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2008年12月21日(日)

背中が痛い/『恋愛写真』『国境の南 太陽の西』

福利厚生でマッサージルームがある。
最長が40分コースで月3回まで利用可能。そして無料!

残念ながら、ずっと時間が合わず使うことが出来なかったのだけど、今年の10月に初めて行った。
身体のマッサージは初めて。

その後定期的に通ってる。何と言っても無料というのが良い。
(みんなのお金は、自分が使わなきゃ誰かのもんになっちゃうもんな)

で、今かえって背中が痛い。
固まりすぎていて、痛みすら感じない状態だったみたい。
肩が固まっているのはまだ多少の意識はあったのだけど、腰は自分では全くこってないと思っていた。
触られてびっくり。
背骨の横に、こりこりとした軟骨が!形状は"ささみ"。
背骨に沿って軟骨が・・・あるわけない!

「このこりこりはもしかして・・・?」
「筋肉が固まってます。」と断言される。

定期的に背中を解してもらい、
さらに、週1のエクセサイズでも背中と腰を緩めるようにしたら。
ここ最近は常にもみ返しのような症状で、かえって痛い。
が、痛みを感じるくらいは感覚が戻ってきたということを喜ぶべきなのだろう。

話は変わって。
先日、貰い物の『恋愛写真』by市川拓司を読んだ。

村上春樹のエンポリオっつーか、ケータイ小説Verというかと思いながら読んでいたら、
最後の著者紹介でインターネットで小説発表とあり、やはりと納得。

スイートJAMで小堺さんが言っていたことを思い出した。
"全部出さない。余白を内側に秘めておく"

村上春樹は別に好きではないが、彼の作品の持つ雰囲気には、
"一万円持っている人が2000円のものを価格ではなく、単に好きで買いました"という、余裕がある。
それは品にもつながるような気がする。

同じ比喩で例えると、この『恋愛写真』からは、400円しか持っていないのに、
「人に150円貸して」と頼んでまで、無理に500円のものを買い、しかも50円は財布に残す・・・
といういじましさと逞しさ(これは臆面もなく生き抜くという姿勢であり、その抑制の無さは品の無さと同義と思う)を感じた。


別の日に、『国境の南 太陽の西』by 村上春樹も読んた。
これも貰い物。

純粋な僕を臆面もなく正当化する姿勢にいらいらした。
品とか文学的スキルとか人間を描く・・・とかそういうこと以前に、彼の書く小説の登場人物は
ことごとく嫌いだ、ということを改めて確認。

多分、恋愛とか感情を日常生活よりも優位に置くところに、無責任さを感じてしまうのだろうと思う。
一旦生活を始めた以上、私は愛よりも運営の方が優位だと思っている。
派遣社員をいきなり解雇するのは会社の社会的責任としてどうなの?というのと同じレベルで思う。

特に奥さんに家庭運営を任せ(ということは社会的キャリアを程度の差はあれども中断させ)、
子供をもうけた以上、"僕は彼女が愛おしくて、二度と手放してはいけないと思った"とか言いながら、
女に走ることを正当化されても、ついていけない。
純愛が至高で継続は欺瞞という定義は生活とは別のところにおいて欲しいし、
それを突き詰めるならば、家族と生活とは求めないのが筋ではなかろうか。

男の人って、自分が肉体的にやや衰えたあたりで、やけに「オトコのロマン」とか言いたがるよな。
育ての父親もそんなこと言いながら、家を出て行きましたが。

倉本聡とか村上春樹とか才能がある人はその衝動を金銭に昇華し、
勢いのある人は過去履歴を吹き飛ばし、その他大多数の人は日常に放散し、その内のさらに一部は村上春樹に耽溺するのかもしれん。
どのタイプが好きかというと、そりゃ衝動を金銭に昇華する人。
金があれば大抵の矛盾も諍いも解決する。





alain

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