月に舞う桜

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2006年07月15日(土) プラスを共有する

どちらかと言えば冬より夏の方が好きだけれど、それにしても最高気温が人間の平熱ほどもあるなんて暑すぎる! 特に駅構内はこれでもかというくらい蒸し暑くて、比喩じゃなく本当に息苦しかった。「暑い」という文字がありとあらゆるフォントで頭の中に並ぶ始末。
そして電車の中は寒すぎる。体がついていかない。ぎゃー!
心の中で「何でこんなに暑いんだ!」と悪態をつきながらどこへ行ったかというと、カウンセリング理論の一つであるTA(Transactional Analysis)の講座に参加したのだった。月に1回、全3回行われる講座で、今日はその第2回目だった。
教室の中は前回より構えが取れた雰囲気だったし、私自身も前回知り合った方と休憩時間にいろいろとお話させて頂いたりしてリラックスしていられた。同じものを勉強しているという人間関係は、垣根を取っ払いやすいのかもしれない。まぁ、これがカウンセリングを学んだ者同士の特徴かもしれないけれども。

子どもを産み育てるのはなんと恐ろしいことなんだろうと、また甚だ見当違いなメッセージを受け取っている自分に気づく。講師はそんなことを伝えようとしているわけではないのだ。私は自分で間違った受取り方をしていると分かっているのだから別にいいか、と思うことにする。
親の存在と生育環境は子どもに大きな影響を及ぼす。私は自分が一人の人間(それも、これから育っていこうとする未熟な人間)に対してそれほどまでの影響力を持つ存在になることが怖くてたまらないので、「親」というものになるつもりはない。
人間は8歳までに他人との関わり方や物事の見方や物事への姿勢を習得・決定し、それ以降は8歳までに獲得したものの証拠固めをして生きていく、という。それが本当なのかどうか私は分からないけれど、間違った視点でメッセージを受け取ってしまうことも、私がしている証拠固めの一つなのかもしれない。そう思って、苦笑した。

こんな個人的なひねくれはさておき、なるほどと思った話を。
職場では「問題が起きたらすぐに報告しなさい」と言われることは多くてそれは確かに必要なことなのだが、「よかったこと」を報告しようという雰囲気はないし、「よかったこと」というのはあまり共有されない。でも、「よかったこと」も職場の仲間にどんどん話して、嬉しい気持ちを共有した方がいいんですよ、と講師の先生が仰っていた。そもそも、問題を報告すると怒られることが多いわけで、「言うとまた怒られるだろうなぁ」と思って言いにくくなるし憂鬱になってしまう。問題が起きたときしか報告しないような風土だと、息が詰まって人間関係が円滑にいかないこともある。だから、普段からよいことこそどんどん言えるような関係を作っておくのが良い、と。
自分を振り返ると、確かにそうなのだ。チームでの仕事なら一つのプロジェクトが終わったときに打ち上げをやって達成感を共有することも多いだろうけれど、オペレーターなんてまさに個人プレイなので、意識していないと「よかったこと」を共有しづらい。私も、仲間内で愚痴ならガンガン言うけれど、思いのほかうまく行って嬉しかった応対のことはあまり話さないもの。
仲間と話せる時間は限られているから、嬉しかったことより愚痴が優先されるのは当然のことだ。私も含めて、皆「これを話して発散したい!」と思っているわけだから。そして、愚痴を言い合うことはそのあとの仕事をスムーズにこなすためにもとても重要なことだ。
でも、「よかったこと」を共有するのも本当は同じくらい重要なのだろうな。嬉しい気持ちを人に話す。健全な人間関係であれば、たいていの場合は聴いた方も嬉しい気持ちになる。話した方は「よかったね」とか「すごいね」などと言ってもらえて、さらに嬉しくなるし自信が増す。それがまた仕事への活力になるのだ。
それから、個人的にちょっと考えてしまたことがあった。仕事上での嬉しかったことを何となく話しづらいのは、「それって自慢?」と思われるのではないかという「構え」が私の中にあるからではないかな、と。これは私に限ったことではなくて、日本全体にある風潮かもしれないけれど。でも、「人にあまり自慢話をするものではない」というのは、たぶん間違った奥ゆかしさだよなぁと思う。
じゃあ連休明けから職場ですぐに「よかったこと」を共有できるようになるかと言えば、そんなことはないのだろうけれど、日々意識して、努力していければよいとは思う。忙しかったり愚痴が溜まったりすると、すぐに忘れるけれどね。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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