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■ 金魚花火【7】
「なんて馬鹿なことしたんだ」 遠くから、またはその内側から、わたしは2人のやり取りを眺めていた。やり取りと言うにはあまりにも一方的な会話だったけれど。 「亜美ちゃん、……アタシの声が聞こえないのかい、ねえ、亜美ちゃん」 彼女が必死に呼びかける。呼吸するだけの死体みたいだったのあの数日間のことを、わたしは殆ど覚えていない。 「……狐のお面が見つかったよ。」 わたしはハッとなる。だけど記憶の中のわたしは何も言わない。布団に横たわったまま、何か遠いものを見つめてじっとしている。まばたきをしなければ、誰も死体であることを疑わないだろう。 「あんたが腰につけてたのと同じものだ。下流の方で引っかかっていたのが見つかった。……彼は見つからなかったけど、これは彼のものだろ? 2人でこのお面をつけて、お祭りに行ったんだね? 違うかい?」 反応を待つように、彼女は少し間を置いた。それでもわたしは何も答えない。沸々と怒りの温度があがっていくのが分かる。 「どうしてそのまま逃げなかったんだ。逃げれば良かったんだ。死ぬ覚悟があったなら、それくらい出来た筈じゃないか。」 叫びだしそうになりながら、それでも彼女は立場をわきまえていた。彼女がここへ奉公に上がってきた頃から、彼女はいつだってわたしに正しい事を教えてくれた。そんな彼女にしては珍しいほどの感情論だ、と今のわたしは冷静に思う。あの頃、どこへ逃げたって世界はそんなに変わらなかった。どこも等しい地獄だった。 「話をする気がないならそれで構わない。ただ、ひとつ言っとくよ。あんたを許さない。」 「出て行って。」 吐き捨てると言うほどの感情すらなく、“わたし”が言っていた。彼女も、もはや未練ひとつ残さず「ああ」と言った。 「もう来ないよ。今日限りだ。」 彼女は自分の言葉を守りそれきり二度と会うことは無かったけれど、もう動かなくなったわたしの体に、すがって泣いてくれていたね。 今ならわたしにも、あなたの怒りのわけが分かる。
小さい頃から、かぐや姫とか桃太郎とかのありふれた童話のひとつみたいに繰り返し聞かされた。初めて聞いたときの事は覚えていないけど、この歳になってみれば、その話の真意は単純だ。 江戸時代、うちのご先祖様が奉公にあがってたお武家様のとこの一人娘が、身分の低い男に惚れて心中――実際には“後追い”になったけど――した話の結末。なんてことはない。 その2人が大好きだったから、どんな形でも生きていて欲しかったんじゃないか。 面職人だったと言うその男(と言うより殆ど少年だったらしい)とも仲が良く、その人柄に惚れ込んでいたうちのご先祖様は、自分の主が、武家の女でありながらその男の住む長屋に身を寄せたときは怒りもせずに手を貸したらしい。彼女の父に問い詰められたときも知らないと言い張って、2人の恋を守ったんだ。だからこそ、2人が心中を選んだことを許せなかった。生きていて欲しかった。そりゃそうだ。 「偶然じゃなかったみたいだね」 前後の脈絡無く言うと、あの夜とは違うカジュアルな服装の少女は首をかしげた。ピンクの浴衣が非常に可愛かったので、アタシはちょっと残念だった。 「いやこっちの話。えっと、狐のお面だよね?」 促せば、思い出したようにまた言い募る。 「あ、そうなんです! 確かふたつあったと思うんですけど、もしまだ残ってたら……」 「うん、あるよ」 言葉の途中で遮って、玄関先で元気いっぱいの声を出すおだんご頭の女の子を玄関の中に引っ張りこんだ。少女の軽い体が一瞬浮いて、きゃっとびっくりした悲鳴をあげる。 「このアパートの連中は夜行性が多いからね。こんな真っ昼間に騒いでたら怒られちゃうよ。」 「あ、ごめんなさい。」 慌てて両手で口を押さえる仕草が可愛くて思わず笑う。 「いいさ。」 アタシにしてみても寝起きで、いつもなら居留守くらい使おうかってくらいの眠気だったけど、玄関の向こうから呼びかけてきた声には覚えがあった。 「それより、よくここが分かったね。」 「夏祭り委員会のひとに聞いたんです。」 「そっか。熱心だね。待ってな、すぐ持ってくるから」 部屋の奥に引っ込んで、言葉通りすぐ戻ってくると彼女はびっくりした顔をした。アタシはなんとなく予感がして、しまいこまずに出していたんだと説明する。 「予感?」 「これは、うちに代々伝わっていたものなんだ。昨日あんたが買ってった方とふたつ一緒にね」 少女はじっと狐のお面を見つめる。しばらく考え込んでから顔を上げると、困ったような眼をしていた。 「……簡単に売っちゃっていいんですか?」 良い子だな。そう思った。 子供にとっては宝物のような夏休みの最終日に、わざわざ訪ねてくるほど欲しかったものなのに、躊躇う。きっと本当は、駄々をこねたいくらい欲しいんだろうに。 アタシは優しく微笑んで見せた。 「良いんだ。ご先祖様の言うところには、欲しがる人に渡しなさい。必要な人しか欲しがらないから、ってさ。だからこれはあんたにあげるよ。――あんたには必要なんだろう?」 お面を手渡すと、少女はそれはもう素敵に微笑んで、ありがとうございます!と、体育会系のうちのサークルですら中々聞けないような元気な声で頭を下げた。 もし“何か”あったら話を聞かせてと声をかけると、不思議と意味を承知しているような顔で頷いて、彼女は走り出して行った。
2003年02月07日(金)
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