G*R menu


06 死に場所

 腐臭にも似た臭いが重く、地を這うように漂っていた。虚から緩く放たれる霊圧は、死の臭いがする。心なしか黄土色をしたそれは、怒号と咆哮の飛び交う方へ向かうほど濃くなっている。そこかしこにある廃屋は、何かがぶつかり合う音に揺れて少しずつ崩れ落ちていく。土埃が舞い上がり、視界を更に遮る。
 勇音は目を凝らした。
 睨むようにしても土埃と虚の霊圧に隠れて戦闘の様子は窺えない。勇音は薄黄色の臭気の中で神経を冴え渡らせる。奥の方で迸る稲妻のような霊圧はおそらく剣八のものだろうと、それに震える肌をさすって勇音は思う。その激しい霊圧に掻き消され、他の死神の霊圧を捉えることが難しかった。それでも勇音は四方八方に意識を向ける。
 ちりり、と肌に微かな霊圧を感じた。
 勇音は駆け出す。すぐに、二人の死神を肩に担いだ、血塗れの死神を見つけだす。
「後は、私が」
 声を掛けると、急に現れた勇音に驚くことなくその死神は厳つい顔をわずかに緩めた。勇音の両腕に脱力した二体を受け渡し、死神は軽く頭を下げる。
「頼んます」
 勇音は腕の中の体を見た。両方とも酷い裂傷があるが、それには軟膏が塗られていて血は止まっていた。勇音は目の前の、己も血塗れになっている死神を見る。
「あなたの血止めはまだ残ってますか」
 死神は首を横に振った。勇音は片手でどうにか二体を抱えると、懐から小さな瓶を取り出す。目で促すと、死神は手を出した。分厚い手のひらは血と泥で汚れきっている。勇音は眉をひそめて、しかし確かな声で、
「血をひどく失う前に、必ず、必ず塗ってください」
と言った。死神は無言で頷くと小瓶を懐にしまった。
「あなたは、大丈夫ですか」
 思わず勇音は問う。死神は岩のような顔をにやりと歪めて笑った。
「そりゃあ、更木隊っすから」
 低い声でそう答えて、死神は踵を返して靄のなかに消えていく。勇音は唇を噛んでそれを見送り、すぐに意識のない二体を肩に担いで、瞬歩でそこを離れた。

 廃村に潜んでいた虚の群れの、一掃作戦だった。
 十一番隊の戦闘に四番隊が随伴することは珍しい。それだけ激しい戦闘が予想されるということだったのか、命じられたときの剣八は一言二言、愚痴のように文句を口にし、渋りながらも了承した。そう、勇音は卯ノ花から聞いている。
「私達は、彼らの獲物を奪うわけではありませんし」
 卯ノ花は静かに語った。
「彼らの命を助ける為に随伴するわけでもないのですから。それを言われたら更木隊長も了承するでしょう」
「命を助ける為ではないなら、何の為に私達は赴くのですか」
 勇音は尋ねた。卯ノ花は微かに顔を曇らせた。
「傷を治して、再び動けるようにして、再び戦いに向かわせるためですよ」
 卯ノ花は揺らがない、明瞭に響く声で言った。
「覚悟なさい、勇音。今回の任務は、酷く厳しいものになるでしょう」

 そう言い切った卯ノ花は、戦闘区域の向こう側で治療に当たっているはずだった。四番隊は戦闘地域を挟むように二組に分かれている。勇音は卯ノ花の霊圧を探すように一瞬だけ耳を澄ませ、振り払うように首を横に振って前を向いた。
 土煙と臭気の向こうに治療に当たる四番隊の集団が見えた。
 勇音は一跳びで集団を飛び越えると、中央で指示を飛ばしていた伊江村の前に降りる。伊江村は驚くこともなく、軽く礼をした。
「伊江村三席、この方達をお願いします。それぞれ背中と腹部に裂傷。血は止まっていますが意識がなく、危険な状態です。私か貴方でないと、間に合いませんが、一人で?」
「問題ありません。了解しました」
 伊江村は眼鏡の位置を直すと、顔を巡らせた。
「一班、浄気結界の準備に入れ! 二人分だ。荻堂、私が両方の治療に当たるからその補助をしろ!」
「判りました」
 一班がすぐに集まり、結界の準備に入る。勇音は二体をそっと、傷を上にするように横たえた。キン、と金属的な音がしてその周囲に結界が張られる。間に伊江村が入り、彼の向かいに荻堂が座った。勇音はそれを確認すると他の斑に眼を向ける。
 どの斑も血塗れの死神を囲んで必死の治療に当たっている。くぐもった呻き声。痛みを堪える歯ぎしりの音。制止の声とそれを振り切って戦闘に戻ろうとする怒鳴り声。濃密な血の臭いが虚の臭気に混じり、目に映る光景はどこか霞んでいる。
 瞬間、全身にのしかかる重い気配が現れた。
 勇音がその方向に振り向くと同時に叫び声が上がる。土埃の向こうに、暗い影が複数見えた。勇音は反射的に言霊を呟くと、その方向に鬼道を撃ち出す。
 重い音が、轟いた。
 伊江村を振り返ると、彼はこの重い圧力に揺るぎもせずに治療に当たっていた。荻堂がわずかに勇音に眼をやり、小さく頷く。勇音は花太郎の姿を探した。花太郎は怪我人の前に片膝をついて、虚の方向を硬い顔で見ている。
「花太郎! この場を任せます!」
 鬼道を撃ち放ちながら、勇音は声を張り上げた。花太郎が虚をつかれた顔をして、すぐに慌てふためく。
「え、ええ、あの、僕なんか」
「山田七席!」
 勇音は裏返りそうな声を抑えて叫ぶ。花太郎は口を引き結んだ。
「伊江村三席は重傷者の治療中です! そうしたらこの場で指示を出せるのはあなただけでしょう! 軽傷者の治療に当たっている斑に防御結界を張らせて! 誰も結界から出さないように!」
「わ、判りました!」
 花太郎のその言葉が引き金のように、勇音は抜刀すると虚に向かって駆けだした。背中で花太郎の指示を出す声がする。金属音が続けざまに鳴り響き、薄い膜が虚との間に現れた。その膜を突き抜けて、勇音は目の前にいた虚をいきなり斬り捨てた。暗い臭いが断面から噴き出して、姿とともに溶けるように消える。その煙る影に飛び込むと、勇音は刀を突き立てた。金切り声があがる。耳を塞ぎたい衝動を勇音は奥歯を噛みしめて堪えた。鉄の味が口の中に広がる。
 ここで私が防がないと。
 勇音は自分に言い聞かせるように小さく叫ぶ。刀を振るうと勇音に伸ばされていた黒い腕が斬り裂かれ、霧のように形を崩した。
 ここで私が堪えないと。
 崩れた奥の体に刀を突き立てる。断末魔が響き渡り、勇音は気合いとともに斬り捨てた。嫌な感触が手に残る。贖罪のための斬撃とはいえ、この感触に勇音は慣れない。前に虚を斬ったのはいつだったろう。勇音は振り向きざま背後にいた虚を倒しながら、ふと、思った。
 一際重い気配が現れた。
 勇音は瞬間的に跳んで後退った。しゅ、と空気の擦れる音とともに立っていた地面がえぐれる。一跳び、二跳びして勇音は攻撃を避けた。槌のような腕が轟音を響かせて地面を叩き、えぐる。
 この場は、他に虚は残っていないようだった。勇音は周囲に気を巡らせてそれを確認すると、腕を避けて虚の頭上に跳び上がる。刀を構えた。
 と、急に虚の体が縦に斬り裂かれた。
 勇音が降りるよりも早く、虚は霧状になり溶けるように消えていく。勇音はその黒い霧の中を降り、着地した。刀を鞘におさめて霧の向こうを見る。
「……ありがとうございました」
 そう声を掛けると、ふふん、と軽い笑いがした。
「いえ、余計なお世話かな、とも思ったんですけどね。ま、戦闘で四番隊の手を煩わせたら更木隊失格ですから。失礼しました」
 虚の残骸が消えると、そこには血塗れで真紅に染まった綾瀬川弓親の姿があった。勇音はその姿に息を呑む。弓親の顔色は紙のように白い。その右半分を額から流れた血がおおっている。口元に浮かべている皮肉な笑みは日頃の弓親のものだったが、その口からも血が流れていた。
「なんて、酷いお怪我を」
「いえ、これくらいなんてことないんですけど」
 駆け寄って体を支えようとする勇音の手を止めて、弓親が苦笑した。
「さすがに戦闘の邪魔になりそうだったので、血だけでも止めてもらえますか。血止めを部下にやっちゃってさ」
 そう軽くかるく言い放つ弓親の体は揺れている。勇音が制止する手を振り払うと弓親の体は大きく傾いだ。それを両腕で抱き留めて、勇音は弓親の、汗と血と泥で濡れた髪に顔を埋めるようにする。
「治療しますから、お願いですから任せてください。戦場があなたの場所なら、ここは私の場所です。戦いには私は口を挟みませんから、ここでは私の言うことを聞いてください」
 小さな声で、しかしはっきりと勇音は言った。
 腕の中で弓親は小さく笑った。その笑みは力なく、だから勇音は眉を寄せる。弓親が勇音を見上げた。
「……まあ、仕方ないかな。さすがに突っ張れるほど血が残ってないや。血で汚してしまって申し訳ないけど、お願いします」
 はっきりとした声でそう言うと、弓親は眼を閉じた。腕に急に重みがかかり、勇音は慌てて抱き直す。そして意識を失った弓親を肩に担ぐと、勇音は踵を返して防御結界の中に飛び込んだ。

 勇音がまだ治療している間に弓親は目を覚ました。最も酷かった肩の傷に手を当てたまま、勇音は弓親の目を覗き込む。
「気分は、どうですか」
「……はっきりしています。痛いけどね。戦闘は」
「まだ終わりません」
 勇音がそう答えるやいなや、弓親は上半身を起こそうとした。勇音が止めようと肩を押さえると、その手首を握って弓親は射抜くような目で勇音を見る。勇音の背後で助手を務めていた四番隊員がざわめく。
「まだ治療中です」
「もう動けます。血は止まってますよね。傷も塞いでくれた。なら、僕はもう戦える。戻ります」
 弓親は勇音から眼をそらさない。勇音もまた、必死にその視線を受け止めていた。
「いいえ。私はあなたを死地に追いやるために傷を塞いだわけではありません。まだ、だめです!」
「そうだ。あなたは僕を死地に追いやるために治療したわけじゃない」
 静かに、しかし確かな声で弓親は言った。勇音は自分の手首を握りしめている骨張った手を意識する。自分のとそう変わらない大きさの弓親の手は、自分とは違う男の手をしていた。
「あなたは僕の生存確率を上げるために治療したんだろう? 戦いの場でよりよく動けるように、血を止めて傷を塞いで痛みを消して。それがあなたの任務だ。そして僕の任務は、戦うことだ」
 綺麗な顔は血を拭ったあとがまざまざとある。普段、優雅に風に揺れている飾り眉もまつげも血に濡れて重く垂れている。それでも弓親の眼は静かで確かで、少しばかり皮肉の笑みがある。普段通りに。
「何を迷うのさ。何を気にしているのさ。あなたは他人の血に塗れて必死に治療している姿が最も美しいのに。何も考えずに傷を癒していればいい。そうすれば僕らは生き残る確率が上がるんだ……それに」
 ふっと、弓親が口角を上げた。
「死地だなんて。僕がどうしてこんなところで死ぬと思うのかな。まだまだ、やらなきゃいけないこともしたいこともあるのに」
 その笑みを見て、勇音の口元もわずかに緩んだ。見慣れた笑みは血に濡れているが、それでも弓親は変わらずに笑っている。
「……判りました。くれぐれも、お気を付けて」
「そういうことで、さっさと行っちゃって下さい。お大事に」
 急に背後から声がして、勇音は体を硬直させる。弓親はにやりと片方の口の端を持ち上げた。
「冷たいね、荻堂」
「ウチの副隊長をそんなにいじめないでくださいよ。気にしやさんなんですから」
 勇音の背後で片膝をついている荻堂は、飄々とした顔でそう言うと懐から小瓶を取り出して弓親に渡す。
「予備の血止めです。さっさと塗らないと今度こそ死にますよ」
「了解。肝に銘じておくよ」
 弓親は立ち上がり、脇に置いてあった斬魄刀を手に取る。勇音はそれを正座したまま見上げる。
「では、ありがとうございました。虎徹副隊長」
「いいえ……御武運を。綾瀬川五席」
 見上げる弓親の顔色はまだ青白かったが、軽く頭を下げて戦いの場に戻る足取りはしっかりとしたものだった。勇音はそれを半ば呆然と見送る。その肩を荻堂が叩いた。
 振り返ると、荻堂が勇音の目を覗き込む。
「まだまだうんざりするほど、怪我人がいますよ。副隊長」
「はい、大丈夫です……参ります」
 勇音はそう言って軽く頬を叩いた。周囲は血の臭いと虚の腐臭で息をするのも苦しいくらいだ。呻き声と歯ぎしりの音が地を這っている。遠くから虚の咆哮が響く。
 他人の血で汚れた自分の手を見て、勇音は小さく頷いた。








 趣味全開の小話です。ええもう全開で。

  G*R menu novel short story consideration
Life is but an empty dream