はつこいでした。【デュクリナ】



  なんだ 迷子かよ


ごぼりと音がする。あたしは重さのない水の中にいた。


  ああ……俺か……


さみしげな声が響く中、あたしは頭からまっさかさまに沈んでいく。
ここはどこだ。


  おっちゃんはな……ちょっとおっかない顔してるからな……


……ああ、これは夢だ。
そう気付いたとき、脳は覚醒し、空っぽだった体の中に意識が注ぎ込まれていくのを感じた。



あたしは夢見る眼差しで、夢の続きを見ていた。

「デュクリス……」
覆面に無造作に開けられた穴から覗く、やさしい目が小さな驚きであたしを見返した。
「ぼうず、おまえなんで俺の名前を」
はるか頭上にある彼の眼を見詰めながら、あたしはあたしの指が、ちゃんとあたしの意思で動くことを確認する。これはとても深くで見ている夢だと気付きながら、体は風船のように空っぽだと知りながら、現実での重みを持った体のように扱った。指先から繋がった糸に吊られてるわけじゃない。これはあたしの夢だ。あたしの意思でなんだってできる。
それを試すように、この夢を何度だって裏切りたかった。あたしは覆面を脱ぎ捨てる。束ねて押し込んでいた髪が零れ、肩を滑った。一拍置いて落ちてきたデュクリスの声は、困った笑い声だった。
「……ぼうず、じゃなかったのか」
穏やかな声。
「しかしなんだって嘘なんかついてたんだ?」
「……ごめんね」
「別に怒っちゃいねぇよ」
言ってあたしの頭をがしがし撫でる。
「どうした?」
黙りこくったあたしの為に、彼が膝をつく。同じ高さに降りてきた彼の頭に手を伸ばし、その覆面に手を掛けた。デュクリスは抵抗することもなく、じっと黙っている。
その下にあるものが何かを知っていて、それでもあたしはおそるおそるゆっくりとマスクを剥いでいく。
白銀の毛がふわりと揺れて、獣の相貌を覗かせた。
骨を噛み砕くことの容易さを感じさせる大きな牙を隠すように、デュクリスは控えめに笑う。
「……な、おっかないだろ。頼むから泣かないでくれよ?」
誰が。と思った。もっとグロテスクなモンスターなら数え切れないくらい見てきたし、姿形の凄まじさなんて生易しいと思うような醜いものを幾度となく見てきた。その中を生きてきたんだ。あたし自身、いつどんなふうに姿を変えるか分からない。そんなことは誰にも分からない。――だから生きていける。
あたしは困ったように様子を見守る彼の頬に両手を添えた。ふわふわした滑らかな肌触りの下に、獣の硬い皮膚の感触。
「こわくないわ」
でもそれ以上の言葉を言えなかった。
「はは、ありがとうよ」
デュクリスが笑ってあたしを抱き上げる。軽々と持ち上げられ、背中に鋭い爪をたくわえた大きな掌が回された。花びら一枚傷つけられないに違いない指だった。
「おまえさんが気に入ったぜ。」
「……ありがとう」
今度はあたしが少し笑って、彼の首に腕を回した。
この夢の終わりを知っているあたしは、もうどんな言葉もかけられなくて、ただその柔らかい首筋に顔を埋めて、泣いていた。

何を言いたかったんだろう。何を言えただろう。あたしはあたしの為にあなたを殺せる。
そんなあたしに、これ以上何を。





周りでたくさんの声がする。
あたしは戦いの中にいた。彼は敵で、ガウリイがその腹を深々薙いだ。


真っ赤な血がすべてだった。この夢のすべてで、彼の終わりで、あたしと彼の夢の終わり。
そして最後にあたしを見詰めた、彼の瞳の。


これはあたしの夢。
夢、なのに。

結末を変えられない。



あたしが何度だって同じ結論を出すからだ。



 「リナ」
眼を開くと、真っ直ぐな青い瞳と眼があった。
「……アメリア」
曖昧な意識の下で呟く。やわらかな感触。それは夢の中で触れた彼の毛並みに似て、ふわふわとあたしを包んでいた。
「また夢を見たの?」
穏やかな声の心地良さにあたしは開いたばかりの目をまた閉じる。夢との境界線はますます曖昧になった。
「彼を殺したわ」
「あなたじゃないでしょう」
「……同じことよ」
言って柔らかな感触に額を押し付ける。
夢で泣いていた。あれはあたしだ。夢から覚めて、あたしは泣けなかった。
「あたしが死んだら、」
「そんな言葉で始まる話は聞きたくないわ」
「泣かないで」
「……リナ?」
「あたしが死んだら、泣かないで。」
指に力をこめる。布越しの柔らかい肌に爪が食い込んだ。
「リナ、馬鹿なこと言わないでよ」
「馬鹿なことだわ。本当に。」
喉が詰まる。嗚咽が込み上げたわけじゃない。夢が喉元までせりあがって来たのだ。
「彼を殺したことが間違いなく哀しいのに、夢では確かに泣けたのに、ここでのあたしは泣けないのよ。こんな馬鹿な話ってある?」
そうだ、本当に、なんて馬鹿な話。夢でしか泣けないのは、理性が理解できてることを頭が受け入れてないからだ。そう思うとなんだか悔しい。自分はもっと、頭がいい気でいたのに。
「でもリナ。わたしは、あなたが死んだらきっと泣くわ。わたしは馬鹿じゃないもの」
目の奥がじんと痛む。
「ね、リナ。だからわたしより先に死んだりしたらダメよ。」

こらえきれずにあたしは、夢の中へと走り出した。ばかね、と背中で呆れた笑い声が聞こえた気がした。






――なんだ 迷子かよ


ごぼりと音がする。あたしは重さのない水の中を泳いでいた。


――ああ……俺か……


声を辿り必死で手を伸ばす。

繰り返す同じ夢を断ち切れる、そんな強い言葉を探していた。
これがその言葉になるかは分からないけど、言わずには居られなかった。

「デュクリス! あんたはあたしの――」








――はは、ありがとうよ。











それきり夢は見なくなった。
あたしはちゃんと言えただろうか。覚えていない。
だけど彼が笑ったから。
笑ったからきっと、あたしも笑えるだろう。


あれがはつこいでしたと、笑える日もくるだろう。

2006年02月01日(水)
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