index|past|will
ぎりぎりぎり、と軋んだ音を立てて時間軸が捩れていく。 けれど同じものは回帰しない。ドゥルーズは「永劫回帰とは選択的である」と書いた。「肯定のみが回帰する」とも書いた。「あらゆる否定的なものを放逐する」とも書いた。 選ばなければならない。 絶対の不毛を受け入れるや否や? そしてさらに、ニーチェ的意味においての、高次の永劫回帰において、この選択を再び生きたいと願うことができるか? ・・・不必要な場面で必要以上に硬い言葉を置こうとするのは直視できない現実がそこに横たわっている証拠である。アフォリズムは現実を回避するための手段にほかならない。慟哭や憤怒に比べれば若干体裁の良い排泄行為・・・。 乞う、のか? 乞う価値のない非情さを? それこそが放逐すべき、「否定的なもの」ではないのか? ぎりぎりぎり、という軋んだ音はあらゆる否定的なものを連れてくる。開けるべきでない扉かもしれない、開けて乗り越えるべき扉なのかもしれない。 「否定的なもののもとへの滞留」。 |