空に浮かぶ森【16】

 「ほら、いい加減離れなさい。仮にも皇女相手に馴れ馴れしすぎるわよ」
会ったばかりの時とは違う体裁を繕う為だけのマーズの怒った表情に、うさぎはまったく怯まず舌を出した。
「いいじゃん、あたしだって一応プリンセスなんだし」
「……はあ? どこのよ?」
「いやいやいや! こっちの話ですのでお気になさらず!」
眉を顰めたマーズの目の前から、うさぎが突然高速で引き離される。
「み、美奈子ちゃん?」
突然現れた美奈子の肩越しに、いつの間にか追いついていた仲間達の姿があった。顔つきから、なんとなく穏やかな空気を感じ取る。(ヴィーナス達と仲良くなったのかな)
「もうっうさぎちゃん! 相手の正体も分からないのに、そんなこと平気で口にしない!」
小声で美奈子がたしなめる。
セレニティを始め彼女たちに悪意を疑う気にはなれなかったが、それでもこの空間の中にあっては、仲間以外を信じることは得策ではないと誰もが思っていた。誰かがここに自分たちを連れ込んだのは、どう考えたってお茶会を開くためなんかでは有り得ない。大抵の事は、まず罠と思ってかかった方がいい。
しかし、うさぎの頭はそんなことは少しも掠めないようだ。
「大丈夫だよ。あたし、セレナがあたし達を騙そうとしているようには見えない。きっとあたしたち、ライムかパイナップルの中に入っちゃったんだよ」
小声の会話を側で聞いていた亜美が、自信無さげに言う。
「……もしかしてタイムパラドックスって言いたいのかしら?」

 「ねえ、マーキュリー、お願いがあるんだけど……」
うさぎ達がこそこそとしている脇で、セレニティはマーキュリーに甘えた声で擦り寄った。
「ダメです」
「マーキュリー」
「……ダメと言ったらダメです」
「せめて最後まで聞いてよ」
スカートの裾を引き哀しげにしてみせるセレニティに、マーキュリーが縋るようにマーズに視線を送る。薄情にも無関係を装い目を逸らされて、溜息と共に仕方なくセレニティと向き直った。
「最後まで聞かなくとも、あなたの言いそうなことくらい容易に想像がつきます。……この湖を凍らせて欲しいと言うのでしょう?」
セレニティが目を輝かせる。
「当たり! ねえ、いいでしょう? ジュピターだって滑りたいはずだよ。こんなに広くて綺麗なリンクだもん。ね、ジュピター?」
こちらも無関係を装っていたジュピターに向かって、セレニティが話を振った。ジュピターはあくまで無関係を装った顔で。
「こらこら、プリンセス。人を巻き込まないように」
「そんなー!」
「あ、じゃああたしがお願いしてあげるよ。ねえねえ、亜美ちゃん。お願い!」
突然話に割り込んできたうさぎが、得意げに亜美に振り返る。セレニティが目を輝かせた。
「え? 彼女にも出来るの?」
亜美はそんな2人の眩しい視線をなんとかやり過ごしながら、うさぎの手を引いて耳打ちする。
「……うさぎちゃん、私たちが変身できることは、それが必要じゃない限り知られない方がいいわ。ここがどう言う空間だか分からない以上はね」
「えー!」
そんな亜美の至極もっともな嘆願に、うさぎは深く考えもせずに非難した。口をとがらせながら逡巡し、ふいにセレニティと目を合わせる。相手も全く同じことを思いついた目をしていた。
「こうなったら……」
「最後の手段」
頷き合うと両手の指を組んで、2人の背後に立っていた人物に向き直る。
『ヴィーナス、お願い』
2人のすがりつくような甘えた視線に、ヴィーナスは意識の介入する間もなく脊髄反射で口走った。
「マーキュリー、この子たちの言う通りにしなさい」
「ちょ……ちょっとヴィーナス!」
「リーダー命令よ」
「職権乱用だわ!」
あまりと言えばあまりの上司の命令に、普段権力に従順なマーキュリーも思わず声を高くする。しかしヴィーナスには、聞き分けの悪い部下の扱いは手馴れたものだった。
「いい? 考えてもみて、マーキュリー。今のこの状況はプリンセスにとって多大なストレスとなってるはずよ。私たち四守護神の使命は、プリンセスの心身が共に健やかであるように、守り導くこと。ここで少しでもプリンセスの好きなことをさせてあげられれば、気も紛れるでしょうし、緊張の緩和にもなるわ。それなら私たちはその為に喜んで自分の力を使うべきじゃない?」
「よくまあ、そこまで口が回るもんだわ」
「だてに政治の全権握っちゃいないね」
完全に無関係を貫き通しているマーズとジュピターは、半ば感心しながら頬を引きつらせるマーキュリーを見守っていた。
「……分かったわ。すべてのことの責任は貴女にとってもらいますからね。ヴィーナス?」
「はいはい、りょーかいりょーかい」
「うわ軽っ」
恐らくは様々な意味合いを多分に含んだマーキュリーの言葉に、手をぱたぱた振りながら笑顔で承諾するヴィーナス。レイは呆れて肩を落とした。
「美奈子ちゃんって、昔っからああだったんだな」
「ほっといて」

2003年01月19日(日)
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