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考察と設定その一
その一 尸魂界について
�� どんな世界なのか
[考察]
→地区間の行き来は自由なのかどうか
原作内での夜一さんのセリフから、移動は自由(少なくとも障害はない)ように見受けられる。流魂街出身の死神達は最初に落とされた地区から移動してきていることもある。
しかし、普通の人々は苦しい地区からどうして移動しないのか疑問が残る。ここで生活していくのが苦しいならば地区番号の小さいところに移動すればいい話なので。
よって、移動は可能だが普通の人には障害がある、と考えられる。
その障害としては、「禁じられているのでばれたら罰則がある」というのは単純で判りやすいと思う。禁じておかないと皆が簡単に移動してしまって地区によっては過密してしまうし。
もう一つ考えられるのが、「移動に困難が伴う」ということ。山とか川とかあれば弱い人なら大変だろうと思うので。
→人々は集団で暮らしているようだがその規模はどれくらいなのか
原作で描写されていたのは地区番号一だろうから、最も治安が良い地区となる。そこで人々はどうも「長老」っぽい人を中心に?集団で生活していたように思える。家族のような共同体(以下、疑似家族とする)を小さな集団として、それらが集まって集落のようなものを形成しているようだ、な、と。
だから、疑似家族を基本とした小さな集落がぽつりぽつりとあるのではないか、と思われる。
人数がいればそれは自衛にもなるから、おそらく地区番号が大きいところでは、よりそういった集落が作られているのではないか。で、そういう集落に属せないはみ出し者がうろうろすることになるだろう。
→死神の食料や生活道具はどうなっているのか
あれだけ広い瀞霊廷には大勢の死神(とその関係者)が暮らしているのだろうし、それらの人々が必要とする食料その他も当然必要になるわけで。
それをあの瀞霊廷内で造れるのか、というと正直、疑問。
食料その他を作る場所・人は瀞霊廷外にどうしても必要。
そうすると、瀞霊廷に近い流魂街でそれらを作り、それと引き替えに流魂街の人は何か色々なものを得ていればお互いにいいと思う。
※だいたい、食べ物を必要としない、ということは怖ろしく退屈で不幸なことだと思う。楽でいいけど。でも食べることは快楽であり生きていく原動力の一つですから。何も必要としなくても生きていける、そのまま数十年もぼんやりしているのは苦痛以外のなにものでもないと。だから、流魂街の人々も食料は必要とするだろうし、娯楽や、何か目的を欲することになると思うのですよ。
以上のように考えて、できた設定が以下にあります。
[設定]
大きく五つに分けられており、中央に瀞霊廷(貴族・死神の居住する地域で尸魂界を統べている機関は全てここにある)、東西南北にそれぞれ流魂街(人間の魂魄が次の転生を待つ間に居住する区域)がある。流魂街と瀞霊廷を結ぶ道が、中央から東西南北に伸びており、それぞれ「○の大路(○には方位が入る)」と呼ばれる。ここを許可を得た商人や芸人が行き交う。
流魂街は広大で、それぞれが八十の地区に分けられている。瀞霊廷に近い地区から番号がふられ、数字が大きくなればなるほど治安が乱れる。地区を移動することは許可なしには許されていないが、基本的には黙認されており、大路にある関所(みたいなところ)で突破を試みるなどをしなければ別に問題ない。よって治安の悪い地区から逃れようとする者は多い。しかし、地区番号の大きい地区であればあるほど、地区の境は険しい谷や山、大河などであり、それを越えていくことは困難を極める。
(その地区境を越えて瀞霊廷まで辿り着くには、基本的に力が必要であり、ゆえに流魂街出身者の死神は力の強い者が多い。また、学院の試験を受けた時点で、地区を逃亡した罪は問われない)
地区番号の大きな地区は殆どが無法地帯だが、それでも大路の周辺では街が形成されている。花街が多いが、その花街を支える技術集団も多く、生活に必要な道具や娯楽の物はここで生産されていることが多い。街は地区の実力者(つまり霊力などがあり力のある大人達・死神になろうとは考えなかったヤクザ者)がまとめている。現世で何らかの職人だった者はここに連れてこられることが多い。
街に行けないような一般人は、それぞれ住みやすい場所で集落を形成する事が殆ど。そうすることによって、人数で自衛し、生活していく。食料を必要としない者が殆どだが、何かの祭や祝い事のために食料を集めることは行われている。皆、必要はなくとも味覚を失ったわけではなく、食べて味わうという快楽を捨てたわけではない。快楽の少ない地域では、食べることや性的なことは大事な快楽となっている(ゆえに、嫌な話だが食物と女性・子供は狙われることが多い)。
地区番号が小さくなるにつれ、治安は良くなり、人々はまとまりのある生活をしている。二十〜六十くらいまでは主に農業を行って、その作物等を瀞霊廷に送ることによって生活の糧を得ている。畜産や農業など職種は広く、それぞれの土地に合ったものを作っている。こうして得た糧で、主に娯楽のものや生活雑貨を得る。
更に番号が小さくなると、主に工業が発達している(といっても大規模なものではなく、家の中でやるような手工業)。家具や道具などを作る。これらも主に瀞霊廷に流れ、一部は流魂街に流れていく。
�� 人間の魂魄の在り方(霊力の有無を問わず)
[考察]
→成長はどうなっているのか
とりあえず流魂街で生きている間に、やちるもルキアも恋次も成長している描写がされているので、成長はするのでしょうよ(その速度は微妙に一定に見られないが)。
ただ、彼らの場合は霊力のある魂魄なので、それがない魂魄はどうなのでしょうか。
霊力のない普通の魂魄の、十分な時間経過のある描写が原作で特にされていないので、ここから先は妄想大爆発になるが。
流魂街にいる魂魄に成長がないとすると、赤ん坊でお亡くなりになってしまった人などどうすりゃいいんだ、という残酷な話になってしまう。子供だってそう。成長しない、ということはある程度の年齢であれば問題にはならないのかもしれないが、ある年齢にとっては死活問題になるし、精神面でも辛いと思う。ていうか、そんなの嫌だ。
流魂街でインコの坊やと一緒に暮らしている昭和二十年代に亡くなった少年から考えて、成長するとしたら、それはひどくゆっくりしたものだろう。それでも成長しないよりは、した方が(私としては)良いですよ、本当。
ただ、霊力のあるなしに関わらず、死神の皆様と比較して、流魂街の方は成長が早いように思う。これは、「恋次とルキアが十年間でそこそこ成長していること」と「幼いやちるがさほど成長していないこと」から。この二つの差は何かというと、死神になっているかいないか、ではないかと思うので。この話は後述するけれど、死神と普通の人間の魂魄では、すでに存在が別なので成長についても異なっているのではないか、と考える(あくまで死神と人間の魂魄であり、霊力の有無ではない)。
→いつになったら転生するのか
流魂街にいる人間の魂魄は、死ねば再び輪廻の輪に入って現世に生まれる、ということで基本はいいと思う。四十年ほどで生まれ変わる準備ができるだか何だか書いてあったように思うし(※つまり、流魂街にそう長くはいないということになる)。ただ、昭和二十年代の少年がまだいたことから、流魂街にいる時間は厳密に決まっていないのだろう。それに、流魂街に来てから四十年以内に殺される等のことも多いと思う。剣八の過去の描写から見るとさくさく殺し合っていたみたいだし。現世とのバランスを考えて状況に応じて転生、って感じでしょうか。ただ、転生準備ができていない魂魄が流魂街で殺されちゃったらどうするんだろう。
また、流魂街で魂魄がプールされている理由は、バランスを取る為、というほかに、現世との間に別の生活を置くことで少しずつ現世から思いを離すためというのもあるのではないかと考えたことがある。死んだばかりだと現世に残してきた色々なことに気を取られてしまうだろうけれど、目の前に生活があればそのうちに薄れていくものなので。そうして生まれ変われば現世の記憶などもなく、次の生を生きられるのかなと。
まあとりあえずこの辺は原作からはそう読みとれないのでこれくらい。
以上から適当に設定して以下のようになっています。
[設定]
人間の魂魄は、現世では通常、入っている器子の肉体と一体化しているので、成長速度もそれに準ずる。
尸魂界では成長は緩やかに、そして不定になる。幼い魂魄ほど成長速度は大きく、大人であればあるほどその速度は小さいが、おおよそ、一年分の成長に数年〜数十年かかる。それは霊力の有無にそう関わらないが、霊力のある魂魄は食料を十分に摂取しないと、魂魄のエネルギーを基本的な生活(動くとか呼吸とかそういうこと)に使用する為に成長はわずかに遅くなる。
魂魄は流魂街で生活をしながら次の生を待つことになる。流魂街での死亡が転生に繋がるのだが、転生までの(つまり死亡までの)期間は定まっていない。落とされてから数十年で転生準備は整うが、準備が終える前に流魂街で死亡することも多い。
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Life is but an empty dream