あめあめふれふれ【火月】

未来。ギャグなのかシリアスなのか甘々なのか私にも分からない。






 あまいあまいあめだま しあわせを運んでくれるのと かなたであなたが微笑んだ


 「なに食べてるの?」
カランと鳴った小さな音に気が付いて、振り返ると上司の頬がふくらんでいた。
「飴」
「あめ?」
コロコロと口の中で転がすたびに、またカランと音がする。
「あめ、アメ……あぁ、懐かしいわね」
マーズは何度かその言葉を繰り返し、やっとで記憶のかなたの思い出に触れた。
「そう、あたしも懐かしいなぁと思って。ジュピターが作ってた試作品をもらったのよ」
「あなた暇なの?」
「失礼だな。マーキュリーが、クイーンの偏食をどうにかできないかって言うから。昔は好きだったろ、そういうの。」
「……そうね」
触れた思い出は懐かしすぎて、遠すぎる。確かにあの子が好きだった甘い甘い飴。
でもその味をどうしても思い出せない。
いつもその声、その笑顔から香った甘さなのに。
「あたしにもちょうだい」
「? マーズ甘いの好きじゃないだろ?」
「たまには良いじゃない」
「ごめんよ、試作品はあれで最後なんだ」
困ったように視線をやった先で、ヴィーナスがまたカランと音を立てて飴を転がした。
「要る?」
べっと出した舌の上で、小さくなったピンク色の飴。
いたずらっぽく笑うのならまだ断れたものを、しれっと言うから、少し迷った。
「仕事中よ」
手が止まってる仲間たちを一瞥して、マーキュリーが呆れたように呟いた。
「なんで? 別に欲しいならあげるわよ。それだけのことでしょ」
何百年も一緒に暮らしてきた馴れ合い。同じ使命、同じ運命、想い人まで同じ。
双子よりも同じすべてを共有してきた、今となっては相手と自分の区別があるのかも分からない。
他人と呼べるのはたったひとり、あの子だけ。
それ以外なら誰の臓腑も唇も同じこと。
「じゃあ、もらうわ」
他愛ないことを深刻ぶって考えるのも馬鹿らしくなって、マーズはヴィーナスに唇を寄せた。
目を閉じることもなく合わせられた唇から、ピンクの飴玉が受け渡される。
途端に香るイチゴの匂い。
それはイチゴ味と言うには雑で、ただただ甘いばかり。
ああそう、こんな味だった。
甘い甘い、甘いだけの飴。
なのになぜか彼女は笑うのだ。
しあわせ、と。
たったそれだけのことを喜んだ。
あの日は遠い。
「感傷に浸ってるでしょ?」
飴がなくなって口さびしいのか、舌で唇を舐めながら、ヴィーナスが少し笑った。
マーズも仕方なくなって一緒に笑う。
「嫌ね、やっぱり好きだってまた自覚してしまったわ」
「……同じく」
苦笑を交し合う2人の肩を、マーキュリーとジュピターが無言で叩いた。
何の気なしに顔をあげれば、そこには凍りつく2人の顔。
「なに、どうしたの?」
「ちょっと、そこまで変な顔することないでしょ。たかがあんなキスくら、い、」
黙りこくった2人の視線を辿って、ヴィーナスの声も掠れて消える。
マーズが手にしていた書類の束を取り落とした。
「……ごめんなさい、邪魔してしまって」
開いたドアのそば、不遜な女王がいつになくしおらしい様子で後ずさる。
踏み込みかけていた足がじりじりと下がり、ドアがゆっくりと閉められた。
「……だ、」
沈黙の室内の長い静寂を、マーズの震える声が打ち切った。
「だからなんであんたはこんなときばっかりいいいいい!」
叫び声の終わりは、涙混じりだった。


 心からの同情でもって慰める同僚たちから、定時より早く帰された自室に戻る途中、どうして会いたくないときばかり会ってしまうのか、件の女王とはちあわせた。
『あたしたちのキスなんて、クイーンにしてみれば鳥がついばんでるようなものでしょ。きっとすぐに忘れるわ』同じ立場でありながら、幾分高いところで悟りを開いている上司は冷えた笑顔でそう言った。
――もっとも過ぎて、気にしてる自分がばかみたいだわ。
そう、この女王は、もう自分たちを必要とはしていない。
窓辺にとまる鳥と同じ。
「……クイーン、先ほどは、見苦しいものをお見せしてしまって申し訳ありません」
自嘲するように笑うと、心の重荷が少しおりた気がした。
クイーンの返事がないのを、もう忘れてしまったのかとさえ思っていたとき、いつもは詰めることのない、彼女が定めた距離を縮めて、クイーンがマーズの目を見て立ち止まった。
「ヴィーナスが好きだったの?」
「え?」
「……ずっと」
頼りなく声を落として、やがてクイーンは小さくため息をついた。
「あなたたちはわたしが好きなんだと思ってたわ」
眉を下げたまま、少し笑ってクイーンがマーズを見上げる。
「変ね、ずっとそう信じていて、ずっと、そのことが苦しかったのに。わたしを好きなあなたたちが嫌いだったのに。今日あなたたちが両想いだってことを知ってから、やっぱり同じ場所が苦しいの」
わたしはわがままね、と女の子の声で呟くのをどこか遠くで聞きながら、マーズはふらふらと倒れそうになる頭を支えて必死で思考を巡らせた。
「……えっと、クイーン、それは、」
「?」
「……やきもち、ですよね?」
恋に念を押すことの愚かさを知りながら、それでも確かめてしまったのは、絶望することに慣れ過ぎていたからかもしれない。
つたない光すらも眩しすぎた。
クイーンが、言葉で返すより先に、あの甘いだけの飴と同じ色に頬を染めた。
「……そ、そうなるのかしら」
「〜〜〜〜っ!」
だからっ、とまた叫びだしそうになる自分を抑えながら、その続きの言葉を決めかねて、結局マーズは口を閉じた。
こんなに好きにさせておいて、冷たくして、そっぽを向くくせに。
離れて行こうとすれば引きとめるなんて。
ずるい、ずるいわ。
しかもそれはわたしにだけじゃないんでしょう?
罵る言葉は無数にあったけれど、そのすべてを飲み込むことに決めてしまったから、仕方なくマーズは、捨て猫のような顔で途方に暮れている主を慰める言葉を選んだ。
「悔しいけれど、あなたが好きです。頭にくるけど、わたしにはあなただけなんです」
真意を裏打ちするように優しい声で紡がれた言葉に、女王は少し考えてから微笑んだ。
「よかった。それならまだ、あなたを嫌いで居られるわ」
酸っぱくて苦い、甘いだけじゃなくなった飴。
それでも仕方なく、口に含んで転がす。いつまでも溶けて消えない恋心。
――ああ、もう。
「……むかつくから、抱きしめてもいいですか?」



あまいあまいあめだま たしかにしあわせはこんでくれた


2003年03月06日(木)
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