一夜に千夜の物語【アメリナ】

アラビアンパラレル。
イメージ専行の勢いだけで書くと大体こんな感じになります。書いててとにかく楽しかったので、敢えての推古無しにしました。
続きはあってもいいし、これで終わりでもいい気がする。

このお話(中途半端ですが)は素敵なネタで創作心をくすぐってくださった某方に捧げます。

written by みなみ




 退屈で死にそうだ、と彼女は言った。
事実彼女は今にも死にそうで、ベッドの上に横たわる体は隅まで青白く、瞳は随分長いことその色を覗かせていない。
「たまには目を開けて周りを見てみろよ。少しは楽しいこともあるかもしれないだろう?」
「あんたにそんな前向きなアドバイスをされるなんてね」
呟く言葉は嫌味ですらなく、シーツに染み渡る湿気のようだ。
海から吹く風はここまで届かない。ただ暗がりと湿気に支配された小さな部屋が、虚空にぽつんとあるだけだ。少なくともリナにとっては。
「もういいわ、あたし、もう生きてゆけない」
石造りの天井に向けた目は閉じたまま、静かながら癇癪と同じエネルギーを持っていた。
リナは囚人だ。かつては一国の第二皇女であり、今は国交の為に与えられた人質であり、そして間違いようもない囚人だ。生活は保障され、こうして無遠慮な口を利く親しい付人もあり不自由はないが、自由もない。権力は与えられている、自由も。けれどすべてはこの部屋の、小さな世界の中でのこと。
鳥も飛ばぬ、海もない、笑い声すら響かない石灰色の檻。小さいながら自由な国の皇女として、ありふれた冒険に身を躍らせた幼い日々を思うと、リナはいつだって死にたくなった。
「殺してよ、ゼルガディス。あたしの意思で、命令よ。あなたが裁かれないよう、なんだってする。だから力を貸して。」
閉じた瞼を更に腕で覆い、リナは吐き出す息に精一杯の願いを込めた。
リナがこの小さな部屋に幽閉されるようになってから、リナの気に入らぬすべての付人が蹴り出されて行く中、なぜかただひとり名を呼ばれ、今もそばに居ることを許された男。
機嫌取りに花を贈り靴を贈り帽子を贈った国王もさじを投げた頃、水を汲むのも医者の真似事をするのも、すべては彼の仕事となった。リナは彼以外の誰も許さなかった。
同じ孤独を知っているからだとリナは言った。外に世界のある者に、この部屋に来て欲しくないと言う。じゃあ俺は?と聞いたゼルガディスに、リナは笑って、あんたはあたしと同じじゃない、あんな小さなものを世界とは思わないでしょう?
「……俺は、」
イチジクの皮を剥きながら、ゼルガディスは起伏の無い声で呟いた。
「おまえが居ればそんなに退屈でもないけどな」
リナはイチジクの香りを嗅いで、ゼルガディスの固い指が唇に触れたとき小さな声でありがとうと言った。それから甘い実を口に入れ飲み込んで喉を鳴らしてそれっきり何も言わなかった。

 夜がきて、ゼルガディスは一度離れた部屋のドアをもう一度開く。窓もなく昼も夜も無い部屋の中はしんと静まり返っていて、リナは昼間の願いを夕刻にはもう叶えてしまったのかと一瞬思った。けれどそれはいつでもそこに漂っていた沈黙で、すでに耳慣れた静寂だ。
「リナ、起きてるか?」
この部屋のリナはいつだって目を覚ましていていつだって眠っている。こんなことを聞くのは馬鹿げている。普段なら。
「紹介したいやつが居る」
顎で促してベッドに近寄っても、リナは一言も喋らなかった。昼間のようにうわごとを言うだけでも最近では珍しい。肩を竦めたゼルガディスが振り返ると、背後に控えていた女も少しだけ肩を竦めてみせた。
女はゼルガディスを越してリナのベッドの傍らに膝をつく。
「リナ皇女、夜伽の役目を仰せつかって参りました」
「そんな女は居ないし、そんな役目も必要ないわ」
確かに、身分を保証されているとは言え、他国に人質同然に幽閉されている女に皇女の称号は空々しいなとゼルガディスはいっそ笑えてしまった。
「リナと呼ぶなら、今夜限りそばに居ることは許すわ。でも役目には、別の物を与える。」
「それならリナと呼びましょう。今宵も、明日の月夜にも。明日は満月ですよ、ご存知でしたか?」
「月が欠けようがあたしは何ひとつ欠けないし、月が満ちてもあたしは何ひとつ満たされない。それならそんなことはどうだっていいのよ。あとひとつ言うのを忘れたわ。その口調やめてくれない?」
「――ええ、そうするわ。わたしはアメリア。そう呼んでくれるかしら?」
「たった一度ね。あんたが役目を果たすその瞬間、アラーの名のように呼ぶつもりよ。」
「リナ、おまえ、」
ゼルガディスが開いた口をアメリアが制した。
「役目って?」
「あたしを殺して。そこに立ってる優しい腰抜けにはできないそうだから」
リナの悪態は子供の駄々そのものだから、ゼルガディスにはいつも響かない。ただ今回ばかりは、少しくる。アメリアもそれは察したのか、小さく目配せして「明日の朝会いに行くから」と言った。ゼルガディスはしばらく考えて、部屋を出た。ここに来てから、はじめて違う夜を過ごす。けれどその夜にすべてを懸けた。ドアを閉めるとその戸に背を預け、膝に額を乗せて眼を閉じた。厚いドアの中の音は聞こえない。自分は命の運び手になれただろうか。奇跡は起こるだろうか。

 「ゼルを追い出せるなんて、とんだ権限をお持ちね」
「兄はわたしの言うことなら大抵は聞いてくれるから」
リナは少しだけ動きを止めた。目を開いて自分を見るかと思ったアメリアは、そこでリナが背を向けたのは意外だった。
「……妹が居るなんて聞いたことなかった。そう、あいつにも外の世界はあったんだ。」
「わたしはあなたの話を聞いて育ったようなものよ、リナ。兄にはいつも、あなただけが世界だった」
「夜伽と言ったわね。ゼルに頼まれたの?」
「運命に呼ばれたのよ。――なんて言ったら、少しは笑ってくれる?」
意外にもリナは本当に笑った。中身の入っていない鈴みたいだった。
「運命ね、胸に響く言葉だわ。あんたと会う為に、あたしはこの狭い部屋に閉じ込められたってわけ」
「あなたがどこに居たってきっと会えたわ」
リナは応えなかった。この会話は終わったのだとアメリアは悟り、膝を立てベッドに上がる。
「夜伽ってのは、あたしを犯すつもり?」
「それでもいいけど……そういう方がいい?」
「ふざけんじゃないわよ」
「だったら予定通りにしておくわ」
アメリアはリナの隣に寝転がると、太陽みたいな色の髪を梳いた。背を向けたリナの肩が微かに震える。
「怖くないわ。怖いことなんてなにもしない」
「あんたなんてちっとも怖くない」
「そうねごめんなさい。慣れてないだけよね」
「あんたは頭にくるわ」
そう言う間にも言われる間にも、アメリアは構わずリナの髪を梳き続けていた。リナの機嫌を伺うようすは少しも無くて、なるほど彼の妹なのだと思う。
「あなたの髪の色によく似た大きな火の塊が、空で燃えていたのを覚えている?」
アメリアはきれいに染まる夜のくらやみの中でやさしく囁いた。耳元の声に、リナはそれが自分の心臓から響く命の音のように思えた。懐かしい音で、消し去りたい音で、未来への希望だった。
「あなたの指先のように白い雲が、空の海を泳いでいく。覚えているでしょう?」
リナの閉じた瞼の裏に、そんな風景は浮かばない。もう思い出せない。あまりにも遠すぎる。
「太陽なんて知らない、雲も、青空も、」
「ほら、風の匂いがここまで届いたわ。思い出して。」
最後の言葉はまるで呪文だった。



 その女の子は、みんなよりずっと小さくてほんの子供だったけれど、誰より強くてきらきらしてた。ほとんどぎらぎらしてたと言ってもいいわ。
子供がみんなそうであるように、とっても残酷でとってもやさしかった。
みんなが逃げてしまう怖い魔物を前に、笑って立ち向かう、無敵の魔法使いよ。
彼女はのちに金色の獅子と、青い肌の悪魔と、素敵なお姫さまを仲間にしてたくさんの冒険をするようになる。そう、素敵なお姫さま。ほんとよ。
それはそれは怖ろしいものと戦うことになったけれど、小さな女の子がいつも前を向いていたから、誰も眼を背けなかった。気がつけばいつも笑っていたわ。

――長い長い冒険の話を、今夜は朝まで聞かせてあげる。


 夜明け前には、リナの髪には風が絡まり、唇には火が点っていた。
分厚い石の壁越しに、太陽が燃えているのを確かに感じる。
毎朝起こる奇跡を辿るように、リナはゆっくり眼を開いた。
リナはアメリアの青い眼を見た。アメリアはリナの赤い眼を見た。
「夜明けだわ」
リナの赤い眼を見て、アメリアは微笑んだ。
「青空ね」
アメリアの青い眼を見て、リナも微笑んだ。
暁色の瞳の話を、初めて兄に聞かされた日からずっと思い描いていた。憧れた色よりずっとずっと鮮やかだった。
「……まるで千の夜を一度に越えたみたい」
「きっとそうね」
「あんたとの運命を、」
リナがまばたきをする。そのたびに夜が明ける。アメリアは目眩がしそうだった。
「信じてもいいわ――アメリア」



アラーの名のようにその名を呼んだ。
命が動き出す。






シェーラザードはアメリアだけど、命を繋ぎとめられているのはリナの方。

2006年01月23日(月)
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