私の雑記帳
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子供たちのピアノの発表会、今年は最初でたぶん最後?の姉妹連弾もあり、先はわからないが節目の年と思い、特に力を入れて、年明け早々から取り組んできた。
実は直前に思いがけない事件が私にも娘にもあり動揺した本番ではあったが、出来は75点くらい。もっと仕上がって欲しかったが、こんなものだろう。 いろいろ思うことは沢山ある。でもとにかく終わった。親の思い出作りのためにやらされているとしたら可哀相にも思うが、親の強制無くしては、上手くなるはずもない。 娘たちはピアノも音楽もたいして好きではない。私がやめてよいと言ったら、たぶん続けたいとは言わないだろう。それを思うと虚しくなる。 弾けるようになりたかったのは、他でもない私自身だったのだから虚しいのも仕方ない。 今年は最後から2番目に弾く、気難しい長女の念願で、従姉妹(私の姪・小1)を私が前日に三鷹に迎えに行き、当日に大きなバラの花束を渡してもらうという段取りに、どれだけ手間がかかったことか。そうまでしても、今年長女には気持ちよく弾いてもらいたいという、出来る限り最大限の私の配慮であった。 1分もじっとしていられない手のかかる姪を連れてくるにあたって大きなリスクもあり、また私と妹との関係も難しいところにあり、本当にぎりぎりのところでの決断だった。花を渡すだけのことながら、親である私から花束を貰うのは嫌だという。しかし、姪以外に適任者はいない。その子の親である私の妹は下の子供(2歳)に手がかかり、どうしても来られないという。だから私が迎えに行き、ご機嫌をとり、なんとか花束贈呈をやって「いただき」、三鷹までまた送り届けた。正直、姪には手を焼いたがこちらの頼みごとに、文句は一切言えない。 それでも発表会が、なんとか済んでくれてほっとした。 今朝になり、先生(私は個人的にも仲良く付き合ってもらっている)から電話があり、まあまあよかったという話と、彼女の兄嫁さん(そちらはもっとすごい先生で、毎年発表会の手伝いに来る。辛口で厳しい人)が、40人の出演者のなかで今回褒めた2〜3人のなかに次女の名前があったというのである。もともと野心?のある子や親のくるようなレベルの教室ではなく、とくにうちの次女は、同年代では下手な方だと思っているぐらいなので、まったく思いがけないことだった。もっときちんと練習させれば、あるいは長女より上手くなるのかもしれない。長女は感情の起伏が激しく(私に似ている)、ピアノを憎んでいるようなところがある。見ていてわかるが、弾き方も(指の形)きれいではない。何度も注意されているが、変な癖が直らない。だからきれいな音が出ない。致命的かもしれない。
次女は、やる気も向上心も無いが、何も考えていない分、素直に吸収できるところはある。とにかくまさか、あの厳しい人が少しでも褒めたというのは本当に驚いたし嬉しかった。といっても所詮はなにもかも親の自己満足だが。
うちにはオルガンに毛が生えた程度のグラビノーバしかなく、ハッキリ言ってそれでは練習にはならない。でもピアノを置ける環境ではなくまたお金もない。続けさせるには、なんとかしなければ、と焦りが強くなってはいる。本当はやっぱりピアノが欲しい。そもそも今うちはピアノを習える状況ではなく、かなり無理をした大きな贅沢であることも私の胸のつかえになっている。いまの私の置かれた状況では分不相応もはなはだしいと自分でよくわかっている。
☆
頑張らなければ、と思う気持ちと、何もかもが虚しい気持ちが入り乱れている。暗闇に引き込まれそうなのだが、気持ちを切り替えて落ち着きを取り戻そうと、いま懸命になっている。いやでも辛くても、やはり生きなければならない。
三鷹で妹に思いがけない、きついことを言われた。 それはお互いの考え方の違いであるから、私は形こそ謝罪したが、ショックはおおきく、やはりどこまでいっても妹とは分かり合えないのだと心底身に沁みた。妹に気づかれぬよう私は、声を殺して泣いた。 身内だろうが血のつながりがあろうが、他者とは分かり合えない。 大人になってから、元は私の失言からだったとしても、私の心に残るいくつかの厳しい言葉を私は忘れてはいない。無論、引き金は私なのだから妹をせめられはしない。だとしても、私はひどく傷ついたり虚しい思いをさせられたのもまた事実である。
わたしは今度こそ、これ以上傷つきたくないから、これからは心の距離をとろうと決心した。 期待しても仕方がない、考え方がまるでちがう。子供の頃に散々いじめたことを私は悔いているし大人になってから何度か謝罪もした。私の罪はなくなりはしないが、未来に向かっては、私なりに妹とはうまく仲良くやっていきたいと本気で思っていた。 でもその方向が妹とは違う。 悪意ではないので妹にはわからぬだろうが、私は大人になってから妹の言葉で何度も傷ついた。 (もちろん、私も知らずにひどいことをしたり言ったりしているのだろう)
でも、もうたくさんだ。 私の気持ちなど、もうわかってもらえなくていい。もう近づかないことに尽きる。心に壁を作り、自分が傷つかないように、より注意するのだ。 人を恨むより、自分の身は自分で守らなければならない。 だれかにわかってもらいたいなどと思うのがほとんど無理な話であり、期待をするから落胆もする。
寄りかかりたいけれど、本当は誰もいないことに、悲しいけれど気が付かなくてはならない。 満たされない気持ちはどうすればいいか。少なくともそれは自分自身でなんとかすべきことであり、自分のご機嫌を他者にゆだねてはならないと、幾度となく思う。 でも、私はさみしくて泣く。泣いても事態は変わらず、まだ生きなければならないことを虚しく思う。
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