ハッピーリバースデイ:4【アメリナ】

 部屋の窓から空を見た。月は無く、星も見えない。見下ろせば、街は明るかった。
窓から飛び出しそうになる自分を抑える。
握り締めていた携帯が鳴った。無意識に通話ボタンを押す。
『あ、リナ? 遅くにごめんね。今大丈夫だった?』
自分で受けておいて、突然聞こえた声にびっくりした。電話なんて取る気はなかったのに。少し冷静になった頭で返事をしなきゃと思うのに、声が出ない。心はオフになったままだった。
『……リナ? ごめん、忙しかった? 定期を忘れていったから、早く教えた方がいいと思って、』
「…………」
声が出ない。心が現実に返らない。まだどこか遠いファンタジーの世界の空を飛んでいる。
あたしはここで生きなきゃいけないと分かっているのに、現実に帰れない。2つの世界に引き裂かれるように、心が悲鳴をあげた。
「……たすけて」
『――リナ? リナ、大丈夫?』
突然零れでた自分の声に一瞬で我に返る。携帯の重みがリアルに手のひらに圧し掛かる。冷えた感覚が背中を流れた。
「ごめん、なんでもないの、今の忘れて」
『すぐに行くから。』
「ちがうの、なんでもないって…、」
『ちゃんとそこに居て!』
慌てて声をかけても通話はすでに途切れていて、言い捨てられた言葉だけが頭に残る。
「……って、アメリアうち知らないじゃん」
なんて思ったのは甘かった。


 世の流れに洩れず、あたしの携帯にもGPSが付いている。使ったことが無いから意識したことは無いけど。事件なんかがあったとき、警察からの要請に従って携帯会社が問答無用でGPS追跡することがあるとかなんとか。あとでゼルガディスが説明してくれた。深い溜息まじりに。

「なんで、うち、」
「そんなこと、いいじゃない。」
見覚えのある黒塗りの車がマンションの前に止まったのを窓から眺め、まさかと思って飛び出してきたら、階段の踊り場でアメリアと鉢合わせた。
駆け上がってきたアメリアは息を切らせていて、あたしの顔を見ると少しだけホッとしたように頬を緩めた。
「えっと、ごめん、さっきちょっと寝ぼけてて、」
言いかけたあたしに、アメリアの両の腕が伸びてくる。咄嗟に身を硬くしたあたしは、気がつけばやわらかい胸に顔を埋め、やさしく頭を撫でられていた。嫌がる猫を抱くように、アメリアの腕には隙が無くあたしは身動きひとつ取れない。
「……アメリア、あたし、大丈夫だから」
「大丈夫ならそれでいいの。だから、もう少しこのままでいて。」
押し付けた額から、アメリアの速い心音が伝わってくる。あたしの心臓と一緒だ。病気みたいに、痛そうに鼓動を打っている。
「夢を見たの。」
アメリアが、呻くように呟いた。
「わたしと別れて、あなたは家に帰って、電気をつけて、部屋にひとりで、泣いていて、死にたいと思う。」
今もその夢を見てるような、暗く沈んだ声だった。
「あたしが? やめてよ。」
死にたいなんて思ったことはない。……あぁでも、生きていたいと思わないなら、どっちだって同じことか。
「そんなの嫌なのよ」
「だから、夢でしょ?」
「夢でも嫌なの。わたしの居ない時間が、あなたがひとりの瞬間が、」
「アメリア、」
暗く沈んでいく。どんなときも晴れの日のイメージだったアメリアとは思えない、重く響く嵐のような声だった。
「リナ、どうしたらあなたをこの世界に繋ぎとめられるの」
シンと静まり返って、囁きすら反響する階段の踊り場で、その言葉は吹き荒れてあたしの胸を打った。
他意は無いのかもしれない。夢で見た死にたがってるあたしと重ねて、死なないで欲しいと言う意味だったんだと思う。
ただあたしには、窓から飛び出して行こうとする“あたし”への言葉に聞こえた。ここじゃない、どこか別の世界へ飛んでいってしまいそうな、ぎりぎりのあたしへの。


 「ゼルガディス、待たせてるんでしょ? 親だって心配してるわ」
「ゼルガディスさんなら朝までだって待っててくれるわ。それに、あの家見たでしょう? 一晩くらい部屋に居なくても誰も気付かないわよ」
「それってある意味セキュリティどうなの……?」
心配だから泊まっていくと言うアメリアと、心配なことなんか何も無いと言うあたしとで、話は平行線だった。
「ていうか、ほら、あー……うちも親とかうるさいし」
一番もっともそうな理由で切り出せば、アメリアは困ったように眉間に皺を寄せた。
「ごめん、リナ。悪気は無かったんだけど、」
「え?」
「父さんが理事長でしょう? 特殊な事情のある家庭の話なんかは、自然と耳に入ってきちゃうのよ」
「……あー」
バツが悪くなって、頭をかいて視線を外す。つまり知ってるのだ。うちには口うるさい両親なんか居ない。いつ誰が泊まりに来たってさして問題の無い――ひとり暮らしをしていると。
嘘をついてることを遠まわしに指摘されて、分が悪くなる。
「こっちこそごめん。ただ、ほんと狭い部屋だし、あんま片付いてないし、とにかく別に心配ないから。また明日メールするし。」
開き直るように真正面から言えば、今度はアメリアが分の悪そうな顔をした。礼儀正しく実直なアメリアには、正当な申し出を断れないらしい。
「……分かったわ。明日、必ずメールちょうだい。何かあったらいつでも電話してくれていいから」
「だから、さっきのは寝ぼけただけで、別に何も無いんだってば。」
頑ななアメリアに(アメリアにしてみればあたしが頑ななんだろうけど)あたしは苦笑いして言った。アメリアはそれ以上追求はしてこなかった。振り切るように息を吐いて、おやすみと背を向けた。
ふと気になって、あたしはその背中に声をかける。
「夢って、いつ見たの?」
アメリアは肩越しに振り返ったけど、あたしの目は見なかった。
「春ごろから、何度も見たわ」
「え、それって……」
「こんなこと言うのは今更だけど、一目惚れだったの。」
あたしはすぐに理解できなくて、何も応えられない。そうしてるうちに、アメリアはまたおやすみと言って階段の下に消えていった。
見えなくなるまで見送って、突然物言わず静まり返った心臓に手を当てる。

2006年03月07日(火)
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