|
2009年08月24日(月)
|
『ドリアングレイの肖像』@世田谷パブリックシアター
|
結論から言うと、嫌いでは、ない。 が、例えばRENTと同日同時刻で公演チケットが出されて「どっち?」 と言われたら、一秒も躊躇わずRENTを選ぶ。
骨格は受け入れられる。 この間の陽炎の辻3と異なって、軸がずれてる感じはしない。 枝葉のところ。 何と言っても衣装だよっ!
宣材写真あんなにかっこ良かったのに! SANKEI EXPRESSも良かったのに!
あのぺらぺらなソフトスーツはねーだろよ。 茶系でまとめたその他出演者に対してGRAY基調という方針はわかる。(あ、これだじゃれだったのか?)
にしても質感がカッティングが、もう少しなんとかならなかったのか。
2幕はさらに愕然と。 すっげー気持ちの悪い青みの入ったGRAYのスーツ。 やっぱりてろんてろんのソフトスーツで、しかも皺まで浮いてる! あぁもう気持ち冷める!
以前から、妙に凝った茶人か俳人チックなGRAYが嫌いだった。 色自体ではなくその色のスーツが嫌いだった。
渋好みの江戸では四十八茶百鼠といい、茶とねずみ色のバリエーションが多彩だったという。 だから、日本には妙に凝ったGRAYが多いのか? 着物ならいい!ともかくスーツには止めてくれ!
と思いつつ、じゃあ本家ロンドンではどうなのよ?!と、わざわざCityに観察にも行った。
妙に青みがかったり、緑入ってたり、そんな気持ちの悪いGRAYのスーツは誰も!着てなかった。 やっぱりスーツっつーか背広には、それに合う色っつーのがあるんだよ。 百鼠は着物だけにして欲しい。 スーツには黒と白を混ぜ合わせた無粋で不器用で正統なGRAYが合う。 っつか、俺はそれしか認めねぇっ!(って突然"俺")
後の枝葉で言うと・・・ ヘンリー卿の一幕の台詞が聞き取りにくい。 慣れの問題なのかなぁ。 山本さんのは妙にクリアなのに、他出演者の一音一音の粒が捕らえにくい。 かなりキャリア重ねている方々だからなぁ、やっぱり耳馴染みの問題なのだろうか?
バジルは声は素敵なんだけど、素敵に演技をしている感が残る。 そこにその人がいる、っつー架空のリアリティ、 (つまり、実物どおりに演じたら多分リアリティが欠如しているように見えるはず。 あたかもそこにいそうで、でも実は絶対にありえない。そんな架空のリアリティ、) がないように思えた。
背丈で言うと山本さんが一番でかくて、ちょっと妙な感じ。 もう一人二人長身が欲しい。 キャラ的にドリアンが一番でかいって、何か今一つ不自然では? その所為か、山本さんが妙に猫背だったのも気に入らない。
2幕はともかく、1幕冒頭は穢れを知らない白の存在なのだから、そこで猫背である必要はないでしょう。
舞台を見ていて、「あ、あれに似ている」と連想が飛んだのはゴルトベルク変奏曲。
この舞台。もちろん話はある。 けれど、話が太くとうとうと流れるというより、泡のごとくぽこっぽこっと水面で弾ける散文詩的なイメージ。
どの場面も1つの主題のVariationsであるように見えた。 場面場面が短く転換していく様は、合わせ鏡の中で果てしなく続く絵のようで、宇宙的な奥行きも見せつつ、 人の平衡感を削いでいく。
始終くるくる回るセットと相まって、軽く幻惑された印象。 この感覚は悪くない。むしろ好みだ。
あと、ヘンリー卿の言うこと&振る舞いにことごとく「わかるなぁ」と思ってしまい我ながら苦笑。 違いは私は遊ぶ時は自分のおもちゃ(つまり自分自身)で遊ぶということだけ。
愛でる気持ちと相反するようで値は一つの破壊願望、無知や無垢への憎悪と愛情と。 わかるねぇ。
人を動かすスキルがないからやらないけれど、あったら。 自分のおもちゃじゃなく、人をおもちゃに遊んだらさぞ楽しかろう。
alain
|