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2010年12月27日(月)

GODSPELL関連で書き遺したことを。

まず22日の件。観客席で知障がずっと歌うは叫ぶはうなるはしていた件。
「自分なら絶対、係員に文句言いにいくな〜」と言われた。

その気持ちはわかる。
が、全く大人しい方ではない私がNoReactionで終えた。

その思考過程を書く。

「観劇マナーを守りましょう。人の邪魔にならないようにしましょう。知障であろうとなかろうと。」
わかります。その意見も。

が、もろ手を挙げて賛同することが出来ないのだ。

観劇マナーって誰が決めたの?
手拍子だって音は出る。それはOK?
ROCK Concertとかだと逆に、じっと固まって座っていると雰囲気壊れると言われかねない。

その場をの空気を読んで、世間にあわす。
自分の好きに楽しむより、空気読むことを上に置く、「常識でしょ」「普通そうでしょ」
反抗しようにも実態のない束縛に縛られることを窮屈に感じ、悉く逆らってあえて無視して生きてきたのに、
人にはそれを強制するのか?!

それが第一。

そして第二が、『高いお金を出して行った元を取りたい』という根性って貧乏くさくないか?との思い。
江戸時代の歌舞伎や相撲の興行は、言うなれば、生演奏レストランのようなもので、
食事したり、知り合い見つけて話したりしつつも、「あ、この曲好きなのよ」と時折見る という程度であったらしい。
そもそも電気の無い時代、そうクリアに舞台が見られたとも思えない。

何か楽しかったよね。

ってその程度で良いのではないか?
一ミリも漏らさずに食い入るようにって、そんなケチくさい
(とか一々書いているのもケチくさい)という気持ちもある。

なので、もう、正直どうにもリアクションが取れなかった。
どうすれば良かったのかね?



その他、書き落していたこと。
・耕平くんが、外人のかつらをかぶった剛くん(SMAP)に見えると思って以来、もうそうにしか見えない。
・『フラニーとゾーイー』に出てくる"太っちょのおばさん"のことを思い出した。
「太っちょのおばさんのためにちゃんとやるんだよ」って。
太っちょのおばさんは誰でもあり、それがキリストなのだ、と。
・明恵上人の「あるべきようは」とか。
どんなものにも、それにふさわしい有るべき様を持っている。と。それは有るがままでではなく、意思を持って作られたもの。
"正解があるような気がする"というのと通じる。

そして。何と言っても無事終われたことが素晴らしい。
終わった今だから言語化するが最悪の可能性をどこまで考えていたのだろうか?

出演者が集まらない。
数は集まったが使えない。
仲が悪い。
意思統一が出来ず舞台が出来上がらない。
チケットが売れない。
急病人が出た。
観客席が盛り上がらない。

うーん。こう並べると、現在火消し役で関わっている現プロジェクトの問題点とかぶるな。
ジャンルは違えど人が集まって何かをなす場合の問題点ってある程度共通するものなのね。

それやこれやの芽が全く無かったとは思えないが、(人が集まる以上当然)、
それらを芽のうちに対処し、見事人の心を動かす作品を作ったことは、本当に尊敬する。

さて、明日も年内最後の火消しだ。
『GODSPELL』で貰った愛を種火に働け!


alain

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