月に舞う桜

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2006年04月30日(日) そんなふうに細やかに

知らない方が楽に生きていけることは山ほどある。でも、知らなくちゃ、とも、知りたい、とも思う。
何かを知っていくとき、陰ばかりを拾わないようにしたい。たとえ絶望や暗闇や痛みやかなしみばかりが濃くても、そこにあるわずかな光を拾える人間になりたい。暗いものを見ないようにするのではなく、そういうものをきちんと受け止めつつ、光に気づける人間に。

夕方が夜へ移行する時間、エンヤを流しながら江國香織の短編集を読んでいた。こういうとき、なんて幸福なのだろうと思う。誰かと繋がることももちろん大切だけれど、誰にも介入されずに自分一人で好きなものに触れられる時間も、ものすごく大切だし必要なのだ。
ドラマチックなものを書くより、「何でもない日常」を魅力的に書くほうがずっと難しい(と私は思っている)。何でもない、ありふれた日常。意識して目を留めなければ見落としたまま通り過ぎてしまうような、ごく普通に流れていく日々。でも、そういった日々がたとえいつか忘れ去られるとしても、その瞬間だけは当人にとって特別なものであったりもするのだ。
二度と来ない、そのときだけの時間。偶然や必然が重なり合って起こる小さな小さな出来事たち。そういうものを、細やかに書けたらと思う。まだまだ遠いけれどもね。
小説を読んでいると、書き手という立場なんて廃業して純粋に読み手という立場だけになってしまおうか、なんて思うこともある。読み手であるだけでも、私は充たされるのではないかと。けれども、次の瞬間には「こういうものを自分でも書きたい」という衝動が湧くんだ。
だから、今はまだ廃業できない。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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