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ということに気づいた。 *** 言語一般に対する不信であるならそれは哲学或いは言語学の領域の話で、それこそ私は何百という傍証をひいて原稿用紙100枚くらいの論文を書くことだってできる。 だが愛の言葉に対する不信は致命的だ。 「記号は証拠にならない。誰にだって、偽りの記号、両義の記号を作り出すことができるからだ。だからこそ、逆説的なことではあるが、言語の全能性へと向わざるをえないのである。なにひとつ言語を保証するものがないのだから、わたしは、言語そのものを唯一で最終的な保証とみなすだろう。わたしはもはや解釈を信じないだろう。あの人のことばは、すべて真実の記号として受けとるだろう。自分が語るときにも、わたしの言うことを相手が真実として受けとるかどうか、疑ったりしないだろう」 なんならまだ続けてもいい。 「そしてひとたびそれが言われたならば、たとえ一時的にしろ、それが真実なのである」 (『恋愛のディスクール・断章』ロラン・バルト p.320-321) この礎石を抜きにして、いったいどんな言葉が可能だろう? 領域を踏み越えた不信は苦い。 いったい私に何が可能だろう、肉体を欠いたこの状況下で? 証拠にならぬ記号を信じること、それこそが愛することではないのか? *** だまされてみれば良いのだ。 安全な場所から 愛を求めるのは間違っている。 傷つく覚悟もなしに 愛を欲するのは間違っている。 だから私は走ったではないか。 |