いちご泥棒と暮らしたい【フィリリナ】

イギリスの田舎町パラレル。

written by みなみ




 庭に木苺が生る頃、レンガの向こう側で赤い髪がちらちら揺れる。
春の風が吹いてピンクの花を揺らしてるあいだは、あのレンガ塀に腰掛けて、ラズベリーよりずっと甘い声で「きれいね」なんて言ってた女の子。
いらっしゃいと言えば嬉しそうに石畳を駈け抜けて、水撒きしてる私のそばにしゃがみこんだものだけど。
初夏、甘い香りが空気に匂いたつと、その姿は突然影の影へと吸い込まれていく。
「またこの季節がきたのね」
なんて、受けて立つ気の私はホースを高く掲げた。
「きゃっ」
虹を作りながら降りだした小さな雨の下、不意を打たれた少女から声があがる。
「なにすんのよ、フィリアっ!」
「なにすんの、じゃないでしょう。リナさん。」
レンガ塀をひょいと覗き込むと、赤い髪に水を滴らせた少女はのら猫のように、今にも噛み付きそうな顔でこっちを見上げていた。
「そんなところにこそこそ隠れて、なにをしようとしてたのかしら?」
「……なにを、って。別に。」
途端勢いを無くしたリナさんは、レンガの影に隠れるように身を小さくして言葉を詰まらせた。白状してるようなものね。
「また木苺を盗みにきたんでしょう?」
「……そ、そんなことしないもん」
「本当に?」
「ほんとうよ!」
「じゃあ、教会に行きましょうか。」
「い、行かない!」
「どうして? 午後のお茶、好きでしょう?」
わたしとこの街の教会の牧師とは古くからの付き合いで、午後のお茶を一緒に飲むのはすっかり習慣になっている。
お菓子目当てにこの子がちゃっかり混ざるようになったのも、最近では恒例だ。
「好きだけど……」
「今日はクリーム・ティにするから。さぁ、キッチンへ行ってバスケットを持ってきてちょうだい。準備はできてるわ」
「…………」
お菓子と懺悔の間で揺れながら、しぶしぶリナさんは家の裏口に回り、スコーンの入ったバスケットを持ってきた。

 微笑んで迎えた牧師と一緒に、午後のお茶の支度をしているあいだもリナさんは大人しかった。
「今日はクロテッドがありますよ。リナさん、好きですよね?」
「……うん」
「フィリアさんはダブルでよかったですか?」
「ええ、ありがとうございます」
紅茶を淹れてカップをそれぞれの前に置くと、食べ易く半分に切ったスコーンがリナさんの前に差し出される。
「元気無いですね。なにかあったんですか?」
微笑みかける笑顔はなんでも知ってるふうで、リナさんが敵わないのも頷ける。
物心つく前から通った教会は、それでなくても刷り込みめいた働きがあるのだろうけれど。なんにしても、リナさんは教会で、牧師に、嘘をつくことだけはできない。
「先生、あたし、」
「はい」
「……フィリアんちの木苺を盗もうとしたわ」
バツの悪い顔で弱々しく言うのを、穏やかな笑顔が受け止めた。
こればっかりは私にはできない。彼女の、シルフィールさんの天性の力だと思っている。
「あなたの正直さと誠実さにおいて、あなたの罪を許しましょう」
昼下がりの懺悔を頬杖ついて見守りながら、なんてやさしい時間なんだろうと私は目を細めた。

 家に帰ってティーカップを洗っていると、庭から葉っぱをかき分けるざりざりと言う音が聞こえた。
裏口から庭に飛び出せば、いちご泥棒は走り去ったあとだった。
「やられたわ」
戸に背を預けて、思わず大笑い。
そうしてるうちに、レンガ塀にひょいと身を乗り上げた泥棒が赤い舌をべっと突き出した。
「今年もいい出来ね、フィリア」
小鳥のようにふわりとまた身をひるがえし、今度こそ夕暮れの空の下に消えていった。
私の笑いは収まらない。



 次の日、夏になれば毎日庭に降り立つはずの赤い鳥はやってこなかった。
昨日走り去ったにくたらしい顔を思い出しながら退屈を持て余しているうちに、ケトルがかたかた音を立てる。
ふと、4時にはまだ早いけれど教会に行ってみようと思った。
のどかな田舎街の教会はいつだって暇だと笑っていたのを思い出したから。

 教会についてみると、礼拝でもないのに珍しく人が居た。幾人かの男と女が、シルフィールさんに頭をさげて立ち去るところだった。
「なにかあったんですか?」
「フィリアさん、」
驚いて私を見たシルフィールさんの目は赤みを帯びていて、涙をこらえているのはすぐに分かった。心やさしい人だから、いつも世の中の哀しいなにかに心を痛めているけれど、こうして涙を見るのははじめてのような気がした。
「……なにかあったんですね」
「……リナさんの」
心臓を打たれたような痛みだった。涙と、彼女の名前で、導き出される答えにはすぐに思い至る。
幼くして家族を亡くした彼女には、今はただひとり、年老いた祖母がいるだけだった。
「昨日夜遅く、息を引き取ったそうです。」
声ははっきりしていたけれど、涙はこらえきれず零れ落ちた。
彼女が泣いていたから、私はかえって冷静だった。心臓はまだ激しく痛んだけれど、目は乾いている。
「……そう、ですか。それで、リナさんは?」
「取り合えず落ち着いているそうです。葬儀の日取りもすべて任せるから、それまで一緒に居たいと、ベッドのそばを離れないと言っていました。……ルナさんたちが亡くなったときと一緒ですね」
ああ、神さま。
どうしてあの子ばかり。
「分かりました。今はそっとしておきましょう。お手伝いできることがあったら、呼んでください。」
言って、午後のお茶をする気にもなれない私が引き返そうとすると静かな声がかかった。
「教会で、引き取れたらいいんですけど、」
振り返ると涙をぬぐったシルフィールさんの哀しい瞳と目があった。
「隣町に孤児院があって、そこで引き取ることになるだろうと言う話です。公正であるべき教会で、特別扱いをすることはできません。」
血を吐くような、痛々しくて生々しい言葉だと思った。
「……そうですね」

ああ、神さま。



 午後の紅茶の時間も過ぎて、ラズベリーが夕陽を照り返す鮮やかな時間も過ぎて、夜空の星で明かりをとる頃に、リナさんは現れた。
庭のベンチに背を預け、見えるはずもない幻影をレンガ塀の向こうに見続けていた私は、それもまた幻だろうと思っていた。
「なにしてんの? 寝ずの番? それっていちご泥棒対策?」
小鳥のように笑った顔は月より明るく淡く輝いていて、やっぱり幻だと思った。
何も答えない私に不思議そうに傾げた頭を抱き寄せる。
「わっ、なに? どうしたのフィリア?」
「神さまがあなたを守ってくれないなら、私があなたを守ってみせるわ。」
「……なにそれ」
腕の中で少女は、大人しいようすで笑った。
そして腕をすり抜けて、あつく茂る濃い影の中に手を伸ばす。その手の先にはラズベリーガーデン。
棘に触れ、薄く血の滲んだ指が赤い小さな粒をつまんで口に運んだ。
「やっぱり、フィリアんちの木苺がいちばんおいしい。ジャムにケーキに、ハーブティー」
歌うように言って、いたずらな笑顔で私を見上げる。
ザーッと風が鳴り、月がかげると、その顔に沈み込んだ悲しみが浮かんで見えた。
「……どこにも行きたくないよ」
からからに乾いていた私の目に、突然涙が溢れ出す。
指を傷つけながら赤い実を取って、震えている唇にそっと押し当てた。小さな歯が覗いて、実を受け止める。おいしい、と、泣きそうな顔で笑って、すがるように私を見た。
「どこにも行かなくていいわ」
泣き顔を見られたくないのはお互いさまで、私は今度こそしっかり小さな頭を抱きかかえる。
胸元でもれた消え入るような泣き声をかき消す為に、私は夜の中、凛と囁いた。
「このラズベリーは、あなたが産まれた年に植えたものよ。今年も、来年も、また次の夏も、あなたに食べさせる為に実をつけるでしょう。ずっと、ずっとよ。」


ラズベリーより甘くて、小さくてかわいい赤い小鳥。
ああ神さま、今日から私は、いちご泥棒と暮らします。


2006年01月26日(木)
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