|
10 帰らずの
あこがれてあこがれてあこがれてこがれてやまなくて。 そのせなかしかみえなくてそのほほえみしかみえなくてただひたすらそのすがたにむかってかけていた。 そしてわたしがふみいれたのは。 かえらずの。
初めてお目にかかったのは、一年次の魂葬実習中、虚の群れに襲われたときでした。 私達一年生を逃すために一人残った先輩を見て、逃げて良いのかと私は自問しました。だって、虚は群れを成していて、先輩の御学友お二人は既に殺されて、先輩ただお一人でしたから。 私が立ち止まると、親しくしていた級友二人も立ち止まり、一緒になって先輩の元に向かいました。二人の級友は先輩を庇い、私は習いたての鬼道を虚に向かって放ちました。 けれど、力の差は歴然としていました。 私達は虚の群れに囲まれていたのです。 その無表情の、それでいて強欲な……欲しか残されていない虚の仮面に囲まれて、その無秩序の欲を身に向けられて、死の恐怖がようやく訪れました。それは静かに、けれど確実な、圧倒的な存在感をもって、ただひたひたとやって来るものです。一度、現世で死んでいるというのに、どうして死は常に恐ろしく、慣れることがないのでしょうか。 話がずれました。とにかく、私は、私達はそのとき、恐怖のあまり動けなくなっていたのです。 そのときでした。 強烈な霊圧とともに一陣の刃が虚を切り裂いたのは。 そして柔らかい微笑みと共に、刀を持った銀髪の死神と共に現れたのが、あのお方です。 五の字を背中に背負ったそのお方は、私達をその広い背に庇うと、銀髪の副隊長に何事か指示を出され、銀髪の副隊長は不穏な笑みを浮かべて次々と虚を切り裂いていきました。その強すぎる霊圧や、虚の残骸、刀をかいくぐってこちらに向かってくる虚から、私達をそのお方は庇い続けて下さったのでした。 その安心感と強烈な憧憬を、私は言葉にすることができません。
立ち去る二人の大きな影を見送りながら、私は二人の級友と、あんな風になりたいね、と話していました。二人の級友はどちらかというと、次々と虚を切り裂いた、圧倒的な強さを誇った銀髪の副隊長の姿に憧れたようでした。私は少し考えて、あのような安心感を与えられる人になりたいと、あのお方の姿を思い浮かべて答えました。 けれど、今になって思うと、私はあのような人になりたいと思ったわけではないようでした。 私は、あのお方に、憧れたのです。
あの日から、私は、あのお方のお側で働きたいと、お役に立ちたいと思い続けていました。ずっとずっと、憧れて憧れて憧れて……焦がれて。
卒業と同時に、希望通りに入隊できたときの喜びといったら。 遙か高みにいらっしゃる存在とはいえ、お人柄は少しずつ、知り得るようになります。あのお方は想像していた以上に、公明正大で、お優しくて、寛大でいらっしゃいました。圧倒的な強さと、並び立つ人のない高尚なお人柄。 どんな努力も苦になりませんでした。毎日の任務も鍛錬も勉強も何もかも、全てはあのお方のお役にたつためのことと思うと、心が浮き立つのでした。 私が入隊する直前に、銀髪の副隊長は別の隊を率いる隊長となり、副隊長の座がしばらく空席となっていました。数年して、副隊長に抜擢されたとき、私は驚きと喜びのあまり気を失うかと思いました。けれど、もうそんなことはできないと気を引き締めたのです。だって、最もお側でお仕えする身なのですから、気を失ってなどいられないのですから。
毎日が、至福の時でした。 春も夏も秋も冬も、私は喜びに満ちあふれていました。 あのお優しい微笑みが私に向けられると、頬が熱くなりました。あの柔らかいお声で話しかけて頂くと、耳の奥が溶けてしまうかと思いました。あの感情の名を私は知りません。知らなくても良かったのです。 私は何も知らずとも、ただお役に立てれば良かったのです。
あの時まで。
……あ……ああ、あの時とは何なのでしょうか。何か緋色のものが散っていく光景が朧気に思い出されますが、あれはいったい何だったのでしょうか。何か生暖かいものが体から流れ出していたように思うのですが、あれは何だったのでしょう。あのお方の手に握られた、あの緋色に染まった、ぎらりと光る、あれは、一体。
私は何も知らずとも構わなかったのです。戻れなくとも構わなかったのです。 ただひたすら、愚かにも、ただ真っ直ぐに緋色に染まった場所に向かっていたのだとしても。 そうなのだとしても。 私は本当に構わなかったのです。
自分で語るパターンです。雛森の心境って、想像しやすそうな気もするのですが、私は追っていくのがとても苦手なタイプの人です。 帰らずの、という言葉を見たときに、ああこれは雛森さんかな、と思いました。もちろん、彼女はまだ生きているに決まっていますよ。当然ですよ。ただ、彼女は真っ直ぐなあまり、引き返せない場所まで進んでしまったのではないかと思うのです。場所、というのは想いのあり方とでも言いましょうか。 あの真っ直ぐさは美徳だと思います。ただ、それこそが彼女を前へ前へと進ませてしまったのかな、と。
|
|