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■ 空に浮かぶ森【7】
ジュピターの言葉に、マーキュリーの纏う気配は目に見えて明らかなほど険しくなった。いや、目で見なくても。ジュピターの腕の中で寝たふりをしていたうさぎでさえ、その変化を感じ取れたのだ。ジュピターの言葉、マーキュリーの変化。それはうさぎに恐怖を覚えさせた。そして、それに気付くのは遅すぎた。もし、本当に自分がプリンセスじゃないと分かったら、その瞬間、自分は彼女たちにとっての守るべき対象でなくなるどころか、下手をすれば良くない疑いをかけられる。―――王族に関する詐称は正当な理由がない限り、事の大小に関わらず死刑だ。それくらいはうさぎでも知っている。うさぎは、少なくとも色合い以外の容姿はセレニティと瓜二つ。“故意に模した”かのように思われても仕方ない。 「…………もう一度言うけど、早まるなよ?」 「確認するわ。その方を降ろして」 重ねて念を押したジュピターに、マーキュリーは立ち止まり、ひやりとした声を返す。その感情に欠けたような表情にジュピターは動作をためらったが、いつの間にかすぐ側に立っていたヴィーナスとマーズの2人も、目で同じ事を促していた。 「……そっちも同じ結論か」 「冷静になるべきだった。なんの疑いもなくプリンセスだと確信してしまったのは、自覚はなかったけど、動揺の所為ね」 マーズが、自分を責めるように苦々しい顔で言う。 「いや違うと思う。……なんて言うか、この子はプリンセスじゃない気がするけど、やっぱり……」 ジュピターの言葉の肝心な部分を遮り、大きな音が森を震わせた。咄嗟に、四守護神はジュピターを中央に戦闘態勢に入る。その自分の行動に、マーズとマーキュリーは一瞬また苦い顔をしたが、ヴィーナスとジュピターは自然に「プリンセスではないかもしれない人物」を庇っていたことに気付いてすらいないようだった。 「なに? 今の音」 「獣の唸り声…………じゃないよな」 聞き慣れない音に警戒心を高めながら、ジュピターはうさぎをヴィーナスに託した。他の2人よりは、彼女が一番安全だと思ったからだ。ヴィーナスはジュピターからうさぎを受け取ると、敢えて額が見えないように抱きかかえた。 「この子はプリンセスじゃないけど……多分、守るべきだ」 と、ヴィーナスだけに聞こえるようにその耳元で囁き、すぐに身を離し膝をついた。眼を閉じ両手を地面に押し当てると、手の平がぬかるんだ土にわずかに沈み、指の隙間から水が染み出してきた。 うさぎは気付かれないくらい微かに首をひねって、視界の隅でぼんやりとだけ見えるジュピターを見た。彼女が何をしているのかは、スッと浮かんだ亜美との会話の記憶が教えてくれた。 四守護神は、それぞれ自然界の四大要素にも結びついている。水はマーキュリー、火はマーズ、風はヴィーナス、大地はジュピター。そしてそれぞれの司るものと語る術を、術者は持つと言う。レイの火を使った祈祷が、その代表格だ。 やっぱり亜美ちゃんのお話ってためになるなあと、うさぎは呑気に思った。呑気でいられるのは、先ほどのジュピターとヴィーナスのやりとりのおかげだろう。 「……やっぱり、獣じゃない。人間だ。……ひとり、ふたり…………六人居る。だけど方角までは分からない。多分、この森の性質の所為だな」 「距離は?」 「近い。……マーキュリー、アタシが合図したら飛んでくれ。樹の背を越えるくらいまで。心配はしなくていい。ちゃんと援護するから」 「分かったわ」 閉じていた目を開き、声を潜めたままでジュピターがマーキュリーに言う。言葉や声の調子から、マーキュリーが囮になると言うことなのは間違いないが、彼女はあっさり頷いた。うさぎの方が驚いていた。仲間を危険な目に合わせるような作戦を、簡単に口にするなんて。そして誰も止めないなんて。動揺の中、あまりにも自然に流されたその言葉が、ただの聞き間違いかもしれないと思ったうさぎはとりあえず黙って様子を伺っていた。再び目を閉じたジュピターは、ずっと手の平から伝わる「何か」の気配を探り続けている。 随分長い間があった。そして遂に、 「――――今だ!」 ジュピターの合図が掛かる。マーキュリーが地面を蹴り、軽やかな、けれど緩みのないスピードで浮かびあがる。うさぎは慌ててそれを止めようと、顔をあげ、ヴィーナスの腕から飛び出した。全ては同時だった。 「マーキュリー、危ないっ!」 『…………なっ!?』 うさぎの呼びかけ、ヴィーナスとマーズの驚愕の声、そして、間をあけずに響いた、銃声。 予想もしなかった自分を呼ぶ声に、マーキュリーが空中でバランスを崩し、僅かにコントロールを失う。そこを目掛けて銃弾が飛んできた。しかしマーキュリーに当たる寸前、彼女の目前で一瞬小さく光って力を失ったそれは直角に向きを変え、地面に落下していく。ジュピターの放った技が銃弾を包み込み、そのエネルギーで作った膜の中で爆発させたのだ。 らしくもなく高鳴った心音を感じるマーキュリーの眼下で、マーズが落ちてきたそれを右手で受け止めたのが見えた。 『…………だから子供って嫌いなのよ』 上と下で、溜息混じりの台詞が重なる。マーズの子供嫌いは、「手が掛かるし煩いから」だが、マーキュリーは行動に他意がないから予測をつけられないと言う理由で、子供が嫌い……と言うより苦手だった。 「貴女、いったいなんのつもり?」 「……あ、ゴメン。危ないと思って……体が、勝手に……」 「貴女の所為で、余計に危ない目に合ったのよ」 マーズの批難の視線を受け、うさぎが身を竦めて謝るが、マーズは更に追い討ちをかけるようにうさぎを責めた。脊髄反射のようなものだったとは言え自分の行動こそが、結果的にマーズの言う通り、マーキュリーを余計に危険な状況に置いたのだ。冷静に考えてみれば、彼女達の方が戦い慣れている筈なのだから、その判断に任せるべきだった。うさぎはなんて答えたらいいのか分からず、ただもう一度「ごめんなさい」と繰り返した。 「ま、本人が良いって言えば良いんじゃない? どうなの? マーキュリー」 「気にしないわ」 ヴィーナスはマーズを目で制し、地面に足をつけたマーキュリーに声をかける。マーキュリーは降りてくるまでの間に心を落ち着けたのか、いつものように淡々と答えた。 「マーズ、私を狙ったものを見せて」 「見たところ鉄の塊みたいだけど、分かる?」 マーズから受け取った銃弾を見て、マーキュリーは眉を顰める。 「弓の鏃(やじり)のようにも見えるけど……」 「でも、爆発したのよ?」 「中にエネルギーが込められていたのかしら……。ダメね、これだけじゃ分からないわ」 うさぎは首を傾げた。 どう見たってただの銃弾だ。さっきの銃声が聞こえた時点で、うさぎには分かっていた。少し考えて、それからやっとで気付く。シルバー・ミレニアムには、そしてあの時代の地球には、銃なんてなかったのだ。 「……あのさ、それ……」 「マーキュリー、コレの軌跡は見れた?」 うさぎがあげた声は、ジュピターの問い掛ける声に阻まれた。 「……御免なさい。注意が逸れていたから、細かなことは分からなかったわ」 「そっか。ま、気にするなよ。仕方ないさ。それに、大雑把な方角ならなんとなく分かった。充分だろ」 俯いたマーキュリーに、ジュピターが優しく微笑みかけ、その笑顔をうさぎにも向けた。うさぎは、彼女がマーキュリーだけでなく自分にも気を遣ってくれているのだと分かって、余計に申し訳なく思う。 「マーキュリー……ほんとにゴメンね。あたしのせいで……」 「気にしないって言ったでしょう? ……結果はともかく、私を心配しての行動だったんだから、責められないわ」 うなだれるうさぎに、マーキュリーは一瞬困った顔をして、それからすぐにそっぽを向いた。 「お、珍しいもの見た」 相手を見据えて話すことの多いマーキュリーが、自分から視線を外すのを見て、ジュピターが思わず声をあげる。ヴィーナスも面白がるような笑顔を浮かべ、マーキュリーの顔を覗き込んだ。 「マーキュリーさん、顔赤いですよ? どうしたんですか?」 「……そんなくだらない追求より、他にやるべきことがあるでしょう?」 「んー、今のあたしにはマーキュリーが動揺してると言う珍しい事態を目に焼き付けることの方が大事だわ」 「リーダー」 心底愉快そうなヴィーナスに、マーズの冷ややかな声が掛かる。その絶対零度の冷ややかさは、さすがのヴィーナスの笑顔さえ凍りつかせた。 「……そ、そうね。他にもやるべきことはたくさんあるわ。――――まず、あなた。月の王国の血を継ぐ者の証、額に浮かぶ三日月形のクレッセントがないと言うことは、さては、プリンセス・セレニティではありませんね?」 スッとうさぎの額を指差して、ヴィーナスが確信めいて言う。 「だから、最初から人違いだって言ってるじゃん」 「うん、確かにそうだった」 美奈子同様、どこかが少しズレているヴィーナスに、うさぎが即座に突っ込む。ジュピターもそれに同意した。 「ジュピター、この子の肩を持つつもり?」 「持つもなにも事実だ」 「まあまあ、2人とも落ち着いて。最終的な判断を下すのはあくまであたし、でしょ? さて、貴女の処遇だけど」 腕を組み考え込むヴィーナスに、今更自分の置かれた立場を思い出し、不安になるうさぎ。どんな結論を出されるのかと、上目遣いにヴィーナスの様子を伺う。 ヴィーナスと目が合うと、彼女の頬が一瞬だがはっきりとひきつったのが見えた。 「……とりあえず、このままあたし達と一緒に行きましょう」 「あんたなに惑わされてるのよ」 即座に突っ込みを入れるマーズに、ヴィーナスは振り返り、はっきりとした口調で切り替えした。 「惑わされてなんかいないわ。断じて、この上目遣いにやられたわけじゃないのよ?」 「その顔に弱いんでしょ」 「貴女はあたしを誤解している。もう一度言う。断じて、この上目遣いにクラッと来たからじゃないわ。それに、あたしが純潔を捧げているのはプリンセス・セレニティただ御一人。他の者の誘惑に惑わされたりなんて有り得ないことよ」 「誘惑って……。時々、あんたが上司であることが無性に悲しくなるわ」 「それから、この子をプリンセスだと勘違いしたのはあたしたちの方。もしかしたらたまたま、まるで神の起こした奇跡のような幸運で、プリンセスと同じ容姿を持って生まれただけかもしれないじゃない。髪型まで同じなのも、プリンセスのファンだと考えれば納得が行くわ。なんて言ったってプリンセスのあの素敵な笑顔を一度見たものは必ずその虜に……」 「分かった。あんたの話は聞くだけ無駄だわ。みんな、とりあえずこの鉄の塊が飛んできた方角に向かって進みましょう。プリンセスについての手がかりが掴めるかもしれない。……貴女も、仕方ないから処分は保留よ。付いてきなさい。ただし、わたしの側には極力寄らないで。―――わたしは子供が嫌いなの」 まだ何かを延々と語ってるヴィーナスから仲間たちに向き直ると、てきぱきと指示を出し、さっさと歩いて行くマーズ。ジュピターがうさぎの肩を叩いてそれを追うように促し、マーキュリーも続いた。急かされるままについていくうさぎが肩越しに振り返ると、ぽつんと立っていたヴィーナスが少し肩を落とし数歩遅れて歩き出すのが見えた。 「なんか、かわいそうじゃない?」 「良いんだよ、うちのリーダーはあーゆー人だから。それより、ホラ、もっとこっちにおいで。マーズに近寄るなって言われ…………どうした? なんか嬉しそうだね?」 「ううん、なんでもない。ただ、やっぱりそういう話し方の方がいいなって思って」 「ふうん?」 敬語の消えたジュピターの気さくな口調に、うさぎの頬には自然といつもの笑顔が浮かぶ。ジュピターも、意味が分からないと言う風ではあったけれど、うさぎのその笑顔につられてにこっと笑った。
「相変わらず、マーズの扱いが上手いわね」 歩調を緩めて前列から距離をとったマーキュリーが、マイペースに歩いてくるヴィーナスと並ぶなり、そう言った。 「下手に理路整然と諭すより、ああ言った方が手っ取り早いでしょ?」 「あの子を信じるの? 本当に上目遣いに負けただけとかだったら、私もちょっと見限りたい気分なんだけど」 あの得体の知れない、プリンセスの生き写しのような少女が、もしかしたらこの事態を引き起こした張本人かもしれない。そういう可能性だってあるのだ。と、マーキュリーは言外に言った。 「いつだってあたしは、自分の感性を信じて生きるだけよ」 「……それはどう解釈すればいいのかしら?」 「さあ?」 にっと微笑んだヴィーナスの笑顔は相も変わらず真意の読めないもので、マーキュリーは追求を諦める。普段ならもう少しなにか言い返したかもしれないけれど、自分もまた、既に心のどこかであの少女を信じているのだ。あのときの呼びかけが、自分を窮地に追い込むためのものではなく、本当にその身を案じてのことだったと、思えて仕方がない。 (無条件で信じない。私はそんなに愚かじゃない) 胸の内で言い聞かせるように言う。 (使命の名のもとに、守るべき人はただひとりよ)
…………そうでしょう?
2003年01月10日(金)
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