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2006年08月26日(土)   言語、という絶望

「主体が想像界の罠にかけられると言うとき、ラカンが言わんとしているのは、主体は自分の外部にあるものを想像することはできない、つまりそれ自体で主体が想像界を越えることを許すような手段を想像界は提供できない、ということなのである。」(ジョアン・コプチェク『わたしの欲望を読みなさい』 p.52)

私が想像するあなたは私自身でありあなたが想像する私はあなた自身である。

私は私に対してすら虚構だ。

言語、という絶望、独房、あるいは慰め。


nadja. |mailblog