空に浮かぶ森【12】

 「――フォボス、これはどういうこと?」
恐ろしく抑揚のない声と、柔軟な部分の一切ない鋭い眼差しが、少しだけ和んだ場の空気を一気に緊張感で満たした。
「……マーズ殿、本物ですか?」
フォボスが、その驚異的な圧迫感に耐えながら問う。しかしその言葉は、更に大きな重圧となって彼女に返ってきた。
「何を訳の分からない事を。フォボス、質問しているのは私の方よ、……それは・・・なに・・?」
“再会”に気を取られていた面々が、一瞬だけ目を逸らしていた事態に、改めて直面する。
「すご……ほんとーに会っちゃった」

過去と、未来の自分が。

「マーズ殿、この方々は……」
自分の直属の主に説明を求められた以上何かを言わないわけにはいかないフォボスは、声を詰まらせながら必死で口を開く。
幸か不幸か、その膠着状態を壊す新たな問題はすぐに舞い込んできた。
「プリンセス! 良かった、見つかったんだ! ……って、う、うさぎちゃん?!」
物凄い勢いで飛び出したまことは、セレニティとうさぎを交互に見比べながら、息も整えずに目をしばたいた。その横で、息を切らした亜美が同じように困惑顔を浮かべている。
「まこちゃん、それ、美奈子ちゃんと被ってるよ」
緊迫感をないがしろにするまことの反応に、思わずうさぎが吹き出した。
「ちょっと待って……本当に、何なの、貴女たち」
まだ肩で息をし続ける亜美を見据え、マーキュリーが目を見開く。
緊張の長続きしないうさぎたちとは対照的に、彼女たちの警戒心は、今や限界値まで跳ね上がろうとしていた。
「……あの……申し訳ない」
進展の無い会話に、フォボスが躊躇いがちに声をかける。その顔は、目に見えて青ざめていた。
「話が長引くようでしたら、わたくしは席を外させていただきたいのですが……」
「ああ、そうね。貴女には辛いのよね。御免なさい」
興味の無さそうな一瞥と共に、マーキュリーが表面上すら申し訳無さを感じさせない声で言った。
「……いいえ」
俯き、苦々しそうにフォボスが目を逸らす。どうやら、性格上も今いち相性が良くないらしい。
「――でも、話が長引く理由はないわ。プリンセスはこうして見つかった。フォボスが此処にいるのだから、帰路は確保できていると言うことでしょう?」
「はい。ディモスを残してきております」
「それなら、直ぐにでもムーン・キャッスルへ帰るだけよ。何か問題が? リーダー」
マーキュリーがヴィーナスの答えを急く。子供みたいだ、と、亜美が内心で思った。理解出来ない状況からは一刻も早く立ち去りたいと言うその態度が、亜美には“我が事ながら”情けなかった。
「……まあ、取り立ててないわね」
それまで、静かな眼差しで成り行きを見守っていたヴィーナスが、静かに言った。
マーズは納得の行ってない顔でヴィーナスの方を見たが、現状の全てを納得する事の困難さを慮り、仕方なく黙った。
「それじゃあ、行きましょう」
誰かが異を唱える前にと言うように、マーキュリーがヴィーナスの号令を待つ。
しかし、考え込むヴィーナスの言葉を待つより先に、マーキュリーが恐れる異を唱えたのは、
「いや」
最もタチの悪い人物だった。
「プリンセス……?」
優しい声の小さな反論に、腕の中に閉じ込めたままだった少女を見た。
「ねえヴィーナス、私、もっとここに居たいわ。こんなに美しい森、月にはないもの」
「プリンセス、我侭も大概に……」
姫君にはとことん甘いヴィーナスが、その我侭に身を委ねてしまう前にと、マーキュリーが慌てて割って入る。
「いやと言ったら嫌!」
しかし、取り付く島もない。
マーキュリーは仕方なく、伏せ目でマーズに指示を出した。マーズは素早く彼女の意図を汲む。
「……そうですか。そこまで仰るのでしたら……」
ひやりとした声に、セレニティが押し黙る。
「その美しい森を跡形なく燃やし尽くして、未練が残らないようにしてさしあげましょうか?」
凄んだマーズに、ヴィーナスの非難の眼差しとセレニティの涙目がぶつかる。
「…………ま……」
「マーズの、ばかっ!」
しかし思いきりよく大声を張り上げたのは、渦中のセレニティではなく、それまでおろおろと見守っていただけのうさぎだった。
セレニティの腕を掴み、うさぎの大声に怯んだヴィーナスから強引に引き離す。
「もういいよ、行こう、セレナ。こーんな頑固な人ほっといてさ!」
呆けたように口を開けたマーズに、べーっと舌を出してみせる。
「……え? 行くって……何処へ?」
「へ? んーと、……どっか!」
考えなしのうさぎの、曖昧で適当な答えに、セレニティが小気味良さそうに笑った。
「うん、行こう! せっかくこんなに綺麗な場所に来れたんだもの!」
誰ひとりとして冷静に立ち戻れないで居る内に、「あっ」と言う間も与えず、二人は手を取り合って駆け出していく。
どこか夢見るような表情で突っ立った二組の四守護神とフォボスは、唖然としてそれを見送った。
「…………っ!!」
ほんの一瞬の――けれど場合によっては致命的になり得る――間ののち、ハッとなったマーズが、慌ててフォボスの方を振り返る。
「フォボス! あの2人を追って!」
「御意に」
マーズの声に素早く応え、まるで目に見えない翼を羽ばたかせたかのように周りに突風さえ吹き起こして、フォボスが2人のあとを追って飛行していった。指示を出したマーズ自身も、すぐにそのあとを追いたげに、ヴィーナスの指示を待つ。しかしヴィーナスはそれには応えず、亜美たち四人の顔を順番に見回し、酷く冷静な声で言った。
「まず、今ここで、はっきりさせましょう。貴女達が、敵か、そうでないか。――次第によっては、貴女達をプリンセスの側に近づけることは出来ない」



2003年01月15日(水)
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