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■ テンゴクノカギ:2【アメリナゼロ】
「明日の朝。――あなたの処刑が決まったわ」 王宮の中に割り当てられたリナの部屋。 乱暴に切られた髪を綺麗に切り揃えながら、アメリアが言った。 リナは「そう」とだけ答える。 「それにしても、意外と手先が器用なのね。一国の皇女に髪を切ってもらうなんて、贅沢だわ」 邪気もなく笑うリナに、アメリアも少しだけ笑った。 けれど心の晴れていない笑顔ほど悲惨なものはないと思い、すぐに笑うのをやめる。 「ねえリナ、あなたはどうして戦うの?」 「あなたたちが前を見ていられるように。あなたたちの為に戦うのよ」 「本当に?」 「……嘘」 リナは肩越しにアメリアを振り返ると、確かな発音で彼女の名を呼んだ。
「あなたがこの国で繋げることは、あたしにも繋がる。 そして、あなたがこの国で断つことは、あたしからも断たれるわ」
そう言うとまた前を向きなおし「そのこと、絶対に忘れないでね」とだけ言った。 アメリアはなんとも答えず、リナも、もう何も言わなかった。
そして「最期の晩餐」。 伝えを聞き、慌ててその日の夜の内に戻ってきたガウリイとゼルガディスを交え、リナ達は、昔のように同じ食卓につく。 こうして仲間内だけで過ごすのは久しぶりだなと、ガウリイは笑ったが、その笑顔はあまり器用とは言えなかった。 「お久しぶりです、みなさん。僕もご一緒して宜しいでしょうか?」 唐突且つ自然に現れたゼロスに、ゼルガディスやアメリアは当然のように口を開きかけたが、リナはそれを手で制した。 「相変わらずいい度胸ね。――いいわ、食事は大勢の方が楽しいもの」
ユダがいて、イエスがいて、ペテロがいる。
何故ならこれは最後の晩餐になるのだから。
「……わたしはペテロじゃないわよね?だってわたしは、たとえ世界中の人があなたを裏切っても、必ずあなたの傍にいるもの」 ゼロスが彼女に、哀れむような笑みを向けているのを見ながら、リナは少し躊躇いつつもはっきりと言った。 「あなたに言っておくけど。――今夜、あなたは3度、あたしを裏切るわ」 言い終わるのと、アメリアが勢いよく立ち上がったのは同時だった。 「何を言うの!わたしはあなたのためなら死んでもいいと思っているのに!」 そして椅子が地面にぶつかり軽快な音を立てたのと、ゼロスが堪えきれないと言うように笑ったのも同時だった。 アメリアとゼロス、両方に交互に視線を送りながら、ガウリイとゼルガディスが戸惑った声を出すが、それらの殆どは遮られた。 「何がおかしいの?魔族」 「その呼び方はやめていただけますか?」 「答えなさい、魔族」 「……いえね、本当に、あなたは自身を分かっていないのだなと」 「わたしがわたしの何を分かっていなくて、あなたにはわたしの何が分かると言うの?」 「あなたはあなたの弱さに気付いていない。それがとても哀れで、僕には愉快だ」 受ける殺気に、ゼロスは心地良さそうに微笑んだ。 アメリアはその様子に更に気を立てたが、流石にこれ以上魔族の思惑に乗るのは憚られ、一生懸命自分を制した。 ガウリイが倒れた椅子を掴んでもとに戻し、アメリアに座るように促す。 アメリアは御礼を言って大人しく座ったが、その手はきつく握られていて、微かに震えていた。 「……ゼロスがいる前で話すのもなんだがな、今晩、どうするつもりだ?リナ」 「どうって?」 まるで他人事のように軽い口調で問い返すリナに、ゼルガディスは溜息をつきつつ繰り返し問い掛けた。 「明日の朝にはおまえは処刑される。……逃げるなら今夜だ。どうする?」 「やめてよ、ゼル。あたしが現状からただ逃げるだけの女に見える?」 「だからって、まさか大人しく殺されるつもりじゃないだろ?」 重ねて訊ねたガウリイの言葉に、リナは強気に笑った。 「当たり前じゃない。ちゃんと考えはあるわ。ただ、もしかしたら少し時間がかかるかもしれないから、これからはあたしの財布を当てにしないで、自分で働きなさいよ?特にガウリイ!」 びしりと指を差されたガウリイが苦く笑うが、それはいつもの彼の、少し困った笑顔で。今度はとても自然だった。 伝染するように笑ったゼルガディスやリナの声。 そうやって、最後の晩餐は終わった。
食事も終わり、何でもない別れのように簡単な挨拶だけして、リナは自分の部屋に戻った。 部屋の中で待っていたのは、さっき別れたばかりのゼロス。 「――髪、ガウリイさんに先を越されましたけど、短いのも似合いますね」 「そりゃどーも」 「とはいえ長いのも似合ってたので、二度と見れないかと思うと残念です」 誉め言葉を軽く受け流し通り過ぎていくリナの腕を、ゼロスが掴み引き寄せる。 相変わらずの前振りのない彼の行動に、リナは眉間を寄せながらその男を見上げた。 「……髪はまた伸びるわ」 「生きていれば、伸びるでしょうね」 言い終わるやいなや、リナの唇に、奇妙に温度のこもったゼロスの唇が触れた。
一瞬後、その唇や掴んでいた手の平が離れたあとも、その温度は僅かに残っていた。 「……あんたはそうやって、口付けで人を裏切るのね」 「僕はユダですから」 臆面もなく言ってのけたゼロスに、リナは露骨に呆れた顔をしてみせる。 「ところで、僕が正しくユダを行うように、あなたも正しくイエスを行うんですか?」 ゼロスの問いをリナは喉元で笑った。 「残念だけど。あたしが、例えば明日死んでも、あたしはイエスにはなれない」 ゼロスが何故と問い重ねれば、リナは肩を竦め当たり前でしょうと首を傾げる。 「あたしが背負う罪は、全部自分のものだからよ。だから、あたしが報いを受けるのは当たり前」
そう言ってのける彼女の、業の深さと、愛の深さとに、彼は打たれる。 ああこの人はどこまで計りがたく、そして凄まじいのだろう。
(彼女を見ていると、時々、祈りを捧げたいような気分になった)
「きっと、この世に本当のイエスなんていないわ。誰も自分の罪のもとにしか裁かれないんだもの」
そうして彼女は、全てのものを赦してしまった。 誰の罪でもないのだと言って、笑って。 彼女は全てを受け入れ愛したのだ。その途方もない心で。
「それで、どうするおつもりですか?」 リナが手早い身支度を済ませるのを、黙って見ていたゼロスが頃合を見計らって訊ねる。 「戦うわ。あんたの上司たちと」 「……冗談でしょう?」 「本気よ」 テンポよく彼女は言い返し、身軽な動作でマントを羽織った。 清々しいとしか言えないような彼女の様子に、らしくもなくゼロスの方が化かされたような顔をする。 「だって、それしかないじゃない?」 「……それは、まあ、そうですが――殺されますよ?」 「んーそうかもねー」 (これからそんなものなど役に立たない相手と戦いに行くと言うのに)愛用の剣を腰に差し、リナはマントを翻しながら窓の傍に立った。 「あんた、空間渡れる?」 「え?……ああ。貴女を連れては無理ですよ」 不意を打たれていたゼロスだったが、ようやく冷静さを取り戻し、リナの傍らに寄りながら丁寧に答えた。 「此処は今、かなり高位の巫女や神官が結界を結んでますから。渡るとなれば強行突破になります。僕ひとりならともかく、人間の貴女じゃ体に負担が掛かりすぎて、下手をすれば死ぬでしょうね」 「そう。それじゃあ警備をかいくぐって地道に行くしかないわね」 「本当に行くんですか?」 「そうよ。案内よろしくね」 言って笑うなり、リナは窓から飛び立った。 ゼロスは苦笑しつつも、その後を戸惑いすらなく追う。
暗闇の中は、思ったよりも人の気配に満ちていた。 明日行われるのはリナの処刑。 今日の警備は魔族からの攻撃よりも、リナの脱走を防ぐ為のものだった。 「身勝手な話ですね。世界の為に戦った結果がこれでは、貴女も命を賭けた甲斐がないんじゃないですか?」 余りに警備の人数が多すぎて、流石のリナも一度地面に降りて密集した木立の陰に隠れる。 「精一杯の善意でしょ?せめて人の子の手で殺してあげようってんだから」 声を殺しながら他愛ない言葉を交わし、警備の隙を探る。
「何処へ行くの?」 突然の聞くはずもない声に、リナの驚きは喉元で詰まって夜に紛れた。 「おやアメリアさん、こんな所で何を?」 リナとは完璧に対照的なゼロスが、その答えなど決まりきっているのに問い掛けた。 突然現れた少女は彼を見下すように、らしくないほど尊大な態度でそれに答える。 「戦うんでしょう?それなら、わたしもリナと行くわ」 「あなたでは足手纏いですね」 邪気もなく実直なゼロスの言葉に、アメリアは予習でもしてきたかのような口ぶりを見せた。 「あなたには出来ないことが、わたしには出来るのよ。わたしには守る力がある」 「必要ないわ」 その言葉には、リナが答えた。
何度も何度も自問して、自分に確かめてきた意義を否定する声音は、愛したその声だった。
「あんたは国を見ていない。アメリア皇女、あなたの行動ひとつで、何が起こるのか分からないの?」 リナの言葉は、ひどく遠くで響いて聞こえた。 「……だって、」 何かを言おうとしても、それはただの音で、意味を持たせるには非力すぎる。 "わたしは国よりあなたが大事" そう言おうとして、とても出来なかった。
長い、長い、沈黙だった。
「……今、この辺りは鶴翼の陣に近い布陣が敷かれてるわ。神官宮を通れば、貴女なら抜けられるはずよ」 そして出てきたのは、「心にもない言葉」。 けれどリナは笑った。 「ありがとう」 「リナさん急ぎましょう。夜明けが近い」 魔族はリナの肩に触れ、空を仰ぎながら言う。 頷き、音もなく走り出すリナの背中に、アメリアはかける言葉を持たなかった。
これが別れか。 約束は何処にある。 信頼は何処にある。 想いは何処にある。
また逢う約束もなく。 裏切る未来を予測され。 国の名に埋もれて。
これが別れか。
出来るだけ一目につかないように王宮の中に戻れば、そこは既に大騒ぎになっていた。 リナが部屋に居ないことが知れたのだ。 だが万が一にもリナ達が見つかるようなことはないだろう。 アメリアは自分でも嫌になるほど冷静に、その騒ぎを見ていた。
明日になれば、きっと憂鬱な会議が持ち上がる。 その席で自分だけが答えを知っている問題について、周りはひたすらに論議するのだ。 退屈な時間を持て余すことを、考えては陰鬱になった。 それ以外のことは考えなかった。 「アメリア皇女!」 唐突にかけられた声は、知っているものだった。 「……ギディルヒア王。どうしたのですか?」 振り返れば血相を変えた体格のいい中年男性。 見た目は畑でも耕してた方が似合う男だが、これでも一国の王だ。 「お聞き及びでしょうが、あの娘が逃げました」 「そうですか。それでは捜索隊を組みましょう」 「そのようなもの、もう疾うに動いています。私が言いたいのはそのことではない。失礼ですが、あの娘を逃がしたのはあなたではないですか」 その言葉に、頭の芯から体を揺さぶられた気がした。 真っ直ぐ立っているはずなのに、何故かぐらつく視界を必至で抑え、アメリアは冷静を装った。 「どうして私がそのようなことをしなければならないのですか?」 「最初の会議のときに現れたあの魔物、あれを引き入れたのはあなただと言う噂も聞きます。あの魔物と組んで、あの娘を逃がしたと考えるのは不自然でしょうか?」 猜疑的な眼差しを向ける男に、アメリアは早くなる心臓とは対照的に、ゆっくりと呼吸をした。 今後の国交の為にも、中心であるセイルーンが崩れるわけにはいかない。 こんなときなのだから、尚更。 「まさか。わたしとあの娘はなんの関係もない」 彼女の言葉、態度、全てはセイルーンそのものに通じるのだから。
早過ぎる鼓動を抑え、急いで自室に戻ろうとするアメリアに、不躾な声がかかった。 「姫、あなたがあの娘を逃がしたのでしょう。あなたはかつてあれと共に旅をしていたと聞きました」 元々なのか、意識してなのか、そのよく響く大きな声で、近くに居た何人かの者までがアメリアの方を見た。 不穏な言葉と、その視線と、取り乱されている律動に、アメリアは思わず怒鳴り返す。 「無礼な!誓って言うけれど、わたしは何も知らないわ!」
ようやく人気のない場所にまできて、アメリアは遠くに喧騒を聞きながら壁にもたれた。 本当は早く部屋に戻りたいのだけど、妙なほどの疲れが、足を止めてしまったのだ。 ふと、人の気配を感じ眼を遣ると、彼女の腰くらいまでの背丈の女の子が自分を見ていた。 赤みの強い、長い癖毛の少女。どこか彼女に似た面影の少女だ。恐らくはどこかの王族についてきた部下の、その子供だろう。子供を預ける場所もなく、仕方なく連れてきた者がかなり居たと聞く。 少女は大きな黒い瞳で、アメリアをじっと見上げていた。 「どうしたの?」 アメリアが訊ねると、すぐさま少女らしい高い声が返って来た。 「姫さま、この世界を滅ぼす人を逃がしたのは本当にあなたなの?・・・・姫さまはあたしたちが嫌いなのね」 あまりに無邪気な視線。 あまりに真っ直ぐな声。 どうしていいか分からず、アメリアは身を屈め少女を抱き締めた。 「いいえ違うわ。わたしはあの人を逃がしたりしない。この世界を愛しているもの」 愛していたのは誰だったか。 守りたかったものはなんだったか。 何処にも嘘はないはずだったのに。 「本当に?」 「本当よ」 「指切りして」 「いいわ」 そうしてアメリアは呪いをかけて誓った。
ゆーびきりげんまん 嘘ついたら 針千本呑ーます
その無邪気な呪いの言葉に懸けて。 誓った心は何を夢見ただろう。
窓から差し込む幾筋もの光。
嬉しそうに微笑み手を振り走っていった少女の背中に、吐き気さえ覚えた。
アメリアは王宮を飛び出し、その広い庭に彼女の姿を探したが、もはや見つかるはずもない。 彼女はリナの言葉を思い出し、激しく泣いた。
「今夜、あなたは三度、あたしを裏切るわ」
2006年01月18日(水)
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