運命の29日間【5】

 「……遅いね、うさぎちゃん」
まことが時計を気にしながら、殆ど一分おきに言った。レイはそれに溜息がちに答えた。もちろんこれも一分おきに。
「いつもの事じゃない、もうすぐ来るわよ。」
そういうレイ自身も落ち着かない。確かにいつも通りではあるけれど、いつも通りじゃない要因があるから、色々考えてしまう。けれどどれもまっとうな思考ではなくて、しっかり形になってはくれなかった。
「ヒント、みたいなものを、」
不意に亜美が言った。
「あげたらどうかしら。東京には1264万人の人が居るのよ。恋どころか、もう一度出会うだけでもちょっとした奇跡だと思うんだけど。」
みんなの注目の中で、亜美は単なる軽い思いつきと言うように淡々と話す。単なる協調性の発揮、と言うようにまことも頷く。
「いいんじゃない? 予告も無しだったしね、少しくらい“ヒント”があっても。」
後ろめたさ――衛にではない、うさぎにだ――からか、まことがその意見に大きく傾いているのは見て明らかだった。
レイと美奈子が顔を見合わせる。いいや、レイが美奈子を見つめている。窺うように見据えるレイの視線をするりと交わして、美奈子がまことに振り返る。
「賛成。」
次いで亜美にも視線を送る。
「でもどうやって? 衛さんはあたしたちのことだって覚えてないのよ。当然よね。あの人とあたしたちは、うさぎちゃんが居なければ繋がらなかったんだもの。」
面白い冗談でも言ったような風で、美奈子がくすくす笑う。レイはその笑顔を見るたびにいつも少し冷めた。そしてその冷めた温度の奥で、罪の意識がサッと燃え上がる。
世界で最も美しかった均衡を壊してしまったのだと言う、途方も無い罪。ミャンマーの奥地で、崖の縁に立つ今にも転がり落ちそうな巨石を支えているという聖髪――それはきっと金髪に違いない、金髪の仏陀だ――を引き抜いてしまったような、取り返しもつかない罪。そうだこれは罪だ。怖ろしい崖を、黄金の巨石が転がり落ちていく。思いもつかないスピードで、見届けることも叶わないほどの深さへ。落ちていく、落ちて――。石とともに落ち始めたレイの意識は、亜美の声で引き上げられた。ハッと顔をあげると、亜美は少し哀しそうな顔で、それでもまだ平坦な調子を続けようと苦心していた。
「元基さんに相談してみたらどうかしら。適当な理由や嘘を重ねて、一度だけでもうさぎちゃんと彼を合わせられたら、それで充分でしょう?」
亜美が固く組んだ指は、先が白く、凍っているようだった。
「わたしたちは、それ以上は干渉しない。それで終わるようなら、――そう、それで終わりよ。」


2003年02月15日(土)
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