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2007年02月26日(月)

ヘドウィグ アンド アングリー インチの感想

『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』の観劇の感想。

まとめるのは後日として。
取り合えず、思いつくまま書いていく。

まず、英語歌詞で歌うことについて。
『別に構わない』という意見。

ミュージカルの日本語歌詞って、音数にはまってなかったり、
今時の日本語としてどーかと思うセンスだったり、率直に"いけてない"としか言いようのない時が多々ある。
いっそ英語で見せるというのは、それはそれでありだと思う。

英語で歌うことで出来る、舞台と観客との感覚的隔たりを"壁"と見立てる演出家の意図も、
気持ちは分からなくもない。


ただ、歌中のモノローグまで英語だとは思わなかった。
ここは日本語でも良かったんじゃないかなぁ。

あと、やっぱり歌に気持ちを乗せて演じて歌える山本耕史さんだからこそ、
日本語で聞いてみたかった気持ちはある。
前もって予習はしたので、意味は分かってはいたけれど、英語だとどこか腹に落ちきらない。

今CDで売られている曲って、サビ英語だったり、センテンスとか単語とかが英語だったりって
別に珍しいことではないのに、ミュージカルだとなぜ完全に日本語、じゃなければ、一切合財英語の2択に
なってしまうのかしら?

日本語入り英語、ないしは、その逆というごちゃまぜの訳詩っつーわけには行かないのだろうか?
J-POPの大半がそうなのだから耳馴染みも悪くないし、のりも崩さず、気持ちものせられるし。
何か障壁があるのかな。


"英語で歌う"ということを前もってチケット販売時に知らせて欲しかった。という感想も某所で目にした。
これは微妙。
自分は事前に情報集めるタイプなので知っていたが、何も知らずに見に行ったら、
いきなり一曲目が英語で、え?え?と思っていたら、2曲目も3曲目も・・・だと、
かなり舞台に入り込むまでに時間はかかりそうだ。

気持ちは分かるが、私は別に事前に公開の必要はなかったと思う。
演出の一部であり、他の情報はお知らせしないのに、言語にことさらに知らせる理由がないもの。

言語について知らせるのならば。
表現という範囲で同じグループに入る衣装についてだって、事前にお知らせするべき事柄になってしまう。
「ヘドウィグは網タイツはいて歌います!って前もって教えておいてくれるべき!だったらチケット買わなかった!」
という苦情はありorなしと言ったら、やっぱりなしだろうと思う。


英語は英語で良いんだけどさ。
こっちも凝り性で変なところ負けず嫌いなので、4月の厚生年金会館までには
英語歌詞覚える覚悟で取り組んでるからさ。(← この情熱が他になぜ行かない?)



ただ、どー考えても成立しないと思われるのが、「英語でもいいじゃん。」ということを、
演出家の鈴木勝秀さんが説明した本人ブログでのコメント。
(どこに行ったか分からなくなってしまって、うろ覚えなのだけれども)

「歌詞が分からなくても、外国の歌手が歌う歌に感動することはある。
完全にわかることが全てじゃない。」
と言う趣旨と、少なくとも以前読んだ時には、理解した。(間違っていたらごめん)

それはそうだ。
が、それと舞台を同一視するのには、論理の破綻があるように思う。

だって、好きな歌・感動した歌にあったら、普通どーする?
CDの形か、WEBで買うかはともかく、手元においてリピしない?
同じステージということで、外国人歌手のコンサートについて。
英語の歌詞の曲にも心を揺さぶられることはあるだろうけれど、コンサートの場合、
事前に曲が繰り返し繰り返し聞いて、すっかり自分の血肉としていて、
それに思い出なんかも重ねて既に持っていて、そしてステージを見に来るというのが多数派だと思う。

その場で、イチから雰囲気を作り、話を進め、見終わったら、基本そこでおしまい。
という一期一会の演劇と、リピ前提の歌を同一フィールドで語る、その根拠がわからない。

「えっ!少なくとも舞台って3回は見るものでしょ?」というのが前提ならば理屈は通るけど。
でも、それを観客に求めるのも無理があるよな。


わけのわからない理屈つけないで、
・日本語より英語の方がリズムに馴染むから良いかなと思って、とか
・英語という壁を構築し、観客との距離感がある中で舞台をスタートし、ラストで崩す構成こそがロックである。
・かつヘドウィグのストーリーともリンクする。

とでも、言ってくれれば素直に「そういう考えもありかも。」と言えるのだが。
歌詞が良く分からなくても好きな曲はある。とか言い出すから、話がわけわからなくなる。


・・・舞台の感想書く前に、長くなりすぎた。
今日はここでおしまい。

明日以降、随時続ける。
続けたい。。。


alain

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