君は戦場で咲く:1【シルリナ】

お題連作。

時間軸:NEXT終了後〜TRY開始前
NEXT最終話でシルフィールが「今度はお供します」って言ってしばらく一緒に旅をしたようなので、その間のお話です。

written by みなみ




1:花を抱くその手で剣を握る


 「これ、なんて言うの?」
「こちらの白い方が蘭、赤い方はカーネーションですよ」
ふぅんと相槌を打ちながら、抱えた大きな花束の香りにリナは息をつまらせる。
「花は苦手だわ」
「まあ、お仕事ですから。我慢してください。」
シルフィールは自分で見立てた花の代金を支払ってから、ふと思い出したようにリボンの追加を頼んだ。
「華やかな方がいいでしょう。こういうのは気持ちですから」
あからさまに嫌そうな顔をしたリナには取り合わず、ピンクのリボンを手際よく花束に巻きつける。いつもとは違うスカート姿のリナには、それがよく似合った。

リナとシルフィールがふとした弾みで残りのパーティーとはぐれてから早数日。戦場ではありがちなことだからとリナは言って、そういった観念とは縁遠かったシルフィールはそうですかと不承不承頷いた。
そんなシルフィールだったが、ガウリイたちを探す道すがらの旅費の出所にははっきりとした意見を持っていた。すなわち、巫女たるもの盗賊相手とは言え盗んだお金で寝食を行うことはできません、と。今度はリナが不承不承頷いて、シルフィールの納得するような「まっとうな仕事」で当面の旅費を工面することにした。

今回の仕事は積極的に受けたというより、舞い込んできたものだった。
宿屋の食堂で次の行き先を考えていたとき――何しろ当てのない旅をしていたさなかの不意の戦闘だったものだから、はぐれたときに落ち合う場所など決めていなかったのだ――近くに座っていた初老の男性が聞こえるか聞こえないかほどの声でリナに声をかけてきた。
シルフィールは乗り気だったが、リナは憂鬱になった。

「でもさぁ、声が似てるってだけで気付かないもんかなぁ。それに年だって全然違うでしょ。あのおっちゃんの話でいくと、その娘さんってもう結構な年よ」
「ちゃんと聞いてなかったんですか、リナさん。娘さんが家を出てから、彼女の時間は止まったままだと仰ってたじゃありませんか。」
「そこが問題なのよ。それって要は逃避してるわけでしょ。そこにあたしが娘さんの振りしてやってきたりしたら、そのおばあさん、もう二度と現実に立ち戻れないかもしれないわよ?」
「多分、最初から無理なんですよ。」
「なに?」
「一度逃げてしまった現実に立ち向かえるほど強いひとなんて、本当はそんなに居ないんですよ。リナさんには信じられないかもしれないですけど。」
「なによ。それ。」
リナがムッとして睨む。それが、意味が分かったからなのか、分からなくてなのか、シルフィールには図りかねた。ただどちらにしてもリナにはやっぱり理解できないだろうと思った。
シルフィールは遠い眼差しを小さな赤い屋根の家に投げかけて立ち止まった。リナも立ち止まる。
「私は、それでも会えて嬉しかったんです」
シルフィールの呟きは小さかった。自分の弱さへの引け目か、リナに理解を強要するつもりはないと言う意思表示からかは分からなかった。リナの脳裏を、あの死霊都市で微笑んでいた神官長の姿が横切る。
リナは何も言わず、答えの代わりに目の前の小ぶりなドアをノックした。
「ただいま。――かあさん」


もうすぐ、俺の姉の誕生日なんだ。姉には娘がひとり居て、とても大事にしていたんだよ。その前に2人流してて、いやそれもあるだろうが実際かわいい子だったんだ。俺にも懐いてくれていた。おまえさんの声を聞いてると、俺の名前を呼んで手を振ってくれたあの子の姿が昨日のことみたいに思えてくる。なあ、ヴェルシュおじさんと呼んでみてくれないか。……いやなんでもない。変なことを言ってすまなかった。忘れてくれ。ただ、俺にとっても本当に大切な子だったんだよ。どうしていなくなっちまったんだろうなぁ。いや理由は分からないんだ。仲のいい母子だったし、正直家を出て生きていけるほど自立してたわけでもない。どこかでたぶらかされたか事故にあったか。どっちにしろ、もう生きてても死んでてもこの町には帰ってこないだろうよ。
――30年も前の話さ。


 家の中は簡素だが綺麗に整頓されていて、日常的に手入れがされているように見えた。
まるでなにごとも無かったかのように。
「ああ、ロタ。おかえり」
椅子に腰掛けた女――フェルシュが、閉じた瞼をリナたちに向けた。彼女は娘を失ったその日から文字通りすべての光を失っていた。
「うん……ただいま」
リナがぎこちなく微笑む。声はなんとか明るいものになった。
「お友達も一緒なんだね」
「……うん」
「シルフィール=ネルス=ラーダと申します」
シルフィールは丁寧におじぎをした。そのあとで所在無さげなリナに視線を送る。リナはその視線の意味を理解して、慌てたように花束を抱え直した。
「あ、あの、」
「どうしたの、ロタ。こっちへおいで、近くへきて、顔を見せて」
リナはためらうように小さな歩幅でおそるおそるフェルシュのそばに立った。いつもの堂々とした足取りとは比べるべくもないそれに、シルフィールも困惑の余波を受ける。この仕事を受けたのは間違いだったのだろうかと、今更に思った。
「今日もいい日だったかい」
リナの両頬を挟んで、フェルシュが微笑む。リナははにかんで頷いた。
シルフィールは突然、今すぐリナの腕を掴んでこの場を離れたい衝動を抑えなければならなくなった。無性に危険な予感がする。巫女としての予感か、個人的な予感かの判断がままならない。
「かあさん、」
引き換えリナは、ここにきて真面目に仕事を遂行していた。
「お誕生日おめでとう」
ピンクのリボンをかけた花束を、薄いガラスを扱うような手つきでフェルシュの腕に抱えさせる。固い皮膚の内側で柔らかい熱が流れているのを感じた。その流れが体中を巡って、フェルシュの閉ざされた瞼のふちから溢れだす。リナは困ってしまった。
「泣かないで」
「泣かせておくれ。嬉しいんだから。」
花束に顔を埋め、フェルシュは静かに泣き続けた。

『見つけたぞ、リナ=インバース』

その声が空気を震わせた次の瞬間。家をひっくり返すような大きな力がリナたちを吹き荒らした。
「なっ」
「リナさんうしろっ!」
扉に背を向けていたリナはシルフィールの言葉に咄嗟に左に飛ぶ。
たった今リナが立っていた床を抉り、何かの力がうねを作り出した。玄関からフェルシュの座る椅子までの直線をためらいもなく描きながら。
「かあさん!」
呼び慣れない名前が咄嗟に出ることもなく、リナは思わずそう叫んでいた。
『外したか』
言いながら窮屈そうにドアをくぐってきたグロテスクな姿には、見覚えがあった。
「……キレガラーク」
リナが、今にも眼球そのものを焼き払ってしまいそうな瞳の色をふるえる前髪の下から覗かせる。数日前にガウリイたちと共に戦った魔族だった。
『強がるなよ。助けてくれる仲間は居ないんだぞ。どうする?』
言って厭な視線でリナを舐める。リナの感情を喰らって、芯から嬉しそうだった。
『人間ひとり死んだくらいでそんなにおいしい感情が出せるんだな、おまえは。そうと知ってれば、先に仲間の方を殺してから来たんだがな』
シルフィールは取り合わずに呪文を唱え始めた。リナの耳には届かない。
「ああ、」
天井を仰ぐと、のきなみ真っ赤に染まった花びらが舞っていた。
「そうよ、こうでなくっちゃ」
キレガラークがまた何か言おうとしたのか微かな空気の震えが起こったとき、リナの手の平の中に闇が生まれる。
闇は刃の形を成し、溢れかえる力が刀身のあらゆるところから吹きすさんだ。千切れてリナの制御下を離れた闇の片鱗がところどころで家具を消滅させた。フェルシュの血で濡れた赤い花びらも、一枚また一枚と闇に還っていく。
「神滅斬(ラグナ・ブレード)!」


 「ありがとう、シルフィール」
小高い丘の上で町を振り返ったとき、ようやくリナが口を開いた。
「封気結界呪(ウィンディ・シールド)張っててくれたでしょ。あれが無かったら多分、近くの建物くらいは巻き込んでたと思う」
シルフィールは、ガウリイならきっとここでリナの頭を撫でるんだろうと思った。
代わりにシルフィールはリナの小さな手を取って、握り締められた拳をゆっくりと開かせた。
「いいんですよ。私にも責任がありますから」
爪の形に食い込んだ傷を治しながら、リナの言葉について想った。
『そうよ、こうでなくっちゃ』
キレガラークの残酷さに、確かにリナは喜んでいた。その敵意に迷わず応えられるから。そしてフェルシュの愛の深さに戸惑っていた。自分に向けられた不当な評価が重すぎて、そして多分、少なからずサイラーグでのシルフィールを重ねて。
自分の存在は、その不遜な言動にそぐわず意外にも仲間に殉ずる彼女の信念に、拭えぬ罪悪感を与えているのだろうか。
「自分を責めないでくださいね。あの方は、娘さんを失った日にとっくにそのあとを追っていたんです」
なにごとも無かったかのように整頓された部屋。前に決して進むことなく、変わらない小さなその世界だけに生きていた。昨日と同じ明日が来る部屋。だからと言ってリナが請け負うべき責めが消えるわけではないだろうけれど、それでもリナは頷いた。見慣れた白い小さな手の平をまた握りしめて、リナが歩き出す。シルフィールが従う。
供えるつもりでリナが買った花束は、結局手向けられないまままだリナの手の中にあった。
リナは小さな花束を掲げて、風にさらわれるままに手放した。
「あたし、こんな風にしか生きられないわ」
もう振り返りもせずにリナは歩いていく。シルフィールも振り返らずにリナの背中を見つめた。
「知っていますよ」

2006年01月04日(水)
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