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占星術的には35歳前後は、太陽の年齢域から火星の年齢域に移る時期と言われる。 前後を省略すると、16〜25歳が金星の、26〜35歳が太陽、35〜45が火星の年齢域だ。 もちろん年齢はぴったりではなく、おおよそこのあたりという意味だ。
牛を捕まえる過程を描くことで、人間の悟りへの階梯を解いた禅の経典、十牛図に重ねると、 それぞれ見蹟(牛の足跡を見つける)、見牛(牛を見つける)、得牛(牛を捕まえる)と、言われている。
ざっくり言うと、金星の年齢域は『自分はこういう人間?こういう生き方をする?という予感・手掛かりを掴み』、 太陽の年齢域で(大河・清盛の言葉を借りると)『それを自分の軸とて固め』、火星の年齢域で『世間に自分を打ち出していく』となる。
演劇に例えると、演目を決めて⇒稽古して⇒発表して、のような感じ。
と考えると論語とも平仄はあう。 あれは10年単位だが、30にして立つとは、25歳での"演目決定"を終えているとのことだし、 40歳の不惑は、太陽期の後だ。
それぞれの年齢域。 誰もがきちんと惑星の意味するところを燃焼しつくすわけじゃない。 ぐずぐずだったり、身近な人に(夫とか)に託してやり過ごす場合もある。
太陽の年齢域を活かしきって生きると、"自分はこういう人だ"との揺るぎない核が出来る。 火星期には、それを俗(世間・時代)と折りあわせて行くことになる。 その過程で避けられないのが、火星の象意。戦い・摩擦・葛藤。
結果、傷がつく。自分が作り上げた美しい生き方に。
気高き理想、美学を貫くこと。 自分の人生を十全で一点の曇もないものとして生きること。
世間と折り合う以上それは無理。 火星期は、きらきらでけがれの無い透明に磨き上げた水晶球のような自分の美しさを、 砂嵐にさらすようなもの。
自分の美しさを守るためのFadeOut。 ぐだぐだになってまで時を重ねることを潔しとせず席を立つ。 あるいは、薄汚れた俗世に弾かれて無念の退場。
自分の核が美しく・硬く出来ているが故に火星期への移行をせずにこの世を去る。 35歳前後の死には、そのような解釈がはまる場合もある。
と聞いた時に、土方さん・頼長さま・半兵衛さま・ジョナサン・モーツァルト。 おや皆ハマるなぁと思った。 彼らの生き方の在りようがぼやっとしているとは誰も思うまい。
宮澤賢治もそこに入ると先日の朗読会で思った。 享年は35歳ではないけれども。
薄桜記の典膳さまも(二次元ではあるけれども)原作を読む限りは、美しく生きることに固執し破滅していく。 滅びのカタルシスと手の届かない美しさ・正しさへの俗人の憧れとして描かれている。
なぁんてことをつらつら頭に残していたので、あうるすぽっとの『tick,tick,Boom』のインタヴューが心に染みた。 『何が正しいとも間違ってるとも提示してないところです。「でも、とにかく生きてるんだよ!」ということを強烈に訴えかけてくれる。』
"今生きてる"を芯に持ってきてるーって。 ほっとしたし、やっぱり思いを託されてるよっ!って。 思った。
(追記)おりしも10月頭に土星が蠍座に入る。ほぼ2年半滞在。 土星の象意は努力・訓練・試練と言われるが、要は自分のエゴと社会とのすりあわせ。 太陽・火星が蠍座にあり、そもそも蠍座集中のホロスコープときては、こりゃまたきつそうだ。。。。 が、マイナスばかりではない。 試練の着地点は、自己研鑽を重ねてきた結果が、社会に認められるとのなのだ。 時間はかかるかもしれないが、その分ゆるぎなく強い。それが土星だ。 楽しみー。(ってS心か?)
alain
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