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扇
「あら、いろいろと手にして、どうしたの」 弓親が振り返ると、乱菊がそこにいた。書類をどこかに届ける途中なのだろうか、紙の束を手にしている。両手がふさがっている弓親は、ただ頭を下げた。 「お久しぶりです、乱菊さん」 「そうねえ。そういえば、久しぶりね」 急ぎではないのか、乱菊はゆったりと笑って弓親に近寄ってきた。そうして両手に抱えるものを覗き込んできて、そうするとさほど違わない背のせいか、乱菊の頭が弓親の目の前をかすめ、山吹色の髪からふわりと石鹸の香りが微かに立ち上る。こんな艶やかな女性から石鹸の香りとは、またそのギャップが美しいな、と弓親は思う。 「なんだか、贈り物のようね。どれも綺麗に包装されてる」 屈めていた背を伸ばし、乱菊が言った。弓親は微笑んで頷く。 「そうなんです。今日は僕の誕生日だとどこからか知った人が色々とくださいまして」 「あら、そうなの。おめでとう」 乱菊は大きく微笑んだ。 「あたし、そういうのなかなか覚えられなくて、遅れちゃったわね」 「いえいえ。乱菊さんのような美しい方から微笑まれるだけで僥倖というものです」 「上手ねえ」 空いている手を腰にあて、乱菊は笑った。そして、弓親の顔を覗き込む。 「さて、弓親。あんた、急ぎなの」 「いいえ、大丈夫ですが」 「そう。なら付き合って」 乱菊は向こうの角の店を指さした。浅黄色の暖簾のかかった、最近話題の茶店だった。 「ちょうど一区切りついてお茶したいって思ってたのよ。奢るわ。それがあたしからのお祝いってことで」 そう言って片目を瞑る乱菊に、弓親は微笑み返した。急ぎではなくとも、暇であるはずのない副隊長。そんなことは欠片も見せずに誘う乱菊を、弓親は好ましい先輩だと思っている。
手前の席に通されると、それぞれお品書きと睨み合って真剣に注文する。そして顔を見合わせて、おかしくなって笑った。 他愛もない話をして運ばれてくるのを待っていると、ふと乱菊が目線を動かした。弓親もつられて動かし、目線の先を見る。 透けた和紙に包まれた、扇だった。 「この時期に扇っていうのも珍しいわね」 乱菊が言う。 「贈り主の彼女もそう言っていたんですよね。この時期で申し訳ないけど、僕の斬魄刀のイメージってこんな感じじゃないかって思ったら、どうしてもこれを贈りたくなって、だそうで」 「あ、そうなの」 彼女と聞いてにやりと笑った乱菊に、弓親は苦笑いをして違いますよと言う。あんたはそうでしょうねと乱菊も笑った。 弓親は結っていた紐を解き、和紙から扇を取り出した。開くと、白檀の香りが微かに空中に放たれた。透かしで孔雀の羽が描かれており、それは華やかで鮮やかだった。 「優雅ねえ」 「そうですね」 片手でぱちんと閉じ、弓親はそっと和紙でくるむ。 「ただ、どうして彼女もこの時期で申し訳ないって言うのやら。まだ残暑で暑い日もなくはないのに」 そう言って首を傾げる弓親に、乱菊はひそりと呟いた。 「秋の扇だからよ」 中国の故事からきているのだけど、秋は涼しいから扇はもう必要ないでしょ、捨てられた女の人を表しているのよ、と乱菊は説明した。弓親は頷き、そして両手を顔の前で横に振る。 「僕は何もしていませんよ」 「分かってるわよ。だからその子もそんなことを言ったんでしょ。それに、その故事では男から女に扇を贈ってるんだし」 そのとき、店員が盆を持ってきた。それぞれの皿と湯飲みを前に置く。 「おめでと、弓親」 「ありがとうございます」 乱菊も弓親も茶に手を伸ばし、そこで少し言葉が途切れた。口の中に爽やかな茶の香りが広がるのを感じ、弓親は少し眼を閉じて、開けた。そして菓子を見る。 「美しい菓子ですね」 「人気なのよ、ここ」 乱菊は嬉しげに皿を手に取る。弓親もそれにならった。 「それにしても」 菓子を一口食べて、頷いて弓親は顔を上げる。 「それならば男性から女性に扇を贈るのは意味合いとしては微妙になりそうですね。そんな話があるのなら」 「そうでもないわよ」 すでに半分ほどを食べた乱菊が、茶を飲んで溜息をつく。 「その中国の故事を下にした日本の話からきている言葉で、扇の別れっていうのがあるもの。再会を約束して別れることよ」 「え、でも別れるんですか」 「んー。元々の話はね、男と女が出会って恋に落ちるんだけど、男は帰らなきゃいけないからって、再会を約束して扇を贈るのよ。でもなかなか男は戻らないから、お前は捨てられたって女の人は周囲に言われて、追い出されるのね。で、放浪してついにま物狂いになるんだけど、それでも扇は手放さないの。まあ、最後にはちゃんと男に出会えて、よかったね、って話」 弓親はきれいな形の眉を寄せて考え込んだ。 「美しいのか、そうではないのか」 「どうしたの?」 「いえ、想うあまり狂うのならば、そこまでならば美しいかな、と。でも僕は執着そのものは美しくはないと考えているので」 その言葉に乱菊はかすかに眉を寄せて、ふっと笑った。その笑みは見たこともない、消えそうな笑みで、弓親の胸の内はしんとする。 「まあ、そういうこともあるんじゃないの」 乱菊は囁くように言う。 「再会を約束する扇なんてものが目の前にあれば、諦めきれないでしょう。でも逆に、約束を形にしてくれるなんて、しあわせよね…………何もなくただ置いていかれるのは、少なくともあたしはあまり好きじゃないわ」 乱菊の眼はどこか遠くを見ていた。弓親は無言で茶を飲んだ。 そのときひゅっと小さく口笛がした。
びくっと二人の体が反応し、同じ方向を振り向いた。 「なら出かけるときは扇贈った方がええんやろかねえ」 「……市丸隊長」 二人同時に呟いた。銀髪の隊長が気配もなくそこにいた。 「驚かさないでくださいよ、市丸隊長」 完璧な笑顔で乱菊がそう言った。ギンはへらりと笑う。 「通りかかったら十番隊副隊長さんと十一番隊五席さんが茶ぁしてはるやろ。ええなあ思うて、寄ってみたんやけどね」 「なら気配を消さないでくださいね」 「で、仲良う何してはるんやろか」 「弓親が誕生日を迎えたので、奢ってるんです」 微笑み合う二人を眺め、弓親は首を傾げた。二人は同期だと聞いたことがあるけれど、その割に隙を見せない会話をしているように感じられる。唇に指をあて、見定めるように眼をつうと細めたとき、ギンがひょいと弓親に振り向いた。 「おめでとさん、五席さん」 「ありがとうございます、市丸隊長」 立ち上がって礼をしようとするとギンに止められた。ええから座っとき、とギンは弓親の肩を叩き、そして懐から懐紙に包まれたものを取り出した。 「ならボクから贈り物や。つまみにでもしたってや」 「ありがとうございます」 「何ですか、それ」 「えいひれ……ちょい、笑うたらあかんで。これほんまに上等なもんやで。驚くで、笑うたらあかん」 唇を震わせている乱菊に、ギンはそう言って、けれど自分も苦笑した。ふっと柔らかい空気が流れたことに気づき、弓親は目の前の二人を見比べる。乱菊とギンはお互いを遠くを見るように見ていた。 「よう分かった。もうすぐやし、ちょうどええ。このえいひれ贈ったるわ。笑えんようになるで、感動で」 「ありがたく戴きますわ。お待ちしております」 「それとも、扇贈ったほうがええやろか」 乱菊は動きを止めて、じっとギンを見上げた。そしてふっと笑う。 「形のある約束をしないと待っていられないような女じゃございませんし、市丸隊長をお待ちすることも特にないので結構です。どちらかというと常に執務室で隊長のお戻りを待っているイヅルに贈ってあげた方がいいんじゃないですか」 「男に贈ってどうするんや」 ギンがにやりと笑った。 「さすがは十番隊副隊長さんやねえ。ほな、邪魔してもうたね」 弓親が何か言う前に、ギンは羽織を翻して背を向けた。ひらひらと右手を振って、ギンはゆっくりと店を出ていく。 その逆光の背を見送って、乱菊が溜息をついた。弓親は少しだけ躊躇し、そして訊いた。 「乱菊さん」 「なあに」 「もうすぐだしちょうどいいって、何がですか」 乱菊はふふっと口元を綻ばせた。 「あたしの誕生日がもうすぐなのよ」 初耳だった。乱菊は人の誕生日を覚えない代わりに自分のそれを滅多に告げない。 「このあいだ、三番隊にお菓子を持って……いったらちょうど市丸隊長の誕生日だったらしくてね。そのお返しでしょ」 弓親は違和感を感じて、けれど浮かんできた言葉は飲み込んだ。乱菊はひそやかに微笑んでいる。弓親はただ、 「なら、その日には僕が扇をお贈りしましょう……約束でも何でもない、ただの美しい扇でしょうけどね」 と言った。 「あら、ありがとう。嬉しいわ。なら七緒の真似でもしちゃおうかな」 乱菊が弓親に微笑んだ。
『市 松 綾 誕生祭り』(-20051010)参加作品
ちょっと無理があるかな、とも思いますがそこは気合いで。お三方、おめでとうございます。三人とも好きなキャラなので、参加できて嬉しいです。 扇の言葉は本当にあるものです。簡単に書いたので、ちょっと違っているところもあるかもしれませんけれど。 扇、から連想したのが弓親の斬魄刀だったので、このようにしてみました。
……と、ここまでの独り言はこの話を書き上げた直後に書いたのですが。その後の展開で、弓親は乱菊さんにタメ口であることが判明したのでございますよ。あらら、どうしましょう。 一応、書き直しもナニなので、このままにしてあります。ほら、こういうこともあるかなってことで。
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