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わざわざ感動を求めて出かける、という身振りの耐え難いわざとらしさ、ライブハウスでステージを見上げているヒトの身振りにはどこか卑屈なものがある・・・と思うのは私だけだろうか?盛り上がらなくちゃ、楽しまなくちゃという強迫観念にも似た身振りも含めて十数年前にはじめてコンサートというものに参加したときからつきまとっている違和感なのだけれども?もしかすると私は音楽というものの本質をなんら分かっていないのかもしれないのでそれは個人的な雑感、としてさておき、この3LDKの城の中で虫歯の具合が悪いのか、ひっきりなしに口をくちゃくちゃと鳴らす父親にほとんど殺意に近いものを感じてもまだ、金縛りはとけない。 ここで自らにある病名を冠することが当然のことながら検討されるわけなのだがそれもまたわざわざ安心を求める身振りでありうるのだから一体「わざわざ」というたった4文字の副詞から逃れるにはどうすればいいのだろう? −何よりも滑稽なのはこうして「わざわざ」一連の思考の流れおよび動作を書きつけて(文字通り書きつけて、だ。この長ったらしい文章には本当に手書きの下書きが存在する)いることである、という救い難い矛盾に気づいたところでようやく腰があたたまったのかエンジンがかかって出かけることができた。 したがって今日トラはデートをしていない。許せ。 |