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2006年10月13日(金)   16番目/問い/あの頃

ドクターゴーシュ再び。

きっちり2週間で再度ドクターゴーシュの診察室をノックしたのはここ数日処方どおりに薬を飲まないと眠れないからである。ロヒプノール2ミリを1錠、というのが今の処方なのだが、少し前までそれを半分に割ってそれをさらに半分に割って、要するに0.5ミリでやってくる微かな眠気でどうにかなっていた。中途覚醒はもともとないので寝入ってしまえばあとは問題ない。4時間か5時間くらいはそのまんま夢を見ていられる。だがここ数日は2ミリきっちり、時には引き出しの在庫、たいていはきつすぎてあんまり飲みたくないような、から+α、でなければ脳内が沈黙してくれない。

診察券を提示すると「16番目です」と受付嬢。軽く2時間コースである。2週間前と同じカフェに行き、今日はアイスティー1杯でポール・オースターの『リヴァイアサン』を読みながら1時間半ほど粘り、奇妙に明るく整頓された待合室のふかふかのソファに座って待つこと1時間弱。

ドクターゴーシュの声は深くて暖かい。

だからつい、型どおりの問診のあと、問うてみた。

真綿を詰め込まれていたり鉄の棒を飲み込まされていたり心臓を鷲摑みにされていたりして真夜中に絶叫したり新聞紙を引きちぎって部屋中にばらまいたりしながらどうにか対処している私の不安、は普遍的なものであるのか、それとも病的な範疇にあるものなのか。

ドクターゴーシュはあくまでやさしく笑う。

「貴女ならお分かりになるはずですよ、その頃と」

といって私の左腕のあたりを見やる。

「比べてごらんなさい。」

その頃、

一日中泣いていたり一日中どうやって死ぬかばかりを考えていたり睡眠薬を何錠もアルコールと一緒に飲んで気がついたら屋上のフェンスを握ったまんま倒れていたり目覚めたら部屋中に血痕が飛び散っていて左腕には包帯がぐるぐる巻きになっていたりした頃、

「確実に狂っていた」としか表現しようのない頃、

を通過しての今。

「そうですね。」
「貴女はもうご自分を傷つけたりはなさらない。」
「はい。」
「ご自分をコントロールするすべをご存知だ。」
「はい。」
「貴女は大丈夫です。」

はい、と答えたあと、少しだけ泣きたくなった。

その後ドクターゴーシュがなんと続けたのか、あんまり覚えていない。多分、誰しも皆不安ですよ、とか、そういうときもあります、とか、そういった、また型どおりの答えだったと思う。答えははじめから分かっているのだ。「不安」は前提として、条件として、つねにすでに、そこにある。病的か、そうでないかを決定するのは当人の意識だ。そして私は今、自分が病的でないことを知っている。

ロヒプノールとデパス(+α、に関してはしこたま叱られた)、「お守り程度」のレキソタン3錠の処方箋を受け取り、またハイヒールのかかとを音高く鳴らしながら家路についた。

あの頃、に比べれば何もかも平気だ。

また唇の端っこをつりあげて笑ってみせてから、平熱に戻る。


nadja. |mailblog