G*R menu


地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 14

 乱菊は急報を受けて斬魄刀を手にした。
 もう、私達だけになっちゃったねえ。
 病気で友人が死んだ次の日、空を見上げて呟いた、もう大人の女性となったかつての少女の横顔を乱菊は思い出していた。常に凛として、けれどとても寂しそうな眼をして彼女は呟いていた。

 現世へと急ぎながら、乱菊は奥歯を食いしばる。その急報が自分が率いる斑に届いてよかった、と乱菊は思う。他の斑は出払っていて、自分の斑だけが待機していた。向こうに現世からの光が見えた。乱菊はひた走り、出口から飛び出して驚愕のあまり息をのんだ。

 月明かりに照らされた林の中の開けた空間に、血と人体の欠片が散らばる光景がそこにはあった。

 立ち竦む乱菊の背で、部下の呻く声がした。
「ま……松本四席……」
 一人が震える声で乱菊に呼びかける。その声に、乱菊は我を取り戻すと、後ろに控える部下達を振り返った。それら厳めしい顔はどれも蒼白になり、眼は光を失っている。まだ潜んでいるだろう虚への怯えが、わずかに眼の奥にあった。
 乱菊は息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「怯えてるんじゃないよ、あんた達。深呼吸して、そう。……いいかい、あたし達のするべきことの一つは虚退治、もう一つは生存者の捜索と救出、もう一つが……彼らを連れて帰ること」
 周囲の気配に意識を向けつつ、乱菊は全員を見渡した。その顔色はまだ白いが、それでも彼らは乱菊の話を聞けているようだ。さすがに最も血の気の多い部隊に所属するだけはあり、まだ混乱はしていない。乱菊は、話を続ける。
「虚退治に関しては、この様子だとおそらく、あたし達だけでは難しいだろう。至急、上級……副隊長級以上を寄越すよう連絡して。最優先するのは生存者の捜索と救出。そして、虚の情報を少しでも聞くこと。あと、調べているときに遺体をよく観察して。少しでもどんな虚か見極めないと。いい?」
「はいっ」
「一人で離れないこと。周囲の気配を探るのを怠らないこと。そこの二人は捜索に加わらず、とにかく虚の気配を探っていて。何かあったらすぐに大声で連絡。いいね」
「はいっ」
「よし、捜索を始めて」
 乱菊のかけ声に、部下達が血の海の中に散っていく。乱菊もまた最後列から、周囲に気を配りながら緋色に染まった体を調べる。耳も全身の肌も、全てを鋭敏に尖らせて気配を探りながら、一つ一つ、遺体を調べる。
 沈黙がその場に降りていた。
 体半分を失っている遺体は、もう半分がどこにも見あたらない。上半身だけ。下半身だけ。首から下。胸より上。頭部と左肩と左腕だけ………。切断面は潰れ、引きちぎられたというよりも何かに溶けたようにどろりとして、ゲル状になった肉が血と混じり合っている。それがどろどろと地面に広がり、月光に鈍く光っていた。
 捜索にあたる全員が絶望的な顔をしていた。乱菊はまだ面影にある姿を確認できず、焦りが徐々に忍び寄っているのを感じていた。
 生存者どころか、まともに体全体を残している遺体すらなかった。


「何してはるんです」
 執務室に入るなり斬魄刀を腰に差す藍染を眼にして、ギンは尋ねた。ギンは先程まで急務で瀞霊廷中を走り回っていて、何が起きているのか把握していなかった。藍染はギンを振り返り、微笑んで言った。
「現世で、虚の大群に襲われた斑から救援要請があったんだよ」
「こらまた。どこの部隊です?」
 藍染が微笑んだまま簡単に説明した。
「あらら。そら大事になってそうですわ」
 部隊名を聞いて、ギンは敢えて笑って言う。けれど体は自然と立ち上がろうとして、ギンは意識的にゆっくりと動いた。
「その出現位置からして、おそらく、僕達の実験体が勝手に複製した大群なのではないかと思うんだよ。ちょうど僕の仕事も一段落していたし、まあさすがに死者を大量に出すわけにはいかないからね。ちょっと行って、実験結果の様子見がてら片づけてこようと思う」
 藍染はそう説明すると、羽織を翻して部屋を出ていこうとしたが、斬魄刀の金属音に振り返った。
「隊長が出向きはることあらへん。ボク一人で十分ですやろ」
 ギンは引き出しから副官章を取り出すと、左上腕に付けた。そして彼独特の、短い斬魄刀を腰に差す。一連のその動作を、藍染が興味深げに笑みを浮かべて眺めて言った。
「珍しいね、ギンが自分から行こうだなんて」
 ちらりとギンは視線を向ける。そして、いつも通りに笑った。
「ボクかてたまには働きますわ」
「そう言えば……、あの斑には君の同期がいたね。確か君らが学院の頃に会ったことがあるはずだ」
 ギンは笑みを絶やさずに、更に口角を引き上げた。
「両方におりますわ。あの子らには一応世話になりましたさかい、助けんとあきまへんやろ」
「それこそ珍しいな。君が同期を大事にしているとは思わなかったよ」
 藍染が優しく微笑む。その眼の奥を見据え、ギンも微笑んだ。
「仲良うした人は誰もおりませんわ。ただあの子らには、世話になりましたからなあ。代返とか、色々」
「そういえば、死神になってからも、あの黒髪の小さな女性と時々立ち話なんかしていただろう。あの女性は当時も今も君を見ていたようだったね」
「よう見てはりますな……あのお人はボクと平気で話しはる数少ない人でしたわ」
 藍染の横をすり抜けて、ギンは執務室を出ていこうとした。その後ろ姿に藍染が思いだしたように呟く。
「そういえば、もう一斑の、松本君とは話しているところを見ないね」
 足を止め、ギンは振り返る。藍染はじっとギンを見ていた。
「……そうですやろか。昔からあんなもんですわ」
「仲が悪いわけでもないんだろうと踏んでいたけど、親しくはしてないね」
 ギンはにやりと口角を引き上げた。
「ボクが入学初日に遅刻したせいで、次席だった彼女が六年間も級長しはったんですわ。それでえらい迷惑がられましたよって。松本さんにはよう怒られましたわ。その度に他の女の子らが間に入ってくれはりましたなあ」
「それは大迷惑だったろうね」
「ボク別嬪さん大歓迎なんですけどな」
「ならば助けに行ってくるといい。彼女も救援でその場所にいるはずだから、少しは見直してもらえるんじゃないか」
「熱烈にお礼してもろうてきますわ」
「おや、それなら僕が行くよ」
「何言うてはるんですか。ほな、行ってきますわ」
 笑いながら言った藍染に手を振って部屋を出ると、ギンは急きそうになる足を押さえてゆっくりと廊下を歩いた。


 見張りが大声で叫んだときには、もう、虚が目の前にいた。
 なぜ姿が視認できなかったのか。そんなことを疑問に思う暇もなく、乱菊は斬魄刀を抜くと、居合いの要領で虚を斬り捨てる。背後で怒号にも似た咆哮が幾つもあがり、振り返るとそこには虚の大群と襲われる部下達の姿があった。襲われながらも部下達は斬魄刀を抜き、応戦している。誰かが「退くな! 弔いじゃねえか!」と叫んだ。
「慌てるんじゃないよ! いつも通り、二組になってお互いの背を守りな!」
 指示を出しながら乱菊は一跳びで虚の大群の中に飛び込むと、その勢いのまま数体を斬り裂いた。襲われて膝をついていた部下の一人がふらつきながら立ち上がり、ありがとうございますと乱菊に呟いた。乱菊は敢えて笑ってみせる。そして最前線に立つと、振り下ろされようとしていた虚の手を受け流して、その腕を斬り裂く。動きが鈍る虚の体にもう一太刀をあびせると、その体は雲散霧消した。
 虚は不格好に大きい掌をこちらに向けて攻撃してくる。その不自然な攻撃に、乱菊は違和感を感じていた。そしてふと、検分していた遺体を思い出す。
 こちらに向けられた掌には、唇のない口のような切れ込みが見えた。そこから粘性の高い液体が滴っている。
「虚の手に掴まるな!」
 乱菊は心持ち低い声で叫んだ。
「掌が変だ! 爪に気を付けるのもそうだが、掌を確実に避けろ!」
「分かりやしたぁ!」
 自棄のように大きな声で部下達が返事をする。声の数から、まだ全員が無事のようだと判断し、見渡すこともせずに乱菊は目の前に迫り来る虚の腕を開きにするように斬り裂いた。斬った先から虚の体が空気に溶けるように消えていく。
 ときおり、虚ではない、人間の肌が切り裂かれる音がする。それでも誰一人悲鳴も上げず、無骨な気合いだけを発して虚を斬っていく。脳内麻薬が分泌されているのか、だんだんと皆、口の端に笑みさえ浮かべて。
 そのとき、裏返った悲鳴が上がった。
 乱菊は反射的に振り返る。
 一人の隊員が虚に左腕を掴まれていた。悶え苦しむその隊員は、意を決したように右手の斬魄刀を逆さに持つと、一息に左腕を切断した。
「な……どうした!」
 一跳びでその隊員に駆け寄ると乱菊は叫ぶように訊きながら、切断された左腕を持ったままの虚を横一文字に払った。そして目の前で、消えゆく虚の掌から、半ば溶けて骨が見えている左腕が粘着質の嫌な音を立てて地に落ちた。乱菊の背で、腕の持ち主だった隊員が全員に伝えるように叫ぶ。
「虚の掌に掴まったとき触っている場所から焼けるような痛みで腕が無くなる感覚がありましたぁ! 虚の掌に掴まると溶けるようでありますぅ! いいかてめえら、掴まるんじゃねえぞこらぁ!」
 乱菊は一瞬だけ背中を振り返った。腕を失った隊員は真っ青な顔をして、それでも刀を構えている。乱菊はすぐに前に向き直り、
「よくやった」
と言った。
「まず止血だ、いいね、あたしはあんたを失いたくはない。ここはあたしが守るから、まずさっさと止血しな」
「……分かりやした」
 背中で傍にいた隊員が駆け寄る気配を感じ、乱菊は前に集中した。虚の両手に包まれたら、おそらく体全てを失うだろう。虚は後から後から湧き出るように、ただ群れを成している。口の中に血の味が広がった。自分が奥歯を噛みしめていることに気づき、乱菊は焦る。まだこんなものは絶望じゃない。小さく呟いて、乱菊は背を庇いながら刀を振るった。悲鳴が上がるたびにそちらを振り返り、その主がまだ生きていることを確認してはただ目の前の影を斬る。
 斬り裂かれて消えていく向こうには連なる虚の影が見える。どこに果てがあるのか分からなくなるその光景に、乱菊は眩暈を覚えた。虚の、どこか空虚さを感じさせる咆哮が響き渡る。視界が色を失い、白と黒に支配されていく。
 どこまで。
 ちらりと乱菊の頭にその言葉が過ぎったときに。

 数体を斬り裂く一陣の風があった。

 斬り裂かれたその裂け目の向こうに白み始めた空が見えた。そういえば夜空も晴れていたことを思い出し、乱菊は立ち尽くす。風は続けて周囲の虚を一掃する。空気が巻き上がる音とともに虚は霧のように消える。
 その馴染んだ霊圧に、乱菊は一瞬だけ全身の力を抜きそうになった。ふらつく足を踏ん張り、乱菊は目の前に現れた背中を呆然と見る。
「皆、生きてはる?」
 左腕には五番隊の副官章があった。
「君らの上官さんはちょい席外してはったから、ボク来てん。遅れてしもうて、堪忍してや」
 場に不似合いな軽い声でギンは告げ、けれど一気に霊圧を解放した。その圧力に虚が動きを止める。ギンは小さく言霊を呟くと、斬魄刀を始解した。
 生き物のように伸びる刀が虚数体を突き刺し、横に撫で斬りされてその姿を失う。ギンは留まることなく虚の群れの中央に飛び込んだ。一息に数体を斬り裂いて、軽い、舞うような足取りで振り返り跳び上がり、または踏み込んで次々に薙ぎ払う。斬魄刀を上段に構えると空中に跳び、そのまま巨大な虚を縦一文字に裂いていく。

 空間の裂け目から虚が現れる速さを遙かに凌駕する圧倒的な力の奔流に、凄烈な戦い方に、その場にいた誰もが言葉を失った。速さが違う。動きが違う。何よりも迸る霊圧の圧力が遙かに違った。
 乱菊は久しぶりにギンの戦いぶりを見ていた。最後に見たのは学院での実習だったように思う。虚数体に襲われていた女の後輩を庇って戦っていたときに、やはり風のようにギンは現れて乱菊を助けた。あのとき乱菊は後輩であるその少女に背を突き飛ばされて虚の前に転がされて怪我を負った。あの、自分を殺そうとした少女はどうなったんだろう。乱菊は場違いな思いに囚われた。それはどこか郷愁にも似て、その遠さが目の前の光景をより際だたせた。

 目の前では、地面に転がる死神の死体の中にただ一人立つギンの姿があった。
 虚は全て消え、空間の歪みも消えて、広場には冷え冷えとした秋の風が吹き込んできた。



 乱菊の隊からは怪我人は数人出たものの、皆、命を失うことはなかった。乱菊は怪我人を先に帰らせ、残った数人で死体の検分を行う。斑の名簿と照らし合わせながら、人数を確認していた。この場で最高の地位を持つギンは全てを乱菊に任せ、一歩離れてその様子を眺めている。
 死体の確認は、顔を失った体ほど難しかった。乱菊はまず顔の残った死体を確認し、心中でそれが自分の友人でなかったことを複雑に思う。そして、頭部を失った死体を、名簿に記載されている特徴や、見知っている隊員の記憶から一人一人に選り分けていく。
「ここでは完全にできないのは仕方ないから」
 乱菊は眉をひそめて言う。
「とにかく、残っている全ての体を集めて。向こうに戻って四番隊に詳しい検死は任せることになるけど、全員を連れて帰らないとだめよ。人数だけは確実にして。全員を連れて帰るわよ」
 隊員は四方に散って、広場だけではなく茂みの奥や木立の向こうまで捜索に当たっている。死体は、おそらく握られて振り回されたのだろう。溶けて細くなった部分が千切れたようになって四方八方に散らばっていた。それを隊員がそっと拾い集めていく。
 目に見える範囲は全て探し、飛ばされたであろう範囲も探した。空はいつのまにか青く明るく、残酷なほどに爽やかな朝の光が赤黒く染まった地面を照らした。
 そして集められた死体は一人分足りなかった。
 乱菊は名簿を見て、無表情になった。ギンが音もなく背後に忍び寄り、名簿を覗き込んでも乱菊は微動だにしない。そしてギンは名簿を見てわずかに眉をひそめた。
「……他は全員いるのね」
「そう思われます」
 乱菊の問いに、隊員が頷く。乱菊は溜息をついて、逡巡する。その顔を見て、ギンがへらりと薄く笑った。
「……ボク残って探すさかい、皆はもう戻り」
「市丸副隊長?」
 乱菊は無表情のまま、問い返す。ギンは薄く薄く笑い、乱菊を見ることなく、隊員を振り返った。
「まだ見つかっとらん子はボクん同期やさかい、見つけてやりたいんよ。まあ、また虚が現れても大変やし、皆は戻って上に報告し。早うこの人らもあっちに帰してやりたいしなあ」
 ギンは布に包まれた死体に目を向ける。布には血が染み込み、赤黒く染まっていた。それを見て、乱菊は顔をしかめる。
「四席さんも、戻ってええんよ。君は班長やさかい、報告せなあかんのやし……探すの、辛いやろ」
「松本四席?」
 訝しげに尋ねる隊員に、代わりにギンが答えた。
「ボクと四席さんは同期なんよ」
 隊員達が黙り込む。乱菊は眉を寄せて、かすかな笑みを浮かべた。それを見て、隊員の一人が前に進み出る。
「松本班長」
「……何?」
「自分らは先にこいつら連れて帰って報告しますんで、班長はどうぞ事後調査をなさって下さい。上にもそう言います……いいなてめぇら! 先に帰ってこいつらに線香あげんぞ!」
 隊員達は皆、太い声で賛同を示す。乱菊は何も言わず、ただ微笑んで頭を下げた。隊員達は両手に死体を抱える。地獄蝶がどこからともなく黒い羽を朝の光に晒してひらひらと現れ、そして門が現れた。
「……よろしくね、あんた達」
「了解しやした」
 次々と死神が門の向こうに消えていき、門が閉じられた。
 そして門も消え、そこにはギンと乱菊だけが残された。






  G*R menu novel short story consideration
Life is but an empty dream