指をさす、という条件反射を
 某コミックバンドで身体に刻まれてしまいましたもんで
 わたしは、めっちゃ緊張しているにも関わらず
 宮本さんに向かって
 前のめりで腕を伸ばし 力いっぱい指をさしていました。

 まわりの女の子たちは腕を上げているものの、
 そこは女性らしく かわいらしくあげている中、
 わたしは、宮本さんの目を突かんばかりの勢いで
 指を伸ばしてしまいました。

 頭の中で、

 「ひえええええ、なにしてんねん、わたしぃいいい。
  こ、こわいよぉおぉおおおおぉ。」

 と思いながら。


 そしたら、そこらあたりをざっと見渡していた宮本さんの目が、
 わたしの指にとまりました。 (と、思いました)

 そして、わたしの指に向かって宮本さんも指をさしながら

 『お前の力必要さ!』

 と歌いました。 (と、思いました)


 うっわ、目会った!
 うっわ、わたしに歌った!
 うっわ! うっわ!


 へたりこみそうになりながら
 今度は向こう側で歌うために去っていく宮本さんの後ろ姿を見ました。

 待って、無理。
 あかん。




 この曲で終わりと思っていたので
 終わったらゆっくり妄想にひたろうと思っていたら
 宮本さんは、ローディさんに何か話して
 アコースティックギターを受け取りました。

 そして、「今宵の月のように」 を歌いました。

 これは、たぶん急きょ追加された曲だったのでしょうね。

 ふつうだったら、やった、一曲多く歌ってくれた、と思うところですが、
 わたしは、放心状態のまま、
 ここにいるやいないや わからないくらいに
 ぼけ〜・・・・と聞いていました。

 この歌になんの感情も動きませんでした。

 ああ、もったいない。



 すみません、しょうもない戯言でした。
 ごめんなさい。
 ま、記録ということで、お許しを。



 
 1回目のアンコールだったか、2回目だったか忘れましたが、
 舞台に出てきて マイクの前に立ち、
 「ありがとうございます。」 といったのはいいのですが、
 その後、もう一回、視力検査みたいに

 「あ・り・が・と・お・ご・ざ・い・ま・す。」

 と、一音ずつ大きく口を開いて言っていました。
 宮本さんやなかったら
 ふざけてんのんかいっ、と怒るところです。

 いえいえ、決して宮本さんを甘やかしてるんじゃないですよ。

 これが宮本さんの心のこもったお礼なんだとわかるからです。

 どんな人やねん。




 いやまあ、反対に
 どんなレポやねん、という声が聞こえてきますが、
 この日のライブは わたしにとっては、
 最初の4曲に尽きました。

 「ファイティングマン」で、弾けたとは言え、
 わたしの心の中に残ったのは
 センチメンタルでした。

 音楽って素敵だなあ、という思いが
 まるで恋人を思うかのような感傷的な気持ちで
 心にあふれていました。

 
 17:00から始まったライブだったので
 終わった時もまだ日が残っていて
 あたりは美しい黄昏でした。

 わたしは、始まる前に見た海を思い出して
 会場の後ろにある海の見える公園へ行き、
 ベンチに座って 
 暮れきっていない海や レストランの明りや、タワーのライティングを
 ぼんやりと見つめていました。

 そして、そこから駅まで
 まるで思いをひきずるかのように
 ひとりでとぼとぼ歩いていきました。

 
 夕暮れってやつぁ 美しいもんだなあ・・・・




   
 

 
 

 
  


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