★神主の遠吠え日記☆

2006年10月20日(金) すり替えねのは、お手の物

本日は皇后陛下のお誕生日、地久節です。
72歳をお迎えとのこと、心よりお祝いを申し上げます。

さて、お隣の半島の北の方では、愈々終焉を迎えようとしているのか。
核で対抗しようとしているが、「きちがいに刃物」となるのか、はたまた「子どものようにダダをこね」ているのか。
中国、韓国は今後どんな手をうつのか。

そんな脅威の中にあって、我が国では、核の議論も許されないと言うの?

《朝日新聞社説引用開始》
「核」論議 外相の答弁は不適切だ
 なんとも危うく、不見識な発言だ。核兵器の保有に関する麻生外相の国会答弁は聞き捨てならない
 「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」
 「無知なままいくより、きちんと勉強した上で持たないというのも一つの選択だ」
 日本も核兵器を持つべきかどうか。そんな議論を始めようということなのか。
 外相の指摘を待つまでもなく、この問題はすでに自由に論議されている。「核の抑止力」は国際政治を論じるうえで中心テーマのひとつだ。
 むろん、国内では核保有への反対論が主流だが、政治学者らのなかには、日本が核武装を論議するだけでも中国や米国を牽制(けんせい)できるという意見もある。
 しかし、外相という立場でこの論議を後押しするような発言をするとなると、話は別だ。
 政府の立場は「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を維持することで一貫している。安倍首相も「この話はすでに終わった議論だ」とはっきり語っている。
 なのに、その政府で外交政策の責任者をつとめる人物が「議論を」と言えば、では日本は政策変更を考えているのか、と受け取られる恐れがある。間違ったメッセージを世界に発しかねない
 さきに自民党の中川昭一政調会長が同様の発言をしたとき、そのニュースは世界各国で報じられた。北朝鮮が持てば、次は日本か、韓国かなどと「核ドミノ」の懸念が語られている時である。注目を集めるのは当然だ。
 麻生氏の発言は、ここにもうひと波乱起こそうということなのだろうか。非核三原則は守ると言いつつも、この時期に、そんな危うい発言を繰り返す外相の見識を疑う。
 いま、国際社会は北朝鮮に核を放棄させるため国連の制裁決議で結束し、圧力をかけようとしている。ライス米国務長官は日本、韓国、中国を駆けめぐる。中国の唐家シュワン国務委員らは平壌に乗り込んで、金正日総書記の説得にあたった。懸命の外交努力が続いているのだ。
 そのときに日本の外相が核について語るべきことがあるとすれば、それはなぜ日本は持たないかという、核不拡散にかける思いのはずだ。核保有の問題をもてあそぶかのような発言は慎むべきだ。
 批判に対し、麻生氏は「言論を封殺するという考え方にはくみしない」などと答えた。話をすり替えてはいけない。外相や自民党政調会長といった、政府与党の重い立場にある人の発言として不適切だと、その内容を問うているのだ。「言論の自由」を振りかざす問題ではない
 北朝鮮にどうやって核を手放させるのか。世界が知恵を絞っている時に、政府与党から方向違いのメッセージが出され、誤解を招くのは迷惑だ
《引用終了》

笑っちゃいません?この社説。
外相は「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」 「無知なままいくより、きちんと勉強した上で持たないというのも一つの選択だ」と言ったに過ぎない。
いったいどこが不見識で不適切だと言うのだろうか。
「間違ったメッセージ」を世界に発しているのは、さてどこの新聞社でしょうか?そうなることを期待しているような文章。
「議論してもいいのではないか」という話を「核兵器を持つべきかどうか」と話をすり替えているのは、どちらだと思います?
それこそ「話のすり替え」で方向違いのメッセージを出され、誤解を招くのは迷惑です!


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