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ぼくらはただそうやって世界を手にした 5

 それは一緒に暮らして半年を過ぎた頃に初めて起こった。


 季節はもう春爛漫といった頃で、食料となるものもどんどん豊富になっていた。こうなると人間どうしの争いごとは冬に比べて減ってくる。ギンと乱菊も少し安心して、数軒がかたまっている集落の外れにあったあばら屋で暮らしていた。その集落は比較的まともな人間が多く、二人と同様の霊力のある人間もいなかったので食料争いはほとんど起きなかった。
 油断していたのかもしれない。
 ある夜、引き戸の向こうの砂が踏みしめられる音にギンは跳ね起きた。隣で眠っていた乱菊も目を覚ます。
「何……」
 乱菊の言葉に振り返ることもせず、ギンは乱菊を庇うように背にして、引き戸の方角を睨みつけた。霊圧は感じない。けれど数人の気配がする。なんでこんな近づかれるんまで気づかなかったんや、とギンは唇を噛んだ。
 乱暴に引き戸が開けられ、ずんぐりとした男が一人、ゆっくりとした足取りで入ってきた。他の人間の気配は家の周囲に散っている。おそらく、窓の下などにいて、逃げ出すのを捕まえようとしているのだろうとギンは考えた。この現れた男と、一人……二人……三人が外にいる。全部で四人。
「なんだ、二人かわいいのがいるって聞いて来てみたら、片方は男かよ」
 低い、からみつくようないやらしい声で男が言う。その態度は横柄で、ギン達が子供であることに安心しきっているようだ。
「でももう片方のガキはべっぴんさんじゃねえか。その娘と食い物を置いてきな。そうしたら、お前は逃がしてやるよ」
「誰がそないなことするか。阿呆が」
 ギンは低い声で答える。乱菊は声も出さずに逃げる体勢をとった。乱菊にも、襲いに来た男達に霊圧がないことは分かっていた。ここは、落ち着いて対処すれば大丈夫。乱菊が霊力を溜めはじめた気配に、ギンも右手に霊力を集めた。
 その様子を見て男は舌をならした。
「霊力持ちかよ……! お前らっ! 入ってこい!」
 男が叫ぶと同時にギンは男に向かって霊力を放った。力の塊が男のみぞおちにあたり、男は白目を剥いて前のめりに倒れ込む。同時に入り口とから二人、一つあった窓から一人、男達が入ってきた。窓を向いて待ち構えていた乱菊が足をかけて体を入れてきた男にめがけてなんとか塊になった力をぶつけると、男は外に吹っ飛んでいく。急いで振り返ると、ギンが一人を殴りつけて倒していたところだった。右手に集中的に集められた霊力で拳が薄ぼんやりと光っている。もう一人の男がギンに襲いかかろうとしていることに気づいて、乱菊は慌てて傍にあった薪を投げつけた。
「乱菊! 逃げ! ボクもすぐ行くわ!」
 薪に怯んで体勢を崩した男に躍りかかって殴り倒すと、ギンはそう叫んで乱菊に外を指し示した。
「はよ行き! おばさんトコロに逃げ! そしておっさん達呼んでくれたらそれでええわ!」
「……わかった!」
 一緒にいたかったが、乱菊はあばら屋を飛び出した。後ろで人を殴る音がする。これは多分、ギンが殴っているんだ。そう自分に言い聞かせて、全力で走る。近所の家まで、数十秒は走らなければならない。急がないと、急がないと。
 夜道を月が照らしている。男達が襲ってきたのに、とても明るい月夜だ。夜に静かに沈みこんでいる集落に走り込み、乱菊はなじみの中年の女の家に飛び込んだ。
「おばちゃんっ、助け…………!!」
 声にならない悲鳴が漏れるのを、自分で感じていた。目の前にはおびただしい血溜まり。その中に倒れ込み、血に浸るのはもう動かなくなったなじみの女の体。むせかえる血の臭い。そして数人の男達が血塗れになって、部屋の中を物色していた。そして一人の男からは。
 霊圧。
 気づくのが後れた。
 飛び退いて逃げるより先に男から霊力の塊が飛んできた。避け損ない、乱菊は右太股のあたりに強い衝撃を受けて、倒れ込む。そこに別の男の手が伸びてきて乱菊を家の中に引きずり込んだ。咄嗟に全身から霊力を放出しようとしたが、霊力持ちの男が乱菊の両肩を押さえて、自分の霊圧で乱菊の放出を押さえ込む。
 圧迫感で息が浅くなる。乱菊の放出が弱まったのをみて、男が乱菊の頬を殴った。床に叩きつけられて、乱菊の集中が途絶える。
「霊力持ちかよ。なら、迎えに行った奴らはやられちゃったかな」
「アンタがいて良かったよ。厄介だよな、霊力があると」
「俺がこいつを押さえ込んでやるから、その間に、いろいろと楽しもうぜ。そのあと売り飛ばそう。高く売れるぜ、このガキ」
 床にへたりこんだ乱菊を見下ろして、ぎらぎらとした男達が話している。ここで怖がっちゃだめだ。思うつぼだ。そう思うのに、以前のことを思い出して乱菊は体が震え出すのを抑えられずにいた。そうか、ここの人達を先に襲っていたのか。そういえばそんなことを言っていたような気がする。
 ああ、ギンはどうしただろう。ここに来てはダメだ。ここには四人もいる。あの男の霊圧はギンよりも弱いように思うけれど、先程ギンは何度も放出してしまっているし、まだ他の家にも仲間がいるかもしれない。乱菊は必死に思う。自分が全力の霊圧を出せば、こいつの霊圧を跳ね返せる。震えるな。逃げないと。
「かわいい顔してるじゃねえか。色も白いぜ。こんな場所に住んでるのに」
 霊力のある男が霊圧で乱菊を押し潰しながら、着物の袷から手を差し込んで肩を露わにすると、その白い肌を撫でた。ねっとりとした感触に総毛立ち、乱菊は一瞬、恐怖に囚われた。乱菊の唇から小さく悲鳴が漏れる。
 そのとき。
 すごい速さで近づいてくるギンの霊圧を感じた。
 極力押し隠しているけれど、これは間違いなくギンの、慣れ親しんだ霊圧だ。感じた瞬間、泣きそうになったけれど、略奪者が四人もいることを乱菊は思い出す。
「来ないで! ギン! チカラのある奴がいるの!」
 乱菊が叫ぶと同時に、ギンが開け放たれた扉に現れた。いつもはさらさらの銀髪が乱れている。頬に殴られた痕がある。右手にいくつもの傷がある。いつも飄々と笑っている顔が無表情になっていたが、乱菊の方を見ると、乱菊の、男に押さえつけられた細く白い肩を見ると、いつもは笑っているかのように細い眼がすっと開いた。
 血の色をしていた。
「来んな言うても無理や、乱菊」
 低い、低い声で言うと、ギンは身を屈めた。
「潰すぞ、おんどれら」

 爆発が起きたような音がした。

 ものすごい圧力の霊圧がギンから迸る。乱菊は息を詰めたが、強風のようなそれは乱菊を避けて男達に向かっていった。霊力のない男達はみな飛ばされて壁に叩きつけられ、霊力のある男は飛ばされこそしなかったがその圧力に床に蛙のように這い蹲っている。その顔色は蒼白だ。
 狭い家の中にギンの霊圧が溢れかえり、暴れ回る。どこにこんなものを隠していたのだろう。乱菊は、ギンの初めて見る姿に言葉を失っていた。こんなに強かったのか。こんなにすごかったのか。鋭くて、触れると切れそうな霊圧が渦巻き、壁や屋根が、堪えきれずにびりびりと震えて音を立てている。
「眼ェ瞑って下がっとき、乱菊。遅れて堪忍な」
 男達を射るような眼で見ていたギンが、ちらりとこちらを見た。乱菊に向けられる眼は柔らかく、鮮やかな緋色が僅かに曇る。それを見て乱菊はギンの心を知った。ギンは、乱菊を心配して走ってきたのだ。ギンは乱菊が傷つけられているのを見て怒っているのだ。溢れ出すこの恐ろしいほどの殺意は、乱菊のためだ。
 乱菊はへたりこんだまま目を見開いたまま、それでも後ずさりして部屋の角に下がった。乱菊が下がったことを確認して「眼ェ瞑っとき」と静かな声で言うと、ギンは霊圧を放出したまま右手に霊圧を集める。それはもう色を帯び形をつくり、ゆらゆらと揺らめく刀のようになっていた。右手からのびるそれを従えて、ギンは一歩前に足を踏み出した。血溜まりが揺れて、ぴしゃんと音がする。
「おばさん……なら、おっさん達もやな」
 ギンは女の死体を見て、軽く眉を顰めた。親切な女だったと思う。胃のあたりがじりりと焼ける。ギンは思う。自分も簡単に人を殺してきた。何人殺したか覚えていないくらいに殺した。けれど、こういう女は殺さなかった。弱く、お人好しで、おそらく抵抗すらしないだろうこんな女は。自分達に分け与えて、多分、奪われるような物は何も持っていなかったはずなのに。
 ギンが一歩進むと、その度に血の跳ねる音がする。男達は何も答えずに引きつった顔をしている。まともに動けないのか、呻き声をあげて壁にへばりつくだけだ。ギンの放出する霊圧をくらって動けないのかもしれない。ギンは薄く笑った。なんて滑稽な奴らなのだろうかと思う。野蛮に力を奮い、人を無意味に無差別に殺しても、自分より強い者の前ではまるで虫のようだ。虫の身分で、かわいいかわいい乱菊を傷つけたのか。
「ええ身分やないか。あァ?」
 虫を殺して何が悪い。
 勢いよく一歩踏み出して、ギンは右手を横に薙ぎ払った。その瞬間、壁に張り付いていた三人の男達の胴が切断される。面が見えたかと思うと、次の瞬間には血が噴き出していた。

 乱菊は瞬きもできずにいた。
 血飛沫の中で、ギンの銀髪が窓の隙間から差し込む月光に輝いている。
 切れそうな霊圧が風のようにギンの周囲に渦巻き、その中でギンは風を従える王のように堂々として恐ろしく、そして綺麗だ。
 乱菊はくらくらして倒れそうになる体を必死に支えながら、目を閉じないようにこの美しい惨劇を見続けていた。これは逃げ遅れた乱菊のために行われていることだ。目を逸らしてはいけない。目を瞑ってはいけない。ギンが浴びている血の半分は、自分が浴びるべきものだ。
 ふと外に騒々しい喚き声と足音がして、男達が小屋に足を踏み入れた。一歩入ったところで、部屋に充満する圧力に動かなくなる。新手の奴らかと乱菊は慌てたが、彼らは乱菊達の住処を襲った四人の男達だった。
「なんだ、こりゃあ……」
 最初に足を踏み入れた男が絞り出すように声を出す。
「なんでこんなことになってんだよ……おい」
 生き残っている霊力のある男が何か言おうとするが、声が出ない。
 ギンが振り向いた。
「なんや、アンタら。あのまま逃げとったら助かったんにな。ボク、ちょいと動けんようにしただけやろ」
 静かな口調は、凍るように冷たい。ギンが右手を頭上にあげた。
「人が気ぃ遣っとんのに、阿呆やなあ」
 右手が勢いよく振り下ろされると、そこから霊力が勢いよくしなって伸びていった。その切っ先は入り口の男に刺さり、男は勢いよく外へと飛んでいく。外で連鎖して叫び声が聞こえて、すぐに止んだ。伸びた霊力はすぐにギンの右手に戻り、ギンは無表情のまま右手を振って血を払う。
 乱菊の目の前で、動けるようになったのか霊力のある男が這い蹲ったまま扉に向かっていた。ギンが男に視線をやる。射殺すようなそれに、一身に向けられた霊圧に、男の動きは止まった。それでも抵抗しているのか、体が細かく震えている。
「逃げるんか? できるて、思うとるんか?」
 おめでたいなあ、とギンは呟き、男にゆっくりと近づき、横に立つと、男の後頭部を見下ろして訊いた。
「まだ他に仲間おるんか?」
 男が首を横に振る。
「他のおっはんとか、みんな潰したんか?」
 男が首を縦に振る。ギンが溜息をついた。
「よう分かったわ。もう、ええよ」
 ギンが無造作に右手を突き出すと、集められていた霊圧が男の背中を貫いた。男の体が引きつり痙攣する。ギンが右手を引き抜くとその穴から血が噴き出し、体はそのまま血溜まりに潰れ、動きを完全に止めた。

 痛いくらいの静寂がおりた。

 霊圧の嵐は消え、ギンが血塗れになってそこに立っている。
「ギン……」
 乱菊がそっと呼ぶと、ギンは弾かれたようにそちらを向いた。その表情にあの殺意はどこにもなくて、疲れ切った、呆然とした、そんな顔をしていた。
「乱菊、怪我ないんか? 大丈夫……」
 ギンは慌てて乱菊に駆け寄り、はだけられた肩を見て眉を顰めた。着物を直そうと手を伸ばして、自分の手が血塗れであることに気づいて引っ込める。
「ギン…?」
「乱菊……あんな……」
 こんな手で触れたら乱菊が汚れてしまう。こんな手では汚れてしまう。こんな自分では、綺麗な乱菊を汚してしまう。
 躊躇しているギンを見て、乱菊は手を伸ばした。
「あかん、乱菊。汚れてしまうわ」
「何言ってるのよ……」
 逃げようとするギンの腰にしがみつく。乱菊は早く抱きしめて欲しかった。この震えを押さえ込んで欲しかった。血なんて、何とも思っていないことを伝えたかった。
 だってこの血の半分はあたしが浴びるものなんだもの。
 しがみつく乱菊の肩が細かく震えていることに気づくと、ギンは跪いて乱菊をそっと抱きしめた。乱菊の匂いがする。血の臭いがふっと周りから消えて、優しい匂いがギンの緊張を解いた。
「汚れるで、乱菊」
「それが何だって言うのよ……ごめんなさい。ごめんなさい。あたしが弱くて、ごめんなさい……」
「ボク、怖いやろ」
「何言ってるのよ」
 乱菊が顔を上げた。まっすぐな、濡れた眼がギンを見上げている。そこに怖れはなかった。ただ、悲痛な色に濡れている。
「どうしてギンを怖がるの?」
「ボク、人潰してるで。血塗れやって」
「アンタがもう少し遅かったら、あたしが殺していたわ。あんたが浴びた血は、本当ならあたしが浴びるものよ……ごめんなさい、ギン。あんたにこんなことを、全部させて」
 乱菊の眼から涙がこぼれだした。乱菊が顔をギンの胸に埋めようとするので、ギンは乱菊の頭を抱え込むように抱きしめる。乱菊は細かく震えながら
「怖かったのは、あの連中よ。ぎらぎらしている、あの眼が怖かったの」
とくぐもった声で言った。ギンは何も言わず白く浮かび上がる肩に着物を戻し、そっとそっと抱きしめなおした。一人でいた頃の乱菊の話を聞いていたギンには、どんなに危険な状況になってもきっと乱菊はできるだけ殺さないように……おのれはひどく傷ついても相手を殺さないようにするだろうことがわかっていた。やっぱり乱菊は綺麗な子や、汚したらあかんわ、と口の中で呟いた。





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