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■ 金魚花火【3】
誰ひとり物心ついていない頃からの付き合いになるけれど、私はいまだにこの兄妹を面白がって見ている。飽きない人たち。それってなんて素敵なことかしら。 「みちるからも何か言ってくれよ。僕の言うことより君の言うことの方が聞くかもしれない」 「あなたが普段甘やかしすぎるからよ」 困り果てた恋人は、いじけてそっぽを向いた妹の方を盗み見ながら溜息をつく。 中学のとき、男女が友情でのみ結ばれていると言うのが納得いかないらしい周りの視線をやり過ごす為、言うなればいつまでも3人で居たいが為に付き合いだしたような私たちにしてみれば、この子の為に時間を費やすのは少しも苦にならないことだった。 恋人と同じくらい、と言ったら大げさになるのだろうか。でも事実それくらいに大切な、実の妹のように可愛がってきたうさぎ。そのうさぎが幽霊に憑かれたとはるかは言う。 「頼むよ、ほんと」 本当に仕方のない人だわ。 「ねぇ、うさぎ」 「嘘じゃないもん」 「嘘だなんて言ってないだろ」 「はるかは黙ってて。うさぎ、昨日は楽しかった?」 「……うん」 「お祭り、大好きだものね」 声に笑みを含ませると、うさぎはきらきらと純粋な喜びを煌かせながら私を見た。 「うん! お祭り大好きだし、亜美ちゃんに会えたからすごく楽しかったよ。幽霊ってもっと怖いと思ってたのに、亜美ちゃんは全然怖くなかったの。嫌いって言われちゃったけど……また会いたい。お友達になれるかなぁ?」 「そうね、うさぎならなれるかもね」 「みちる。やめてくれよ。あそこがなんて呼ばれてるか知ってるだろう?」 「黙っててって言ってるでしょう? 私は今うさぎと話しているの」 「…………」 はるかは不承不承口を閉じる。はるかの過保護は自他共に認めるところだけど、この件に関して特に心配なのは私にしても同じ事だった。 「みちるお姉ちゃん、はるかお兄ちゃんに言って。亜美ちゃんはいい幽霊だって。お兄ちゃん、もう会っちゃダメだって言うんだよ」 「――ねぇ、うさぎ」 この上ない笑顔を浮かべてうさぎを見つめると、うさぎはその陰に“諭す大人の気配“を敏感に察して一瞬顔を強張らせる。私はそれ以上警戒心を抱かれないように、矢継ぎ早に次の台詞を口にした。 「昨日は一緒に行けなくてごめんなさい。課題も終わったから、今日は一緒にお祭りに行っても良いかしら?」 うさぎがぱっと表情を輝かせる。 「もちろん!」 頭を抱えたはるかの横で、うさぎがはしゃいで飛び回る。さて、ここからが問題だわ。
チベットは雨季の真っ只中。通り雨が過ぎたあとの、気の長い曇り空を眺めながらバター茶を飲んで、日本ではちょうど地元の夏祭りが始まる頃かなと思っていたときだった。 「久しぶりね、みちる姉さん」 手紙で定期的に連絡を取り合う以外、不意に電話なんてかけてくる人じゃない。何があったのかと訝しむ。ただ、考えてみれば、行ったこともない地元の夏祭りなんて思い出したのは、ある種予感だったのかもしれない。 『本当に久しぶりに声を聞くわね。元気そうで良かったわ……レイ』 「ええ、お陰さまで。それでどうしたの?」 慣れない単語のように名前を呼んだ。あたしにしてみても、姉は遠い人だった。 ほんの小さい頃から異端の力を持ち、その修行に明け暮れてきたあたしは、物心ついたときには俗世との交わりを殆ど絶っていた。ここチベットでより本格的な修行をする為に日本を離れたときも、あたしは泣かなかったし姉さんも泣かなかった。泣いて偲ぶほどの思い出すら、共有してはこなかったから。 『相談があるの。うさぎを覚えてる?』 「覚えてるわ。実際に会ったことがないなんて信じられないくらい、何度もその子の話を聞いたもの」 布団を並べて、眠るまでの少しの間だけ。2人が過ごしたたったそれだけの時間の大半は、“うさぎ”と“はるか”の話に終始する。普通を知らないあたしには、ぜんぶ不思議だった。 きっと姉さんは、あたしに与えたかった分の愛情も全て、そのうさぎと言う女の子に注いできたのだろうと思っていた。姉さんは姉さんなりに寂しかったのだと今なら分かる。あたし自身、なんだってこんなにヤケみたいに力を磨いているのか分からないけど。 『その子が、昨日の夏祭りで幽霊に会って話をしたと言うの』 「そう」 当たり前のことのように頷く。元を辿ればあたし達の家系の本家に当たるその神社では、あたしもよく“うつむく者たち”を見た。いわゆる幽霊だけど、大概は無害だ。 ただ、話までしたとなると。 「それで、その子の様子は? 熱が出たり、体が冷たくなったりとか、顔面蒼白だとか……」 『全然、いつもよりご機嫌なくらいよ。すっかりその幽霊がお気に入りで、友達になりたいらしいの』 「……はぁ?」 『どうやったら諦めてもらえるかしら? これが相談。』 「……えっと……そうね、じゃあ取り合えず神社に行かないようにすれば良いんじゃない?」 無難に返してみる。 『夏祭りは二日間あるのよ。今夜、はしゃぐ子供を神社に行かせないようにするのは、世界中の核兵器を一瞬で楽器に変えろと言うようなものだわ』 「……そんな無茶と分かっていながら、あたしに相談してるの?」 『だから、お祭りに行かせない以外の方法を考えて欲しいの。』 毒されたのか、そのうさぎと言う子に。こんな強気な我侭を言う人だとは思ってもみなかった。ふつふつと込み上げるのは、自分でも意外な事に笑いだった。 『レイ?』 「姉さんもやっかいな事に首を突っ込んだわね」 『やっかいかしら?』 「多分姉さんが思っている以上にね。……“うつむく者”に話しかけてはいけない。これは鉄則よ。それを破ってしまったなら、それ相応の報いを受けなければいけない。まだうさぎに異変は無いと姉さんは言うけど、その“うつむく者”に心を奪われた今の状態は、いわゆる“憑かれている”のと同じことよ」 『そういえばはるかも言っていたわ。うさぎが幽霊に憑かれてる、って。そういう意味だったのかしら』 「分家とは言え、仮にも神主の家系の言葉とは思えないわ」 『勉強不足は認めるけど……。あなたも言うようになったわね』 怒ったと言うより感心したように姉さんが言うので、あたしはまた笑う。 「幽霊や妖怪、物の怪の類が出てくる怪談や都市伝説によくこういうのがあるでしょう、“この話を聞いた人のところにも3日以内にやってくる”って言うくだり。あれは割りと本当で、“怖れ”が強い意識となって、それらを呼び込んでしまうの。来るな来るなと言いながら大声でオバケを呼んでるようなものなのよ。怖れることで、心は霊を認め開かれてるわけだから」 『なるほど。それどころかうさぎは喜んで霊に心を開いてしまっているからやっかいなのね。』 そうよと応えると、深刻そうに一度黙り込んでから事の次第を詳しく話し始めた。国際電話なんだけどと思ったが、まあ、きっと気にしてないんだろうからあたしも気にしないことにした。
2003年02月03日(月)
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