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2006年07月11日(火)   ばあばを拾う

一昨年あたりから、目が見えにくくなった、と言っていた。昨年の暮れに大きな眼科へ検査にいって、白内障の手術をすすめられて日取りまで決めてもらったのに、いざとなったら怖くなったみたいで「福岡の親戚が急に入院して」とかなんとか大芝居を打って取りやめた(このあたりのちゃっかり具合は隔世遺伝で私に受け継がれている)。でも先月になってまた、同じ眼科に行きだして、今度こそ腹をくくったのだな、と母も私も思っていた。

のに。

今日になってまた、「福岡の親戚が亡くなって」という巧妙な言い訳(それもきっちり時系列が整っている!)を思いついたらしく、眼科に電話をするというので母も私も慌てた。手術の前の日に限って入院したり亡くなったりする都合のいい親戚などいるわけがない。だいたいばあばのいう福岡の親戚は5年ほど前に亡くなっているのだ。それにこのペースで行けばまた今年の年末くらいに手術の予約を取り付けて、今度は誰か新しい親戚が具合を悪くするに違いないではないか。

事実、ばあばの右目は、白く濁っている。両目で見るとちゃんと見える、と言い張るけれど、2時間ほどで帰れる手術なのだから、母としても私としても今、受けておいてもらいたいのだ。

私が中学生のとき、ばあばは家を出ていってしまった。あのときから、私はばあばに捨てられたのだ、とずっとずっと思ってきた。けれども今日、やせ衰えて自転車にも最近乗れなくなったばあばをしみじみ眺めていると、私もまた、ばあばを捨てたのだなと、思えてきて仕方なかった。

一緒に旅行へ行っただろうか。買い物に行っただろうか。ばあばが一人で暮らしているマンションへ何回遊びに行っただろう。料理を作ってあげたことは、本を読み聞かせてあげたことは、肩をもんであげたことは、あっただろうか。

折りよく今日は裏の神社のお祭りで、本当に、一体何年ぶりだろう、随分小さくなったばあばとふたりで、お参りに行った。ちょっと前まで、矍鑠として、背筋の伸びた美しい人であったのに、とぼとぼと、足をひきずるようにして歩く。ほんまに久しぶりやなぁと何度も何度も繰り返すばあばは喫茶店で美味しそうにアイスコーヒーを飲みながら、やっと、「明日行くわ」と言ってくれた。

多分それほど遠くない日に、私はばあばの骨を拾うことになる。でもその前に、できるうちに、ばあばを拾いに行こう。細くなった腕を取り、手を引いて、市場でもいいし、近所の公園でもいい、一緒に歩こう。昔の話をたくさん聞いて、それはたしか5分前に聞いたんじゃなかったかなと思いながらうんうん、と頷こう。

そんなことを、思った。


nadja. |mailblog