気がつきゃライブの時間だぜ
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2007年09月30日(日)   ◎エレファントカシマシ@渋谷AX


 新幹線から降りて 東京駅のホームに降り立った時、
 「来れるもんやねんなあ・・・。」 って思いました。

 だって昨日は徳島におったんやもん。

 朝6:00のバスで 7:40に新神戸に着いて
 8:24のひかりで 11:40に東京。

 なんか夢の中の話しみたいな気がします。

 しかし、寒いぞ、東京。 しかも 雨。


 今日のライブは一般で取りました。
 前にも書いたけど
 もう東京遠征はしばらくやめようかな、と思って。

 でも結局、行けるライブに行かんかったってことにはなれへん、
 あとで すごく後悔する、って思って取りました。



 AX、ほんとにいいライブだったと思います。
 声もよく出てたし、
 宮本さんの思いもすっごく伝わってきたし、
 東京という地が宮本さんに与えるエネルギーも素晴らしいものだと
 心底感じました。

 今回 東京ライブを見て
 絶対これからも来れるだけ、
 暇とお金が許す限り東京に来ようと思いました。

 なぜなら東京のライブが
 エレカシの基本形だと思うからです。

 これがエレカシの真髄だと思うからです。


 わたしは AXでうたう宮本さんを見ながら
 なんてしあわせそうなんだろう、と思いました。

 地方ライブは 常に戦闘態勢ですが、
 ここでは悩んでいても 傷ついていても 苦しんでいても
 底には しあわせな気持ちがながれていると思いました。

 そして 名古屋で感じた衝動的な感動とはちがった、
 琴線の隣あたりにある、
 (琴線がごく私的なものであるとすれば)本能が司るような、
 そんな線が
 太く 低く 心地よい音を奏でて 震えているのを感じました。

 とても安心できて とても気持ちのいいもの。

 エレファントカシマシは
 そういう時期に入ってきたということなのでしょうか。


 今まで わたしがエレカシに求めてきたものは
 戦闘態勢だったと思います。

 (今も基本的にはそうです)

 なので 東京のライブに 「いまいち」感を持ったのでしょう。

 だけど 今回はそれがわかって
 そして それを感じることにわたし自身もしあわせを感じました。


 今回にしても
 わたしがすきなのは 名古屋のライブです。

 しかし 東京のライブには
 わたしの手の届かない、
 ほんとにいい意味での地元感覚を感じました。

 そして それが心地よかったわけです。


 怒り、怒鳴り、叫び。

 そんな表現方法の中にも
 心地のいいやさしさがかんじられました。

 これは 魅力です。
 なにか深いものだと思います。

 深いなにか、
 答えは出ずとも
 わたしはそれを追い求めるべく、
 これからも何度も東京の地に 降り立つことと思います。






 ライブの方は オープニングが 「俺たちの明日」 でした。
 この3つのライブ、
 全部オープニングはかえてきたようですね。

 わたしは 
 「ガストロンジャー」 「この世は最高!」 の流れがよかったな。



 それから 「クレッシェンド・デミネンド」 は
 出だしの歌詞が出てこなかったようで
 長いことイントロを弾いて
 それから石くんに歌詞を聴きにいったようでした。

 で、ふたりで確認しあって 歌に入ってました。

 その時の石くんの表情が
 とてもやさしげでした。



 「甘き絶望」 の時に
 石くんと成ちゃんが まんなかあたりで
 頭をつき合わせて 演奏していました。

 わたしはなんかツボに入って 笑いまくりました。

 その上 宮本さんの動きもめちゃ変で
 文楽人形が お遊戯しているみたいでした。


 この曲でしたかね、
 シングルにしようかな、って言ったら
 みんなが黙りこくった、って言ってたの。

 みやじ色が強すぎるとかって。

 でも そんなんいうたら
 「男は行く」 とか 「曙光」 とか 「化ケモノ青年」 とか
 どうなるよ?

 宮本色満載やん。

 なんで今更?



 ・・・・あ! そうか!

 本気で売ろうと思ってる?

 よ―し、それやったら許す。




 名古屋、AXとも少し後ろで聴いたわけですが、
 とてもよくベースが聞こえました。

 そして ベースはなかなかいい、ということに
 やっと気付きました。

 派手ではないですが オーソドックスでもない。

 時折 「あれ?」 っていうくらい いいフレーズとかあって
 いいじゃないですか。

 あ、遅すぎますか。

 成ちゃん、ごめん。




 新曲のこと書きます。

 
 さくらの歌は とてもいい歌だと思いますが、
 なんで今ごろさくらなんや、と思います。

 なんでわざわざ エレカシがさくら?

 もっとちがう花できてほしかったようなきがする。


 なんかね、桜のちる様や 春の訪れに感動するのは
 年取った証拠ってことを 読んだことがあります。

 自分の命が 残り少なくなってきたことを感じ、
 新しい生命の息吹や 散りざまに
 心が動くのだとか。


 「さくらなんぞのどこがいい」 と歌ってた宮本さんが
 「年を取るのもいいもんだ」 って 思って
 桜の歌を歌うのは ある意味感慨深いですね。


 年齢を享受するのは たいせつなことです。
 かっこいいです。

 でもそれをふまえて
 「さくらなんか なんぼのもんやねん」 って気持ちを
 (この歌に関しては) 持ちつつ
 歌ってほしいというのが 正直な感想です。



 それから 「俺たちの明日」 は
 今回聴いているうちに
 これは 「絶好のうた」 みたいなもんや、と思いました。

 つまり 宮本さんが誰か友人にうたっているのではなく、
 誰かが宮本さんに向かって 歌っている歌やなあ、と。

 もっと言ってしまえば
 誰かが自分をこんなふうに見つめてうたってくれたらいいな、
 みたいな感じ。

 (元も子もないですけね・・・)

 「絶交のうた」 は自分で自分に歌ってるけど
 「俺たちの明日」 は 
 自分でない誰かが 自分に歌ってるように思います。

 そう思うと この歌は
 ただのおじさん応援ソングじゃなくて
 すごく複雑な心情と人生観を持った
 かなりどろどろした歌に聞こえてきます。

 それを さわやかな曲調でうたってしまう世界は
 ぞくぞくします。


 ジャケットの、
 指で四角をつくっている宮本さん。

 あれは 宮本さんがわたしたちを
 写し取ろうとしているんじゃない。

 わたしたちが 宮本さんを写し取るのかもしれない。

 だから わたしたちのカメラに写る宮本さんは
 たったあれだけなんでしょうね。




 え―と、論語の話しはおもしろかった。


 「和本の論語を買って、―これ自慢です、
  返り点とかうってあるのを読んだりして、
  全然わかんないですけど。」


 わ、わからんのかい!
 自慢ちゃうやん!
 ただのコレクターやん!


 ま―、悪いけど
 そんなコレクション自慢しても
 ここにいてる何人が
 「いいな―、うらやましいな―。」 って思うでしょうね?


 あ、もしかしたら
 論語買う女性ファンが増えるとか?

 わたし 「渋江抽斎」 は買うたけど
 論語はええわ。


 ・・・・なんて書きながら、
 さっき 本屋さんで

 『論語 一日一言』 という本をみかけ
 つい手に取ってしまいました。

 そしたら なかなかおもしろくて
 さすがに 今日は買わなかったんですが
 なんか そのうち買いそうな気がします・・・・・。

 自分で仕掛けたわなに 自分ではまったみたいだ・・・・・。




 



 


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