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地上の縁からのぞき込むと深遠の青が底もなく 12
卒業式の日、桜は五分咲きに咲いていた。 長い退屈な式が終わり、卒業生はそれぞれ集団になって名残惜しげに立ち話をしている。これから卒業生は寮を出て、それぞれが所属することになる部署へと移ることになっていた。卒業してすぐに入隊が決まっている人間は殆どなく、多くは下位死神として勤務するか、鬼道衆、隠密機動に配属される。分析力や開発能力が認められた場合には技術開発局へ推薦されるが、それは希だった。 この年の卒業生の成績は殆どが平凡であったが、ただ二人、ギンと乱菊は抜きんでた成績を修めており、卒業前から入隊が決まっていた。特にギンは下位とはいえ席官の地位が与えられ、数十年に一人の逸材と、加えて裏では数十年に一度の問題児と言われていた。
風が広場に入り込み、桜の花びらを舞い散らせた。 山吹色の髪が揺れて乱菊は手で押さえる。腰の少し上まで伸びた髪は柔らかく風に踊り、春の陽射しを反射した。 「うー。結えばよかったかなあ」 乱菊が舞い上がる髪を手で押さえて言うと、スミレがおかしそうに笑った。 「だから朝、結ってあげるって言ったのに。昨日、お祝いにって、志波様だっけ? 髪飾りを贈って下さったんでしょう?」 「だって時間がなかったんだもの」 「あたしと同じように短くしたら楽だよ、乱菊」 ツワブキが相変わらずの短髪を手でくしゃくしゃとしてみせると、リンドウが自分の長い黒髪を手で掬い上げるようにして言った。黒髪の間を桜色に染められた爪が滑る。 「もったいないわよ。頑張って伸ばしたんだから。風くらい気にしていたら髪なんて伸ばせないのよ」 「あんたが言うと説得力あるわね」 風に遊ばれて絡まった髪を指で梳きながら、乱菊が笑った。隣でスミレも手伝っている。スミレは相変わらずのおさげをしていたが、結っている紐に小さな鈴をつけていた。 「……卒業だねえ」 ふいに、ツワブキが呟いた。リンドウが見上げて、手を伸ばして綿毛のような短髪を撫でる。 「そうよ。寂しくなったの?」 「そんなんじゃないよ。みんな確かにばらばらに配属されてるけど、でもお別れするわけじゃないんだし」 そう言ってツワブキは笑ったが、すぐに眉を下げて俯いた。リンドウが抱きつくようにして、笑って抱え込む。 「そうでしょ、お別れじゃないんだから。そんな寂しがらないで」 スミレもリンドウの反対側からツワブキに抱きついた。 「そうよ。休みの日にはお茶しましょうよ」 乱菊は抱きつく代わりに、手を伸ばしてツワブキの頭を撫でた。ツワブキはようやく笑い、照れくさそうに顔を赤くして頷く。 「そうだね、お茶してよね。あたしだけちょっと落ちこぼれだから、入隊するの遅くなりそうだし」 「大丈夫よ。乱ちゃんと市丸君以外はみんな似たり寄ったりの成績でしょ」 「あたしもギンには全然追いつかないわよ」 乱菊がそう言って笑うと、スミレが一人ふて腐れたように言った。 「私なんて、一人だけ鬼道衆なんだから、そんなこと言わないの」 「あ、そうだったよ」 ツワブキがきょとんとして言い、四人で顔を見合わせて笑った。 そのとき、人影の向こうに銀髪が見えた。 乱菊は遠い目をしてそれを何も言わずに一瞬だけ眺めていた。すぐにリンドウが気づき、ギンに向かって大きく手を振る。続いてツワブキが手を振り、スミレは小首を傾げて微笑んだ。 ギンもまたひらひらと右手を顔の横で振って、こちらに向かってきた。 「卒業、おめでとさん。別嬪さん方、今日は特に綺麗にしてはるなあ」 「市丸もおめでと。学生生活最後の説教は終わった?」 ツワブキがにやりと目線がほぼ同じギンに笑いかけた。ギンが困ったように笑う。 「長かったわあ。どうしたらあない話すことあるんやろ。ボクもう卒業するんになあ。できへんのか思うたわ」 リンドウが零れるように笑った。乱菊もつい普通に笑う。ギンは目の端にそれを捉えて、そして相好を崩す。 「まあええわ。卒業できるみたいやしな」 「ここまできて無理って言われたら、市丸君も困っちゃうわよね」 スミレが小さく笑ってギンを見上げた。ギンはスミレに振り返り、へらりと笑みを浮かべる。 「さすがにもう卒業したいわ、ボク」 「そうよねえ、おめでとう、市丸君」 ギンとスミレがのんびりと言葉を交わす。そしてギンはリンドウに振り返った。リンドウは静かに笑った。 「おめでとう、市丸君」 「おめでとうなあ」 ギンを見つめるリンドウの眼はとても静かで柔らかく、乱菊は切なくなってそっと目をそらした。見てはいけない、と少し思った。リンドウと二人で話した夜から一年半くらい経ったが、乱菊はリンドウから新しい恋の相手は聞いていない。 「そして入隊おめでとう」 「おおきに」 「隊長さんから認められたんでしょう。いきなり席官なんだもの。すごいわ。おめでとう」 リンドウは両手を合わせて小首を傾げて微笑んだ。ギンはただ笑みを浮かべて、 「まあ、どうなるんやろうねえ」 とだけ呟いた。リンドウが首を傾げる。ギンもまた首を傾げ、一緒に微笑んで見せた。 そしてゆっくりとギンが乱菊を振り向いた。乱菊は眼を細めてギンを見つめる。ギンはどこか遠くを見るようにしてこちらを見ていて、おそらく自分も同じ眼をしているだろうと乱菊は思った。 「おめでと、ギン」 「おめでとうなあ、級長さん」 風が吹いて、二人の髪を揺らした。ギンが眩しそうに笑う。 「髪、伸びたなあ」 「そうね。切ってないだけなんだけどね」 「似合うてはるよ……ホンマ、ずっと見てみたい思うてた」 ギンの、本当に小さく小さく、ともすれば風の音に掻き消されそうな呟きに、乱菊は遠い昔にギンから言われたことを思い出す。笑みが口元からこぼれ、乱菊は艶やかに微笑んだ。 「これからもこんな髪型よ。残念ながらお別れでもないんだから、そんな神妙な顔で言わないでよ」 ギンがきょとんとして、そしてにやりと笑った。 「そうやねえ……級長さんも入隊しはったしなあ。ちょい離れとるけど、まあ会うこともあるやろねえ」 「そ。残念ながら会うこともあるでしょうよ」 目を合わせ、二人は微笑んだ。そのとき一陣の風が吹き、勢いよく通り過ぎていく。制服の裾や袖がはためき、髪が舞い踊った。桜の花びらが青い空へ巻き上げられた。 「ほら、見て」 スミレが見上げて嬉しそうに言った。皆、つられて空を見上げる。 舞い上げられた淡い桜の花びらが、はらはらとふってきた。 その向こうには高い深い青空が、ただそこにあった。
そして何年も過ぎた。 何十年も過ぎていった。 時間は残酷なくらいに正確に大河となって流れゆき、その大きな流れは何もかも飲み込んでいく。
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