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2006年09月03日(日)   行き着くところは

■けたたましい祭囃子に起こされる。いつの頃からか裏の神社で開催されるようになった、上方落語芸人の祭り。年々商魂ばかりたくましくなっていく裏の神社は数年前から木の手入れをしなくなり、うちのベランダからはお社が見えなくなってしまった。

■鉄砲でも、撃ちに行こうか、と思い立って出かけるも、射的の屋台は出ていなかった。クレー射撃をしたい、と思いはじめて一体何年だろう。金銭でどうにかなるような夢くらいとっととなんとかすれば良いのに。

■ふてくされて図書館へ行くことにした。地下鉄を待っているとき、レールの上を大きなゴキブリが我が物顔で走り回っていた。ヤツらは既に不死身の肉体を手に入れたようだ。頭の中でやみくろをゴキブリに置き換えてみて軽い吐き気を催しながら図書館で本を交換す。

■ジェイムソン『言語の牢獄―構造主義とロシア・フォルマリズム』/ボードリヤール『不可能な交換』/ミルネール『ファンタスマゴリア』。古典退治は一旦休止、観念のアクロバティックな戯れの中から印象的な言葉をつまみ出す。

■書かれた言葉は種子である。そして必然的に書くこととは播種である。受け手の土壌が悪ければ何も育たない。

■だから結局行き着くところはヴォルテール(Il faut cultiver notre jardin)なのである。


nadja. |mailblog