ハッピーリバースデイ:5【アメリナ】

 雨が降っていたから、あたしはアメリアにメールを出さなかった。
夜明け前から降り出した雨は強くはなく、ただ止む気配もないまま夕暮れまでずっと続いてた。
雨に打たれて煙る校舎に背を預け、あたしは野良猫みたいに途方に暮れている。
体は隅々まで濡れ渡り、すっかり冷え切っていた。あたしと言う存在が神経からぼんやり霞んでいく。
このまま死んでしまえたら、心臓はもう煩く騒いだり痛んだり急に黙りこくったりしなくなるだろうか。そして羽のように軽くなって、憧れたあの空に飛んでいく。冒険の空へ。
それならいいのに。
「……なんで、」
あたしはぼうっとその顔を仰ぎ見ながら呟いた。
「分かったの? 携帯、持ってないのに」
目の前に立って、昨日みたいに息を切らせて、泣きそうに――違う、怒って眉間を寄せて、アメリアはぎりっと唇を噛んでいた。何かを言おうとしては、一緒に零れ出そうになる罵声を飲み込むように息を呑む。そんな様子がなんだかかわいそうで、あたしは同情する。
「……夢中にさせる自信があるって言ったのはあなたじゃない」
やっとでしぼり出した声は震えていた。寒さのせいだとすぐ分かった。息が整うのと一緒に、アメリアの表情はすごく冷静になっていたから。
「責任も取らないで逃げる気なの?」
「責任なんか取れないわ」
冷え切ってるあたしの唇は自分でも意外なくらい上手に動いた。
「だって、夢中にさせたらそれで終わりだもの」
最初の、殴りかかってきそうな鬼気迫る顔の方がまだマシだったなと思いながら、表情の無いアメリアを見詰めた。ああもう言ってしまえ。どっちにしろもう終わりだ。
「あんたが好きなんじゃない。ゲームなのよ。」
ざあと雨が勢いを増す。
「あんたを落として新学期に振って泣かせれば、あたしの勝ちなの。賭けたの。2万もらえるはずだったのよ。」
アメリアは怒るでもなく、傷ついたふうでもなく、じっとあたしを見ていた。
「そう。現時点であなたがわたしに割いてくれた時間だけでも、時給にしたら割に合わないわね。あなたならもっといい仕事、いくらでもあるんじゃない? よかったら紹介するけど。」
「……待ってよ」
そのまま身をひるがえして行ってしまうんじゃないかと、言葉が慌てて滑り出る。
「待って、行かないで。」
酷いことを言って、傷つけたのはあたしなのに。切り捨てて、遠ざけようとしたのはあたしなのに。腕を掴んで、気がつけば泣きながら、置いていかないでと言っていたのもあたしの方だった。
涙で喉がひきつり、それ以上言葉が出なかった。何よりもうなんて言っていいのか分からなかったし、顔をあげることすら恥ずかしくてできなかった。あまりにもひとり芝居で。
そうしてうなだれたあたしの頭に、あたたかいてのひらが降りてくる。
ぽんぽんと、二回やわらかく叩いたあとで、静かに撫で下ろされた。
「行かないから。」
――なんでこのひとは、今すぐ抱きついてキスしたくなるような声で。



 2人してびしょ濡れのまま、正門前に停められていた車に乗り込む。あたしの記憶にあるのはそこまでだった。驚いたようにあたしを見たゼルガディスの視線を少しだけ覚えている。あとで聞けば、死体のようだったそうだ。

 ふわりと香るオレンジの匂いに目を開ける。熱っぽいどころか高熱に違いない体温に、体は言うことを聞かない。ただ、やわらかい布団は苦痛を包み込むように温かかった。
「今日は泊まっていってね。帰りたいって駄々をこねても、ダメよ。」
笑い声にずきずき痛む頭を巡らせれば、ベッドの淵に腰掛けたアメリアがあたしの額を撫ぜた。冷たい手が気持ちよくて、思わず目を閉じる。
「猫みたい」
くすくす声に、喉まで鳴らして応えそうになって、我に返る。鈍く働く脳が辿れば、さっき言った自分のひどい言葉が蘇った。
「…………っ!」
動かない頭でも、ここに居られないことだけは判断できたのに。起こしかけた体は手のひらに押しとどめられて、ゆっくりベッドに戻される。抵抗もままならない体と、思ったより強い力。
「ダメって言ったでしょ。人の話聞いてる?」
そっちこそ聞いてるのかと、貧血でも起こしたみたいに廻る視界でアメリアを睨む。
だってあたしはゲームだと言って、何もかも嘘だったって。メールだって、しなかったし。あたしは嘘を、ついたのに。
「まだ分からないの?」
アメリアは、聞き分けの悪い子供に言うように、静かに首を傾げた。
「……ゲームだったの」
「うん、ゲームだったのよね」
だった、と、確認するように復唱した。何を言いたいのか分からない。それは熱のせいかもしれなかったし、そもそもあたしには分からない話だったのかもしれない。
頭が痛くて、揺れる視界に酔っていて、思考がまとまらない。
いらいらする。
「ゲームをクリアしたかったなら、もっと上手くやれたんじゃない? 最後まで嘘をついて、お手本みたいなメールを送って、」
「……黙って」
「でもそうしなかった。どうしてか自分で分からないの?」
「ちょっと黙ってよ!」
考えをまとめようとするたびに、アメリアの言葉が思考に入り込んで邪魔をする。
そんなことは分かってる。あたしはばかなことをしてる。ばかなことを言ったんだ。だってアメリアが。
「……頭のいいひとって不便ね。色々な可能性を考えてしまうから、シンプルなことに気付くのに時間がかかる。」
「黙っててって言ってるでしょ!」
分かったふうな言葉が頭にきて声をあげる。懲りずに起こそうとした体の上に、今度は手のひらじゃなくてアメリア自身が圧し掛かった。
「考えないで。感じて。すぐに分かるわ。」
やさしいキスだった。
溶け出すほど熱くて優しいてのひらで撫でてくれた。

 乱暴でないことが、否定的でないことが、嘘っぽかったり薄っぺらかったりしないことが、怖くて、切ないくらいしあわせで、あたしは泣き出した。
熱は冷めるどころかあがる一方だったけど、あたしに触れるアメリアも同じくらい熱かった。耳に頬に胸にかかる、吐き出される息で融けそうになる。
考える時間は一秒もなくて、ぜんぶの時間であたしはアメリアを感じていた。
そしてたゆまなく叫び続けていた心臓の声を。

 終わるまでのあいだずっと、あたしが泣き続けていたから、アメリアも最後には困って笑っていた。
「痛かった?」
自業自得とは言え熱を出して起き上がることもままならない相手を組み敷いたあとで、よくもまあ言えたものだと、あたしも笑った。目に涙をいっぱいためたまま。
零れ落ちそうなほど歪んで見えるアメリアをただ感じ取ろうと、腕を伸ばして抱きしめる。アメリアがくれたようなやさしくて情熱的なキスが出来たらいいと思いながら唇を寄せて、微笑んだ。
「恋って、すごい冒険だわ」
ろくでもない素晴らしい世界に、あたしは今夜、産まれなおす。



 新学期、遠回りをして人気のない道を手を繋いで歩いて登校した。
校舎が見えてきてもアメリアが手を離す気配が無いから、あたしはそっぽを向きながらさり気なくその手を解く。アメリアは「別にいいじゃない」とひそかに笑っていた。
……なんでこのひとはこう、恥ずかしいとか言う感情が欠落してるんだろう。
「それで、“ゲーム”はどうするの?」
「んー、どうしよっかなぁ。取りあえずアメリア、泣いてくれる? 演技でいいからさ」
「……呆れてものも言えないわ」
「あ、ルーク。」
久しぶりの顔が遠くから歩いてくる。隣には相変らずのクールな顔。
並んで歩いてる様子を見ると、落とすところまでは順調にクリアしたらしい。
「あらほんと。ミリーナ先輩も一緒なんて……不思議な組み合わせね。」
…………。
あれ、もしかして……あたし、ルークとミリーナのことは言わなかったっけ?
やばい。どうしよ。ぜったいおこられる。怒ったら怖いひとだと言うことは、ここ半月で痛いほど学んでいる。
冷や汗だらだら流してるあたしの内心をよそに、件の2人は会話が聞こえるほどに近づいてきた。ようやくあたしたちの存在に気付き、ルークが片手をあげる。しまらない笑顔で。
「よぉリナ、2学期おめでとさん」
「おめでとーって……なにその浮かれたセリフ」
「だってよぉ、今日から毎日、日に8時間はミリーナと同じ教室で机を並べて一緒に過ごせるんだぜ? 学校って素晴らしいな!」
「…………」
「…………」
「…………」
ルークを知るあたしと、ルークの噂を知るアメリアと、心を閉ざしてるかのように無表情なミリーナとが沈黙する中、ルークは尚もお花の飛び散りそうなにこやか笑顔でミリーナに語りかけていた。
「……ばか」
脳が拒否したルークのセリフの合間に、ミリーナが溜息混じりに呟いた。
「じゃあ、あとでな」
手を振って歩き出すルークとミリーナの背中が遠ざかる。そのときやっと、あたしはミリーナが、大股なルークの足取りに合わせて少しだけ歩調を速めているのに気がついた。
……あー、なんだか知らないが、あっちもあっちで“ゲーム”が方向性を違えたようだ。
「――賭けは無効になりそうね?」
「そうねー、あの様子じゃルークが振って泣かすって言うよりどっちかって言うと振られて泣きそうだし……って、」
「……やっぱり、ミリーナ先輩まで巻き込んでたのね」
「や、ちが、それは、だから、ルークがっ」
零度の微笑みに見詰められて、思わず体が後ずさる。
怒られないように正装用の制服まで着こんで(そういえばルークもちゃんと正装用を着ていた……)、宿題だって全部終わらせて、ボランティア活動にまで参加したのに。
「……ごめんなさい」
情けない声で謝るあたしにアメリアは笑い出す。
「許してあげるわ。夏休み中、ずっと良い子にしてたものね」
「……そりゃもうアメリア先輩のしつけがよかったものですから」
「楽しい新学期になりそうだわ」
頭を撫でて、生徒会があるから先に行くわねとアメリアは行ってしまった。
あの雨の日、煙っていた校舎は陽に照らされてきらきらしてる。
ここでこれから何があるだろう。
ルークとミリーナと、あたしとアメリアと。
はじめて、わくわくしながら校舎をくぐる。




冒頭部分からは考えられないくらい、いい子にしつけられたルークとリナでした^^て言うかもう調教に近い。
ミリーナとアメリア最強って言うね!夏休み中おまえらに何があったって言うね!
アメリナは上手くいってからの夏休み後半部分の物語がすごく気になります(他人事)。特にボランティアのあたり。リナにボランティアさせるってすごいと思う。
とにかくみんな幸せになってよかったです。
お付き合いありがとうございました!

2006年03月08日(水)
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